〈第11回〉加藤実秋「警視庁レッドリスト」

■連載小説■ 加藤実秋「警視庁レッドリスト」〈第11回〉
事故死に疑いを持つ女刑事に協力する慎。
一行は、新興宗教施設へ向かった。

CASE3 ゴッドハンド:神にすがる女刑事(3)


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 三十分ほど走ったところで脇に入り、山道を少し登ると前方に石造りの塀と大きな鉄の門が現れた。事前に連絡してあったらしく、みひろたちの車が着くのと同時に奥から生成り色の上下を着た若い男が現れ、門を開けた。門の脇の柱には、防犯カメラが設置されている。柿沼は窓越しに男に手を上げて挨拶し、本部施設の敷地に車を進めた。

 まっすぐ延びる石畳のアプローチの奥がロータリーで、突き当たりに鉄筋三階建ての大きな建物があった。隣には二階建てと平屋のやや小さな建物もある。資料によると、ある企業の保養所を教団が買い取ったらしい。

 柿沼は慣れた様子で、ロータリーの脇の駐車場に車を停めた。平日の正午過ぎだが、他にマイクロバスとセダンが十台ほど停まっていた。地元の多摩ナンバーに混じり、品川や横浜、名古屋ナンバーの車もあった。

 車を降りてロータリーに戻ると、大きな建物の前で女が待っていた。歳は三十代半ばだろうか。すっぴんで黒く長い髪を頭の後ろで無造作に束ねているが、涼しげな目元が印象的な美人だ。すらりとした体を生成り色のシャツとパンツで包み、肩に柿沼と同じバッグをかけて、サボに似たつくりの黒い木靴を履いている。みひろたちが近づいて行くとにっこり笑い、おへその少し下の位置で左を下、右を上で両手を重ねて「こんにちは」と頭を下げた。

「こんにちは。忙しいのにすみませんね。こっちは昨日話した本庁の人」

 柿沼も女と同じポーズを取り、丁寧に一礼してからぞんざいにみひろたちを紹介する。

「警視庁の阿久津です」

「三雲です。お邪魔します」

 慎とみひろが挨拶すると女は真顔になり、おへその下で手を重ねたまま、

「みのりの道教団の事務と経理の責任者の波津広恵(はづひろえ)です。この度は、板尾が大変ご迷惑をおかけしました。教祖の土橋は施術中で広報担当者も付き添っておりますので、私が施設を案内させていただきます」

 と丁寧だがやや芝居がかった口調で言い、深く一礼した。慎とみひろが言葉を返す前に柿沼は「じゃあ行こうか」と歩きだし、慎とみひろも続いた。

 大きな建物の前を少し進んだところで、向かいから数人の男女が歩いて来た。みひろたちとすれ違う時には足を止め、おへその下で手を重ねて「こんにちは」と笑顔で会釈した。

 板尾、門を開けてくれた男、波津、今の男女と見てわかったのだが、出家信者の服はどれもマオカラーで、前身頃の片側に打ち合わせがあって肩と脇の部分を留めるもの、真ん中に打ち合わせがあって留めるものなどがあり、留め具代わりに共布でできた二本の紐を結ぶ作りらしい。

 涼しそうだし、オーガニックで着心地もいいだろうから、部屋着に欲しいかも。みひろがふと思った時、前を行く波津が振り返った。

「これは『丹田(たんでん)集中』。挨拶や人の話を聞く時にはこの姿勢と決められています。ここは臍下(せいか)丹田と言って、ここに意識を集中したり力を入れると健康になり、勇気が湧いてくるんですよ」

 と、おへその下で重ねた手を軽く上下させ、説明する。みひろが返事をしようとしたが、また柿沼が先に、

「もう知ってますよ。こちらのことは、みっちり調べて来てますから」

 と答えてしまった。その通りなので返事に困り隣の慎を見上げたが、知らん顔でメガネのレンズ越しに周囲を眺めている。

 大きな建物の脇の通路を抜け、敷地の裏側に出た。視界が開け、広い畑が現れた。畑では強い日射しの中、大勢の人が軍手をはめ、麦わら帽子をかぶって、クワやシャベルで作業をしていた。中央の通路を進むと、みんな手を止めて丹田集中ポーズを取り、笑顔で「こんにちは」と挨拶をしてきた。ほとんどが六十代以上で、それ以下がちらほらという感じだ。多くが出家信者の服を着ているが、ジャージやジーンズ姿の人もいる。

 また振り向いて、波津が言った。

「ここは、グラウンドやテニスコートだったんですよ。私服を着ているのは在家信者で、日本中から来ています。施設内の土や水、農作物はすべて土橋の実りの手に触れているので、農作業を行うだけで心身が浄化されます」

 っていう体(てい)で、只(ただ)働きさせる訳ね。みひろは心の中で突っ込みを入れた。

 畑を抜けると、広場のような場所に出た。中央には白い砂が敷かれた四角いスペースがあり、幅二メートル、高さ一・五メートルほどの、ひしゃげたいなり寿司を思わせる形の岩が置かれている。岩の上部には、連なった短冊状の白い紙を下げたしめ縄が張られていた。岩の前に行くと波津と柿沼は立ち止まり、丹田集中ポーズを取って頭(こうべ)を垂れた。二人が顔を上げるのを待ち、慎は訊ねた。

「この岩は?」

「みのり岩と言って、土橋が信者のために三日三晩神力を送り続けたものです。農作業や他の奉仕活動を行ったり、土橋の施術を受けたりして身を清めてからあの岩を抱くと、強力な浄化とエネルギー注入の作用があります」

「ははあ」

 道理で岩肌がテカってると思った。あれ、手や顔の脂よね? 閃(ひらめ)くなり気持ちが悪くなった。一方慎は興味を惹かれたのか、みのり岩をじっと眺めている。

 それから元の道を戻り、二階建ての建物の中を見た。元保養所の客室で、出家信者の住まいとして使われている。板尾の部屋を見せてもらったが、六畳の和室で先輩信者と同室。衣類や寝具、洗面道具など必要最低限の生活用品しか置かれておらず、規則で禁止されているスマホとパソコン、タブレット端末はなかった。

 続けて三階建ての建物に向かって通路を歩いていると、ガラガラという音が聞こえてきた。駐車場の方向から、台車を押した男が近づいて来る。歳は四十代半ば。中肉中背でポロシャツにジーンズ姿で、台車の上には蓋が開いた状態の大きな段ボール箱が二つ載せられていた。

「河元(かわもと)さん。こんにちは」

 波津が声をかけると、男は立ち止まった。

「ああ、どうも」

 首にかけたタオルで額の汗を拭い、男は会釈をした。丸く小さな目と鼻と口が、顔の中央に集まっている。柿沼とも顔見知りらしく、会釈を交わした。段ボール箱の中にはトイレットパーパーとティッシュペーパー、電球、文房具、缶詰や調味料などが詰まっていた。

「代わりの者が決まるまで、私が代金をお支払いします」

 そう告げて、波津はバッグから封筒を出して差し出した。封筒も無漂白の紙を使っているらしく、生成り色で口には封がされている。「毎度ありがとうございます」と男は封筒を受け取り、納品書らしき書類を波津に渡した。

「板尾さんのことを聞いて驚きました。事故で亡くなったとか」

 目を動かし、男は波津と柿沼を交互に見た。無言で微笑んだままの波津に代わり、柿沼が返す。

「まあね。河元さん、奥さんは元気? お義母(かあ)さんのリウマチはどう?」

「お陰様で、どっちも元気です」

 笑顔で返し、男は再度波津に会釈して通路を進んで行った。柿沼が言う。

「奥多摩署の近くにあるスーパーマーケットの店主だよ。月に一度、生活用品を届けてもらってるんだ」

「へえ」

 みひろが男の背中を見送っていると、納品書をバッグにしまった波津が「参りましょう」と促して歩きだした。慎も男を見ていたが顔を前に戻し、歩きだした。

 三階建ての建物に入り、教団の事務所と信者のための食堂を見た。事務所では信者がそろばんとエンピツを使って黙々と仕事をしていた。食堂は保養所のものをそのまま使っているため立派だし、出される食事も、肉と化学調味料は使われていないが味噌や漬物などは手作りで、素朴かつヘルシーでおいしそうだった。

 最上階の三階は土橋の住まいで立ち入れなかったが、波津は「警察の捜査には協力したいので特別に」と、みひろと慎を二階の道場に案内した。

 道場は畳敷きの広い部屋で、前に出家信者、後ろに在家信者が丹田集中ポーズで正座という、資料で見た写真と同じ光景が広がっていた。信者たちは五、六十人はおり、それと向き合う恰好で畳敷きの低い演台が置かれ、土橋日輪があぐらを搔いて座っている。

 新興宗教の教祖=青白い顔に無精ヒゲと長い髪というのがみひろのイメージだったが、土橋は真っ黒に日焼けした顔に三分刈りの髪、筋肉質のがっちりした体という容姿だった。それは資料で確認済みだが、本人を目にして驚いたのが手で、グローブのように大きく肉厚で指も手首も太い。

「ですからいつもお話ししているように、怒りや憎しみ、嫉妬といった悪意は自分で抱くだけじゃなく、人から向けられても体と心に溜まるんです。世の中で病気と呼ばれてるものの原因は、突き詰めれば全部それ。悪口や文句を言うのはどこ? 口でしょ? だから同じ口から汚れのない食べ物を取り込んで、溜まった悪意を追い出すんです」

 演台の上の土橋は、マイクを手に語った。前開きの出家信者と同じ服を着て目尻の垂れた細い目で向かいを見回し、口の端を上げて笑っている。信者たちはそれを微笑みながら聞いていた。演台の両脇には火の点ったロウソクがセットされた背の高い燭台(しょくだい)が置かれ、土橋の後ろには二十代後半の、ロングヘアのすらりとした美女が控えている。

「それでもこびりついたり、体中に廻(まわ)っていたりして追い出せない悪意もある。その時は私の出番。実りの手で、悪意が溜まったところに触れます。もう三千人以上浄化したかな。そのたびに力と魂を込めるから、ほら、こんなに手が分厚くなっちゃった」

 言いながら、土橋は右手を頭上に上げてひらひらと振って見せた。反応して、信者たちがどっと笑う。

 語りに問いかけとタメ口を混ぜて相手との距離を縮め、オチで笑わせて警戒心を解く。詐欺師やセールスマンがよく使う手だわ。みひろは同意を求め隣の慎を振り返ったが、無表情。柿沼と波津は、丹田集中ポーズで土橋を見ている。

 と、美女が進み出て来て、土橋からマイクを受け取った。マイクを構え、美女が告げる。

「これより施術に移ります。横浜支部の安西(あんざい)さん。おいで下さい」

「はい!」

 声がして、道場の後方で女性が立ち上がった。歳は六十代後半。でっぷりと太り、黒いワンピースを着ている。前に出て来た女性は美女に促され、演台の前に正座した。

「安西さんは、腎臓がんを患われているんでしたね。大丈夫ですよ。お体を綺麗にして差し上げます」

 語りかけて立ち上がり、土橋は演台を下りた。女性は丹田集中ポーズを取り、恐縮した様子で「はい」と頷いている。

 土橋は女性の斜め前に膝を折って座り、片手を女性の脇腹と背中の間に当てた。そして目を閉じ、顔を上げる。もう片方の手は自分のおへその下に当て、眉間にシワを寄せてなにやらぶつぶつと呟きだした。怒らせた肩と小刻みに震える腕から、女性の体に力を加えないようにしながら力んでいるのがわかる。

「みなさんも臍下丹田に力を込め、土橋先生のお手伝いをして下さい」

 美女が言い、信者たちは一斉に俯いて集中した。

 みんなで同じことをやらせ、「自分も参加してる」という意識を持たせて連帯感と意思の統一を図ると、集団をコントロールしやすくなるのよね。催眠商法の業者のテクニックだけど、上手いわ。感心しながら、みひろは土橋と女性に見入った。職場改善ホットラインの相談員になってから何かの役に立つかもと資料を読んだので、セールスマンや詐欺師のテクニックは一通り頭に入っている。

 その後も三分ほど、土橋はぶつぶつ呟きながら女性の体に手を当て続け、大きく息をついて立ち上がった。

「施術は以上です。安西さん、いかがですか?」

 女性に近づいて、美女が問う。女性は顔を上げ、その口に美女がマイクを近づける。

「はい。お手当していただいたところがぽかぽかと温かくなって、悪いものが抜けていくのがわかりました。とてもいい気持ちです。それに私、先生のお手当を受けて、がんが小さくなったんです。こちらの畑で採れた野菜を食べて農作業をお手伝いするようになってから、抗がん剤の副作用もずっと楽になりましたし。もう全部、先生のおかげです。ありがとうございます」

 後半は涙ぐみながら語り、女性は深々と頭を下げた。その背中を土橋が身をかがめてさすり、信者たちから大きな拍手が起きる。傍らからもぱちぱちという音がしたので見ると、柿沼と波津も神妙な顔で手を叩いていた。

 間もなく波津に促され、道場を後にした。土橋の施術はしばらく続くというので、一階のロビーで待つことにした。

 ロビーには売店があり、畑で採れた野菜と「実りの手で浄化済み」と謳(うた)ったペットボトル入りの水やお茶、野菜の種苗などを販売していた。どれも高く、五、六品入った夏野菜のセットが五千円。みひろが「部屋着に欲しいかも」と思った出家信者の服は、上下セットで二万八千円だ。中には「ただの水じゃん」「これ、外の工場で作ってるよね?」というものもあったが、在家信者たちは商品を次々と手に取り、会計コーナーには行列ができていた。

 車の中で柿沼さんが言ってた「社会との関わりを保ち、可能な限り暮らしに教えを取り込み、道を究めるのが在家信者の務め」ってこういうことか。在家信者には外の世界でしっかり稼いでもらって、それを教団に貢がせるって絡繰(からく)りでしょ。呆れながらもさらに感心し、みひろは売店の信者たちを眺めた。行列が長くなりすぎたので、波津も手伝いに入った。信者たちは惜しげもなく財布から一万円札や五千円札を出し、波津は笑顔でそれを受け取り、慣れた手つきで大きな木箱に入れていった。

 


「警視庁レッドリスト」連載アーカイヴ

 

加藤実秋(かとう・みあき)
1966年東京都生まれ。2003年「インディゴの夜」で第10回創元推理短編賞を受賞し、デビュー。『インディゴの夜』はシリーズ化、ドラマ化され、ベストセラーとなる。ほかにも、『モップガール』シリーズ、『アー・ユー・テディ?』シリーズ、『メゾン・ド・ポリス』シリーズなどドラマ化作多数。近著に、『渋谷スクランブルデイズ インディゴ・イヴ』、『メゾン・ド・ポリス5 退職刑事と迷宮入り事件』がある。
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