芥川賞作家・三田誠広が実践講義!小説の書き方【第32回】日常生活は素材の宝庫

芥川賞作家・三田誠広が、小説の書き方をわかりやすく実践講義!連載第32回目は、出久根達郎の『佃島ふたり書房』について。東京下町を背景に庶民の哀歓を描いた作品を解説します。

【今回の作品】
出久根達郎佃島ふたり書房』 東京下町を背景に庶民の哀歓を描く

東京下町を背景に庶民の哀歓を描いた、出久根達郎『佃島ふたり書房』について

古本屋さんの話です。若い女性がまったくの素人の状態から古本屋さんの業務を学んでいく話。実は彼女は東京の佃島にある、伝統のある古書店のあとつぎになる決意をしているのですが、その過程で、その古書店の創業者を知る人々と出会い、古書店というものの面白さを知ることになります。その若い女性の話と並行して、創業者の古書店開設の経緯と、その時代背景が語られます。この二つの話の流れが巧みに構成されているところが、この作品の見どころではあるのですが、読み進むにつれて、古本屋さんという商売そのものの面白さに、読者は引きつけられることになります。

作者の出久根達郎さんは、実際に長く古本屋さんをやっていた人です。作家になってからもまだしばらくは店を開いていたくらいで、この仕事がよほどお好きなのだと思います。出久根さんとは文藝家協会やペンクラブの理事会でお目にかかることが多いのですが、昨年、われわれの武蔵野大学にお招きして講演会をやっていただき、そのあと軽く飲んだりしたものですから、すっかり親しくなりました。何よりも、古本屋さんから作家になるという転身ぶりが鮮やかで、すごい人だという気がします。

シロウトが知らないノウハウ

出久根さんは茨城県の霞ヶ浦の近くにある寒村の出身で、中学校を卒業すると集団就職で東京に出てきました。集団就職といっても若い人にはわからないでしょうが、昔は都会と地方との落差が大きく、地方にはほとんど就職先がなく、高校に進学しない生徒も多かったので、中学校が卒業生たちをまとめて都会に送り込んだのです。人手不足の時代でしたので、中学校には東京の中小企業からの求人がたくさんありました。子どものころから村に巡回してくる移動図書館で夏目漱石なんかを読んでいた出久根さんは、「書店」という募集があったので、それにとびついたのですが、実際にその「書店」に行ってみると、そこは古本屋さんでした。しかし実はそれが幸運だったのです。

新刊書の書店というのは、取次から送られた本をただ並べて売るだけですが、古書店の場合は、自分で品揃えをしなければなりません。お客さんが持ち込む古書の目利きもしなければなりませんが、古本屋さんが集まる市で、掘り出し物を見つけたり、自分の店で売りさばけそうな本を見つけて仕入れるということが必要になります。そこが古本屋さんの大変なところですし、面白いところでもあるのです。
古本屋さんにはシロウトにはわからない不思議なノウハウがあります。とても奥の深い仕事です。皆さんも自宅の近所で、ほとんど客の入っていない古書店を見かけたことがありませんか。あんなに客がいなくては、とても商売はできないだろうと思うのに、なぜかつぶれることもない。それが古書店の不思議なところです。実は古書店の場合は、市で売ったり、通信販売で売ったり、いろいろなやり方があるので、店はただ本の置き場にすぎなかったりするのです。

やがて独立した出久根さんも、店の立地が期待はずれでお客さんが来なかったので、通信販売に力を入れます。そのために取り扱う古書のカタログを月報のようにして顧客に郵送していたのですが、余ったページに、古本屋のオヤジのひとりごと、といったものを書き付けているうちに、顧客の編者者の目にとまり、小説を書くように勧められる。そんな経緯で、出久根さんは作家になったのでした。出久根さんには古本屋さんにまつわるエッセーもあります。一言で言えば、明るくて洒脱。とにかく読んでいるだけで気持ちがよくなるような文章です。地方出身なのですが、古本屋さんの小僧さんとして働いた下町の江戸っ子気質といったものがしみついた人で、そこが魅力だといっていいでしょう。

細部が小説を輝かせる

さてこの『佃島ふたり書房』という作品なのですが、登場人物のきっぷのよさみたいものが魅力なのですが、何よりも古本屋さんにまつわる細部がすごいのです。細部というものは、じっと見つめると、じわじわと輝き始めるのですね。古本屋さんの細部は、出久根さんの独壇場ですけれど、皆さんも、自分の日常生活の細部を見つめてください。

たとえばコンビニでアルバイトしている人には、それなりの細部というものがあるはずです。ぼくが教えている学生にも、コンビニでアルバイトしている学生は多いので、時々、オッ、と思う作品に出会います。飲み物が入っているガラスケースは、裏側にも扉があるのですね。飲み物の補充は裏からするのです。客がガラスケースの飲み物をとろうとして、裏からにゅっと誰かの手が伸びてきたら、怖いと思いませんか。

そういう細部から面白いプロットが出てくると、作品はいきいきとしたものになります。社会人の人は、まず自分の仕事の細部を見つめてください。学生なら、仕事を選べますから、面白そうな細部と出会えそうなアルバイトを探せばいいと思います。慣れた仕事は楽ではあるのですが、いろんな仕事を体験して、さまざまな細部を見つめるというのも、大切な修行だと思います。あなたの日常生活、それは小説を書くための素材の宝庫だといってもいいのです。

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初出:P+D MAGAZINE(2017/11/23)

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