〈第1回〉加藤実秋「警視庁レッドリスト2」

警視庁レッドリスト2

発売即重版の新・警察小説!
待望の続編スタート!!

 身長は自分とほぼ同じながら、体の横幅と厚みは倍近くありそうな稲葉と向かい合い、慎は問うた。

「一つ伺いたいのですが、稲葉さんの武術専科の同期に助教に任命されなかった職員はいませんか? あるいは、武術専科をドロップアウトした職員」

「助教に任命されなかったやつはいないけど、ドロップアウトしたやつなら一人います」

 怪訝、というより迷惑そうに太く黒々とした眉根を寄せ、稲葉は答えた。慎は「そうですか」と頷き、こう続けた。

「もう結構です。後日、追加でお話を聞かせていただくかもしれませんので、その時はよろしく」

「はあ」

「では、失敬」

 口の端を上げて会釈し、慎は身を翻した。道場の出入口に向かうと、みひろが追いかけて来た。

「わかりました。内通者は助教になりたくてなれなかった職員で、稲葉さんを逆恨みしたんですね?」

「ええ。本庁に戻ったら、制度調査係から内通電話の音声を取り寄せて下さい。それを稲葉巡査部長に聴いてもらい、ドロップアウトした職員のものと一致したら、その職員を聴取するよう監察係に報告します」

 そう命じながら、慎は開け放たれたドアから道場を出た。そこで立ち止まって踵を返し、場内に一礼してから前に向き直る。慌てて、みひろも倣った。二人でドアの脇に置かれた下駄箱からスリッパを出して履いていると、みひろはほっとしたように言った。

「じゃあ、稲葉さんは無実で懲戒処分はなし。これで調査終了ですね」

「そうなりますね。ただし、あの性格及び嗜好が内通の原因になった可能性が高いので、所属長を通じて注意します」

「室長の読み通りでしたね。警察官に柔道経験者は大勢いますけど、一度技をかけられただけじゃ上手い下手ぐらいしかわかりませんよ。室長には、何でもお見通しなんですねえ」

 バッグの持ち手を肩にかけ、みひろは感心したように慎を見上げた。慎は薄く微笑み、右手の中指でメガネのブリッジを押し上げた。

「室長には、ではなく室長、つまり僕だから何でもお見通しなんです」

 みひろは目と口をぽかんと開けた後、「そっすね」とうんざりした顔で横を向いた。意に介さず、慎は「車で待っていて下さい。着替えてすぐに行きます」と告げて廊下を歩きだした。

 

 2

 みひろが警察車両のセダンの中で待っていると、間もなくダークスーツに着替えた慎がやって来た。慎の運転で渋谷東署を出て、霞が関の警視庁本部庁舎に戻った。地下二階の駐車場にセダンを停め、本部庁舎を出る。広い敷地を歩いて端にある別館に入った。

 古く小さな別館にはエレベーターはなく、みひろたちは階段を上がっている。慎は休むことなく脚を動かしているが、そのペースはいつもより遅く、さっき片手でスーツのジャケットの腰をさすっていた。

「問題ありません」とか言ってたけど、しっかり倒されたダメージを受けてるじゃない。やっぱり三十七歳のおじさんだわ。前を行く慎を眺め、みひろは呆れた。

 四階まで上がり、廊下を進んだ。くすんでキズや汚れの目立つ白いビニールタイル張りの廊下はがらんとして、他に人気はない。突き当たりの手前まで行き、二人は傍らの部屋に入った。出入口のドアには「職場環境改善推進室」のプレートが掲げられている。

「お帰り〜。お邪魔してますよ」

 室内を進む二人を、明るく呑気な声が出迎えた。部屋の中央に向かい合わせで置かれた事務机の手前の一卓に着いた男が、笑顔を向けてくる。歳は五十代半ば。小柄小太りな体を、濃紺のスーツにネクタイという警察の冬の制服で包んでいる。左胸に付けた階級章は、警部のものだ。

「豆田係長。お疲れ様です」

 挨拶を返し、みひろは豆田益男が着いている自分の机に向かう。だがビジネスフォンとノートパソコンが載った机の上に白い粒と粉が散らばっているのに気づき、「ちょっと。なんですか、これ」と声を上げた。

「ごめんごめん。待ってる間に、お腹が空いちゃってさ。それにほら、ここは寒いから。外は春爛漫だって言うのにねえ」

 頭髪とは反対に黒くふさふさした眉根を寄せて捲し立て、豆田はスチール製の椅子から立ち上がった。その手には醤油煎餅が入った袋と、緑茶の入ったマグカップ。マグカップはみひろのもので、出入口脇の棚の上に置かれているのを勝手に使ったのだろう。

「窓際部署ですから。その窓際は、あの有様ですけど」

 みひろは返し、手のひらで机上の煎餅の粒と粉を払って部屋の奥を見た。

 狭い部屋の壁際には大小の書類棚とデジタル複合機が並びオフィス然としているが、奥の窓の前には大量の段ボール箱が積み上げられ、古いホワイトボードやロッカー、なにかのイベントの看板や着ぐるみの頭部なども置かれている。陽は全く入らず、天井の蛍光灯を点していても薄暗く、漂う空気は冷え冷えとして、夏は湿っぽく冬は埃っぽい。

「また、そういうことを言う。職場環境改善推進室は窓際部署じゃありません。職務が職務だから目立つ場所にオフィスを構えられないだけで、少数精鋭。室員それぞれが前部署での経験と知識を活かし、監察係では賄いきれない職務を」

「それって要は、日陰者の下請けってことでしょ」

「だから……三雲さんも、お腹が空いてるでしょ? もうお昼だもんね。よかったらこれ。差し入れに持って来たんだけど、待ってる間に食べちゃった。でも半分残ってるから」

 そう捲し立てながら、豆田は煎餅の袋を差し出した。みひろは脱力しつつ「どうも」と袋を受け取り、バッグを机に下ろした。

 


「警視庁レッドリスト」シリーズ連載アーカイヴ

 

加藤実秋(かとう・みあき)
1966年東京都生まれ。2003年「インディゴの夜」で第10回創元推理短編賞を受賞し、デビュー。『インディゴの夜』はシリーズ化、ドラマ化され、ベストセラーとなる。ほかにも、『モップガール』シリーズ、『アー・ユー・テディ?』シリーズ、『メゾン・ド・ポリス』シリーズなどドラマ化作多数。近著に、『渋谷スクランブルデイズ インディゴ・イヴ』、『メゾン・ド・ポリス5 退職刑事と迷宮入り事件』がある。
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