賭場のゴザから、蠢いて盛りあがった藺草が、年増女の手に変わる……平谷美樹の連続怪奇時代小説『百夜・百鬼夜行帖』第六章の壱 願いの手 前編【期間限定無料公開 第59回】

第六章の壱 願いの手(前編)2

「ほう」
 百夜は冷たい笑みを口元に浮かべた。
 湯島一丁目の通称〈おばけ長屋〉。百夜の家である。狭い板敷きに、長火鉢を挟んで百夜と左吉は向かい合っていた。
 左吉は泣きそうな顔をして項垂れている。
「お前は、わたしとの約束を破ったのだな?」
「だから、懺悔しに来たんじゃないですか。許してくださいよ、もう、けっして博打なんかいたしやせんから」
 半べそをかいて左吉は顔を上げる。
「懺悔しに来たという割りには、来るのが遅すぎぬか? その怪異に出会ったのはいつのことだ?」
「へぇ。四日前の晩でございやす……」
「四日隠し通したが、バレた時のことを考えると怖ろしくなってついに懺悔しに来たというのが本当であろう」
「いえ、そんな……」
「ならばなぜ、一昨日家に来た時に言わなかった?」
「それは……」
 左吉は口ごもった。
 やっぱり、あの晩来ておけばよかった。
 左吉は後悔した。あの時にちゃんと懺悔しておかなかったから、これから半刻はんときほど百夜の説教を聞くはめになるのだ。
 半刻ですむだろうか?
 一刻いっときか? 一刻半か──?
「百夜さんが識神か使い魔を出して、怪異を起こし、おれを戒めたんだと思ったんで。ならば、百夜さんから何か話があるだろうと、待ってたんでござんすよ」
「識神?」百夜は眉をひそめる。
「わたしは識神など使っておらぬぞ」
「へ?」
 左吉は唖然として百夜を見た。
「賭場で何があった?」
 百夜は訊く。
「へい……」
 と、左吉は賭場に現れた女の手のことを語った。
「なるほど──」
 話を聞き終え、百夜は肯いた。
「本当に一回こっきりなんでござんしょうかね?」
 左吉は訊いた。
「さてな──」
 百夜は、横に置いた箱から炭を取って、長火鉢の炭火に乗せる。
 その時──。
「ごめんなさいよ」
 という声と共に入り口の腰障子が開けられ、背の高い若い男が小さな土間に入ってきた。粋な縞の着物に懐手。長い綿入れを羽織っている。さかやきを長く伸ばした細面の男──。

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「あっ!」
 左吉は男の顔を見て声を上げた。
「なんでぇ。お前さんも来てたのかい。たしか、左吉さんだったねぇ」
 男は微笑みながら言う。
「長五郎さん──でしたよね」
 左吉は引きつった笑みを浮かべながら言った。
 長五郎は肯いて百夜のほうに顔を向けた。
「あっしは、傳通院の助次郎親分の所に草鞋ぞうりを脱いでおりやす、上州無宿の長五郎──。人は不動の長五郎と呼びやす。お見知り置きを」
「それで、お主は、助次郎親分の使いで来たのか?」
「その通りでござんす」
「一回こっきりではすまなかったということか」
「へい」
 長五郎は肯いた。
「寒風の中、小石川から歩いてきたのでは体が冷えたであろう。まずは、上がれ」
 百夜は言った。
「それじゃあ、失礼して」
 長五郎は板敷きに上がる。左吉は右によって座を開けた。
「なん回出た?」
 百夜は訊いた。
「次の日から毎晩でござんす」
「女の手か?」
「へい。毎度、壺をはたき飛ばすんでござんす。なん度叩き斬っても出て来やがるんで」
「なるほど」百夜は笑う。
「商売あがったりだな」
「そこで、百夜さんにお出張り願うようにと、助次郎親分から申しつけられて参りやした」
「なぜわたしが博徒の手伝いをせねばならぬ? 賭場が開帳できないのであれば万々歳ではないか。そちらのほうが世のため人のためだ」
 百夜の強気な言葉に、左吉は顔を引きつらせた。
「百夜さん……」
 百夜の仕込み杖の腕前はよく知っている。だが、長五郎はおそらく懐にあいくちを飲んでいる。この場で刃を交えられてはとばっちりを食らうに決まっている。
「こいつはどうも手厳しい」長五郎は首筋を撫でて苦笑する。
「お説ごもっともでござんすが、世の中にはまっとうな仕事が出来ねぇ野郎もござんす。そういう野郎が無宿者になるんで」
 無宿者とは、親から勘当されたり、所払いの刑を受けて人別帳=戸籍台帳から外された者たちのことである。
「日雇いの仕事についても、すぐに喧嘩になる。そういう迷惑な野郎たちが、あちこちの親分さんの世話になるんで。賭場の用心棒や、縄張りの見回りは、できるだけ素人さんに迷惑をかけずにそんな野郎たちが生きるすべなんでござんすよ。素人さんに楽しんでもらって、こっちにも少しだけ食い扶持を回してもらう。賭場はそういう所でござんす」
「博打にのめり込んで財産を食いつぶす者もいる」
「それは、どんな道楽も同じでござんしょう。人の業はどうしようもございやせんよ」
 長五郎の答えを、百夜は鼻で笑って立ち上がった。
「見るだけは見てやろう。案内せい」
 百夜が取りあげた杖を見て、長五郎の目が細められる。
「仕込みでござんすか」
「お前と同じ、人斬りよ」
 百夜は土間に降りた。

 
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著者紹介

平谷美樹
Yoshiki Hiraya

1960年岩手県生まれ。大阪芸術大学卒業後、岩手県内の美術教師となる。
2000年「エンデュミオン エンデュミオン」で作家デビュー。
同年「エリ・エリ」で第1回小松左京賞受賞。
「義経になった男」「ユーディット」「風の王国」「ゴミソの鐵次調伏覚書」など、幅広い作風で著書多数。

 
本田 淳
Atsushi Honda

1985年東京造形大学油絵科卒業。
(株)日本デザインセンター イラスト部を経て、(株)アイドマ イラスト部入社。
1992年独立。
広告業界に身を置きつつ、2001年より10年間ほど日本南画院展に出品。多数受賞。

初出:P+D MAGAZINE(2019/06/22)

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