ピンチを乗り切るも、仕事への熱意が“パワハラ”に……? 【連載お仕事小説・第19回】ブラックどんまい! わたし仕事に本気です

燃えるお仕事スピリットが詰まった好評連載、第19回。主人公の七菜(なな)は、いつも仕事に全力投球! 代理でチーフプロデューサーを務めることになった七菜だったが、撮影許可の取り忘れで撮影中止の大ピンチ! 後輩・李生の機転のきいた行動のおかげで撮影場所の確保に成功するが、撮影はどんどん延びてしまう。そんな時、後輩を注意した七菜に「パワハラ」という声が……!

 

【前回までのあらすじ】

入院している頼子のもとを訪れた七菜だったが、うまく引き継ぎができないまま頼子と仲違いしてしまう。数日後からタクシーで届けられるようになった「ロケ飯」。頼子の代わりにチーフを務めることになった七菜だったが、次々と難問がおそいかかる!

 

【今回のあらすじ】

多忙すぎる毎日の疲れからミスを連発してしまう七菜。撮影スタッフからは呆れられてしまうが、後輩・李生の機転のきいた行動のおかげで撮影場所の確保に成功。すっかり遅くまで撮影が延びて焦る中、思わずKYな新人・大基を叱責してしまう。これって「パワハラ」!?
 

【登場人物】

時崎七菜(ときざき なな):テレビドラマ制作会社「アッシュ」のAP(アシスタントプロデューサー)、31歳。広島県出身。24歳で上京してから無我夢中で走り続け、多忙な日々を送っている。

板倉頼子(いたくら よりこ):七菜の勤める制作会社の上司。チーフプロデューサー。包容力があり、腕によりをかけたロケ飯が業界でも名物。

小岩井あすか(こいわい あすか):撮影が進行中のテレビドラマの主演女優。

橘一輝(たちばな いっき):撮影が進行中のテレビドラマの主演俳優。

佐野李生(さの りお):七菜の後輩のAP。26歳で勤務3年目。

平大基(たいら だいき):七菜の後輩のAP。今年4月入社予定の22歳の新人。

野川愛理(のがわ あいり):メイクチーフ。撮影スタッフで一番七菜と親しい。

佐々木拓(ささき たく):七菜の恋人。大手食品メーカーの総務部に勤めている。

上条朱音(かみじょう あかね):ドラマ『半熟たまご』の原作者。数々のベストセラーを持つ小説界の重鎮。教育評論家としても名高い。

岩見耕平(いわみ こうへい):チーフプロデューサー。七菜の上司。

 

【本編はこちらから!】

 

「おれ、ちょっと抜けます」
 申請書を見るなり、李生が撮影隊とは真逆の方向に走り出した。七菜は震える手で申請書を警官に差し出す。
「すみません、うっかりしていて。いまお渡ししますので、どうかこのまま」
「無理です。申請は撮影の二日前までと決まっていますので」
 受け取ることすらせず、警官が言い放つ。
「そこをなんとか。もう撮影が始まっていまして」
「規則は規則です。曲げることはできません」
「お願いします、この通りです」
 膝に額がつくくらい深く頭を下げる。だが降ってくる声に、じんも揺るぎはなかった。
「無理だと言ってるでしょう。すぐさま撤収してください」
「でも、それじゃあスケジュールが」
「それはそちらの問題でしょう」警官の、分厚い一重の目が、すっと細まる。「これ以上押し問答するつもりなら、署までご同行いただくことになりますが」
 だめだ。警察に行ったって状況は変わらない。七菜はよろよろと顔を上げた。
「……わかりました。撤収します」
「速やかに行ってください。撤収が完全に終わるまでここで見ていますから」
 警官の射るような視線を背に感じながら、七菜はカメラの前に戻る。矢口監督と諸星、田村が揃(そろ)って立っていた。異変を察知したのだろう、あすかや一輝たちは人目を避け、それぞれのマネージャーが作る囲いのなかでチェアに座っている。
「撮影許可を取り忘れたぁ!?」
 七菜の説明を聞くなり、諸星が大声を上げた。周囲のスタッフがいっせいにどよめく。
「……申し訳ありません」
 七菜はちからなく地面を見つめる。昨日からいったい何度、同じことばを繰り返してきただろう。
「謝ってもしょうがねぇだろう七菜坊」
 田村のいかつい顔が険しさを帯びる。
「参ったな……ただでさえ押してるのに」矢口が文字通り頭を抱える。「なんとか今日中にこのシーンは撮りきらないと。そのつもりでこっちも用意を整えてるんだから」
 こたえる気力すらなく、七菜はその場でうなだれる。
「またかよ。勘弁してくれよ」
「いい加減にしろっつの」
 舌打ち、囁き合う声。刺すような冷たい視線。スタッフの苛立ちが茨のように全身に絡みつき、ぐいぐいと締め上げる。
「板倉さん、早く戻ってきてくんねぇかな」
 誰かの何気ないひと言が、七菜の心の臓を打ち砕く。
 やっぱりあたしには無理だったのか。頼子さんの代わりなんて務まるはずがないのか。迷惑をかけつづけるくらいなら、いっそあたしなんか――
「見つかりました!」
 李生の大声に、弾かれたように顔を上げる。
「見つかったって」
「代わりの場所が?」
 矢口と諸星が同時に叫ぶ。額から汗を流し、はっはっと荒い息を吐きながら李生が頷く。
「すぐそばにでかい家があって。その横の道路に『私道につき進入禁止』って看板が立ってるのを前に見て。ダメもとでお願いしたら、使っていいと言ってくれて」
 喘ぎあえぎ李生が伝える。
「道路の幅は? 機材は置けそうか? 役者の溜め場は?」
 矢継ぎ早に矢口が尋ねる。
「歩道はないですけど、幅はここと同じくらいです。家主さんが協力的で、庭や駐車場も自由に使っていいと」
 李生のことばに、スタッフから歓声が上がる。
「でかした、佐野くん。よし、すぐにそっちに移ろう。モロちゃん、タムちゃん」
「あいよ」
「おう」
 スタッフに明るさと活気が戻ってくる。各チーフの指示のもと、撤収作業が始まる。
「じゃ、おれ、さきに行ってます」
「あ、待って佐野くん」
 踵を返した李生に、七菜は声をかけた。李生が振り向く。
「……ありがとう、ほんとうに」
 李生が、ふい、と視線を外す。
「……べつに時崎さんのためにやったわけじゃないすから」
「え」
「チームのため、このドラマを完成させるため――それがおれたちの仕事、でしょ」
 片眉を上げ、珍しくおどけた表情を見せると、軽やかな足取りで駆けていく。
 そうだ。七菜は改めてこころに刻み込む。
 このドラマを完成させ、無事に視聴者のもとに届ける。それがあたしたちの仕事だ。うじうじ迷っている暇はない。いまはそれだけを考えよう。

 予定では今日の撮影は七時に終わるはずだったが、想定外の移動が入ったため、撮影が延びるのは必至となった。七菜は腕時計に視線を落とす。もうすぐ五時。夜のお弁当を手配しないといけないな。
 撮影が小休止に入ったのを機に、コンビニに行ってもらおうと七菜は大基を探した。けれども公民館二階のどこにも大基のすがたが見えない。スタッフであふれ返る廊下を抜けて、七菜は一階に降りた。
 メイク室を覗く。愛理と助手が雑誌を見ながら話をしているだけで、ほかにひとはいない。ついで七菜は隣の控え室のふすまを開ける。八畳間の右隅でこちらに背を向け、立っている大基が見えた。なぜかジャケットを着込み、デイパッグを背負ってうつむいている。どうやらスマホをいじっているらしい。
「平くん、平くん」
「なんすか」
 顔も上げずに問うてくる。
「悪いけどお弁当、買ってきてくれない? ええと数は」
「無理っす。おれ、もう帰るんで」
「は? 帰る? 帰るって」
「今日は五時上がりって、だいぶ前にシフト表に書きましたけど」
 ようやく大基がこちらを向いた。顔にはひとかけらの悪気も罪悪感も浮かんではいない。
「え、でも今日は撮影が押してるから」
「それはそっちの事情でしょ。おれには関係ないっす。じゃ、おさきっす」
 軽く会釈し、出ていこうとする。あわてて七菜は出口を塞いだ。
「ちょっと待ってよ、ただでさえひとが足りなくて困ってるのに」
「そう言われても。おれもずいぶん前から入れてた飲み会なんで」
「飲み会? 飲み会ごときでそんな」
 思わず高くなった声に、大基が不愉快そうに眉を上げる。
「時崎さんにとってはそうかもだけど、おれにとっては大事な会なんすよ。ちなみに岩見さんの許可も取ってあるんで。そこ、どいてください」
 目の前に立ち、あごをしゃくる。頭がかっと熱くなる。
「みんな必死で働いてるんだよ!」
「は? おれ、ただのバイトっすよ」
「四月には社員になるんでしょ!」
「関係ないっしょ、それ!」
「どうしたの、いったい」
 穏やかな声が響き、コーヒーのカップを持った矢口監督が、七菜の後ろから顔を覗かせた。
「あ、監督」
 さすがに大基がばつの悪そうな顔をする。
 願ってもない援軍だ! 七菜は矢口の腕を取り、和室に引っ張り込む。
「聞いてくださいよ監督。平くんったらもう帰るって言うんです。この忙しいときに」
「だから許可は取ってありますって」
「仕事と遊びとどっちが大事なのよ!?」
「まあまあ。そう熱くならないで」
 言い合うふたりを制するように、矢口が一歩、前に出る。気圧けおされたのか、大基があとじさった。七菜は両の拳を握りしめる。がつんと言ってやってください、監督! 
 だが矢口の発したことばは意外なものだった。
「帰してあげなさいよ、時崎さん」
「え」
「いーんすか」
 七菜は耳を疑う。大基が驚いたように目を瞬く。
「もちろん。だって上司の許可が下りてるんでしょう。だったら平くんの主張が正しい」
 大基の顔に満面の笑みが広がる。
「あざっす! お疲れさまでした!」
 言うや、脱兎のごとく七菜の横を抜けて走ってゆく。
「ちょ、平くん!」
「落ち着いて、時崎さん」
 大基のあとを追おうとした七菜を、矢口がやんわりと止める。
「仕事の取り組みかたにはそれぞれのスタンスがある。じぶんのやりかたを他人に押しつけてはだめだよ、時崎さん」
「でも……このままじゃ撮影が……」
「もちろんドラマの完成がいちばん大事だ。だけどそれを一個人に、ましてや立場の弱いものに強要しちゃあいけない。こういう言いかたはきついかもしれないけど……それこそまさにパワハラじゃないのかな」
 矢口の声音はあくまでも理性的で穏やかだ。だからこそ七菜のこころに深く強く突き刺さる。
「パワハラ……あたしが……?」
 口のなかでつぶやく。受けこそすれ、パワハラなんてじぶんが与えることなどないと思っていた。なのに。なのに――
 立ちすくむ七菜をじっと見つめていた矢口が、きゅっとコーヒーカップを握りつぶした。
「さ、そろそろ再開しよう」
 ぽん、と七菜の肩を叩き、部屋を出ていく。
「撮影再開しまーす!」
 助監督の声が響いてくる。寛いでいたスタッフがそれぞれの持ち場に戻ってゆく。忙しげに立ち働くひとびとのなかで、七菜だけがひとり、動けずにいる。
「七菜ちゃん……」
 いつのまに来ていたのか、愛理がそっと七菜の背に手をかけた。愛理の手のぬくもりが、じんわりとからだじゅうに広がってゆく。
 落ち込んでる時間などない。大基がいないなら、そのぶんあたしががんばらなくては。
「お弁当買ってくるね、愛理さん」
「え? でも」
「すぐに戻ります!」
「七菜ちゃん!」
 なにか言いたげな愛理を振りきるようにして、七菜は公民館を飛び出した。

 

【次回予告】

10時過ぎまで続いた長い撮影も終わり、最終確認を行なっていた七菜だったが、午後から一度もスマホを見ていないことに気づく。ロックを解除するとそこには、恋人・拓から4件の連絡があり……。

〈次回は5月29日頃に更新予定です。〉

プロフィール

中澤日菜子(なかざわ・ひなこ)

1969年東京都生まれ。慶應義塾大学文学部卒。2013年『お父さんと伊藤さん』で小説家デビュー。同作品は2016年に映画化。他の著書に、ドラマ化された『PTAグランパ!』、『星球』『お願いおむらいす』などがある。

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初出:P+D MAGAZINE(2020/05/22)

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