芥川賞作家・三田誠広が実践講義!小説の書き方【第34回】時代の旗手が輝いていた時代
芥川賞作家・三田誠広が、小説の書き方をわかりやすく実践講義!連載第34回目は、五木寛之『蒼ざめた馬を見よ』について。体制批判小説をめぐる陰謀を描いた作品を解説します。
【今回の作品】
五木寛之『蒼ざめた馬を見よ』 体制批判小説をめぐる陰謀を描く
体制批判小説をめぐる陰謀を描いた、五木寛之『蒼ざめた馬を見よ』について
時代の旗手、という言い方があります。時代を代表するスーパースターであると同時に、オピニオンリーダーでもあるような存在。たとえばビートルズの出現によって、ロックがポピュラーなものになったばかりでなく、彼らの長髪、のちにヒゲ、さらにはインドかぶれした生活スタイルまでもが、同時代の若者に大きな影響を与えました。
時代でいえば1960年代後半から70年代前半まで、ぼくにとっては高校から大学にかけての時期でした。同じころ、文壇に颯爽と登場したのが五木寛之でした。『さらばモスクワ愚連隊』で小説現代新人賞を受賞し、次の『蒼ざめた馬を見よ』で直木賞という、デビューの鮮やかさも見事だったのですが、風貌がかっこよく、生き方までがおしゃれな感じがして、少なくとも日本においては、文学の世界だけでなく、マスコミの全体から注目され、とくに若者たちに大きな影響を与えた書き手です。まさに「時代の旗手」というべき作家の出現でした。
いまは時代の旗手などという言い方はしなくなりました。若者の関心や好みが多様化しているので、若者全体に強い影響力をもつ大きなトレンドといったものが、見当たらなくなりました。ですからいまの若い人たちに、時代の旗手などといったことを言っても、よくわからないのではないかと思います。
若者の幻想を打ち崩した小説
デビュー作の『さらばモスクワ愚連隊』は、ロシア(当時はソビエト連邦と呼ばれていました)のモスクワの場末にたむろする、少しグレた若者たちを描いた作品ですし、直木賞の『蒼ざめた馬を見よ』は、反体制運動のロシア作家の作品を世に出すために、日本の編集者がペテルブルグ(当時はレニングラード)に潜入する話です。これも若い人に説明しておかなければならないのですが、当時のソビエト連邦は、ガチガチの(いまの北朝鮮みたいな)社会主義国で、自由に旅行することもできない閉ざされた国でした。
それでいて当時の日本の若者たちは、ソビエト連邦にあこがれをもっていました。そこは革命に成功した国であり、誰もが幸福になれる理想の社会が実現しているという幻想を、多くの若者たちが抱いていたのです。そして、日本でも革命を起こし、ロシアのような社会主義の国をつくるというのが、多くの若者たちの共通した夢だったのです。
五木さんの小説は、そうしたロシア幻想といったものを、一挙に打ち崩すような作品でした。そこは理想の国ではなく、言論の自由のない、少々困った国ではあるのですが、それでも若者たちは、それなりの夢をもって果敢に生きている。その感じがとてもリアルで躍動感があり、若者たちの心をとらえたのだろうと思います。
偉大な作家の生き方を学ぶ
五木さんは作詞家として活躍し、芸能界にも精通している、花形産業の業界人だったのですが、そういう生活にケリをつけて、当時は入国が難しかったロシアや東欧諸国を旅行し、奥さんの実家のある金沢で隠遁生活をしていた時期があります。マスコミや芸能界から距離をとって、小説の執筆に集中していたのでしょう。直木賞受賞後はロシアや東欧の話だけでなく、芸能界を舞台にした作品や、青春小説の金字塔といえる『青春の門』を書くなど、まさに時代の旗手として活躍したのですが、急に断筆宣言をして仏教の勉強をして、『蓮如』『親鸞』などの大作に取り組みました。
作家としての五木さんの生き方そのものが、多くの作家にとって、こんな作家になりたいという、あこがれの作家像をイメージさせます。ここから先はぼくの解釈なのですが、五木さんという作家は、五木寛之という作家像を、一つの作品として作ってきたのではないかと思います。つまり五木さんの小説は、作家五木寛之という大きな物語の中に組み込まれた、一つのエピソードにすぎないのです。
多くの作家が、デビュー作だけで消えていきます。がんばって、芥川賞、直木賞をとっても、その後、数作の作品だけで、いつのまにか業界から姿を消している、ということも少なくありません。五木さんの場合は、デビュー作や直木賞受賞作は、あくまでも次に進むためのステップにすぎず、たえず将来のことを考えて、トータルで五木寛之という作家のイメージづくりを戦略的に展開してきたのだろうと思います。
ですから、業界から引退して執筆に専念したり、ベストセラー作家なのに断筆して仏教の勉強に専念する、といったことができるのだろうと思います。
稀有の人です。すごい作家です。そして時代の旗手と呼ばれる人は、自分の現状に満足せず、つねに未来の自分をどうするかということを考えて、未来の自分を作るための努力を怠らないのだと思います。今回ご紹介する『蒼ざめた馬を見よ』は、言論の自由のないロシアの作家の作品を、世界に紹介しようという日本人が主人公なのですが、その背後に二重三重の罠が仕掛けられているという、なかなか楽しい小説ではあるのですが、単にこの作品を読んで楽しむのではなく、デビュー作から『親鸞』にいたる五木寛之という作家の、トータルな仕事の全容に接して、偉大な作家の生き方そのものを学んでいただきたいと思います。
初出:P+D MAGAZINE(2017/12/21)