出口治明の「死ぬまで勉強」 第8回 「非認知能力」を育てる

偏差値と実社会を生き抜く能力とは関係がない。偏差値とは無関係に豊かな人生を送ることができるルートが、世の中には星の数ほどある。読み書きそろばんなどではなく、やり抜く力やがまんする力、コミュニケーション能力など、数値では測定できない「非認知能力」を高めることが肝要だ。

■偏差値に縛られない生き方

 ところで、東京大学をはじめとする有名大学に入るのはどんな人でしょうか。条件反射、脊髄反射能力に優れていて、難しい問題を短時間で解くことができる人や、競争心が強くて、どんなものでも全部トップを目指すというタイプ。それらが偏差値の高い人の特徴です。
 僕の身の回りにも、親からいわれなくても自発的に勉強することができたり、すべて1位でないと気が済まないタチの人がいました。僕自身は、競争にはそれほど興味がなかったのですが……。
 でも、世の中にはなんでもトップという人は稀で、足の速い人もいれば遅い人もいるし、語学が得意な人もいれば苦手な人もいます。算数が得意な人も、嫌いな人もいるでしょう。それはすべてその人の個性なので、強い部分を伸ばしていくのが、これからの教育のあり方だと思っています。
 競争心が旺盛で満遍なく勉強ができる偏差値の高い人は、東京大学をはじめとする有名大学に入ってください。それはそれで十分に価値のあることです。一方、偏差値にはあまり興味がなく、じっくりと物事を考えるタイプや、他人と違うことを考えている尖った生徒は、ぜひAPUに来てほしいと思います。

 偏差値が高ければ人生の役に立つかといえば、そうとは限りません。たとえば日本で最もたくさん社長を輩出しているのは、偏差値がトップの東京大学ではありません。その事実は、偏差値と実社会を生き抜く能力とは関係がないというひとつの表れでもあると思うのです。
 世の中には無数の道があり、偏差値とは無関係に豊かな人生を送ることができるルートが、星の数ほどあるのです。
 そのカギはダイバーシティ(多様性)にあります。APUは開学準備段階から「学生の50%を留学生に」「学生の出身国を50ヵ国・地域以上に」「教員の50%を外国人に」という「3つの50」を掲げてきました。文科省の関係者も無理だと思っていたこの目標を、関係者の努力や多くのみなさんのご支援と応援をいただいたおかげで、開学初年度からクリア。18年目となる現在でもこの水準をさらに高めています。
 90近いさまざまな国から学生がやってきますが、APUで共通言語となっている英語は、多くの人にとって母国語ではありません。日本人学生も含めて、英語でディスカッションをすることはけっこうなストレスになります。
 それでもあきらめずにコミュニケーションをとり、お互いの違っているところや共通点を探していく作業は、必ず将来、財産になっていくと思います。
 最近、教育の分野で注目されている「非認知能力」というものがあります。読み書きそろばんやIQなど、点数化できるものを「認知能力」と呼ぶのに対し、やり抜く力やがまんする力、コミュニケーション能力など、数値では測定できない能力全般を「非認知能力」と呼んでいるのです。世界中から学生が集まるAPUは、自ずと非認知能力が高い人材を育てる土壌ができているのです。

 

■たくましいAPUの学生たち

 APUでは、すでに10年以上先を見据えた「2030年ビジョン」を発表しています。3年先の業績すら読みにくい企業とは違って、大学は「人を育てる」という、非常にロングランの役割を担っているので、少し遠い将来まで視野に入れて経営していかなくてはなりません。
 2030年ビジョンの骨子は「APUで学んだ人たちが世界を変える」というものです。「世界は広いで」「自分の好きなところで自分の持ち場を見つけて行動するんやで」というのがAPUの基本姿勢ですが、APUではこれまでに144の国や地域から受け入れた1万6000人の卒業生がいて、「チャプター」と呼ばれる大学の同窓会組織が、海外は25ヵ国・地域に展開しています。その卒業生たちが世界で自分の持ち場を見つけ、APUで学んだことをベースに自ら考え行動して世界を変えていくのです。

 
死ぬまで勉強第8回イラスト

イラスト:吉田しんこ

 
 先日、学長室にふらっと遊びに来た大阪・茨木市出身の男子学生は、在学中にNPOの活動でアフリカの最貧国のひとつであるマラウィに行ったそうです。マラウィ湖という大きな湖がある国ですが、そこで現地の人々の優しさに惹かれてしまった、といいます。
 そして、
「これから10年間、マラウィで大暴れしてきます。社会貢献をがんばって、毎年3人くらい、マラウィの優れた子どもたちをAPUに送ります」
 と言ってくれました。
 たくましいですよね。「ちょっと行ってくる」ではなく、初めから「10年がんばる」というビジョンを持っている、その心映えが素晴らしいです。こういう尖った学生がこれからの世界を変えていくと思います。
 ほかにも、「ジョブズを超える」という女子学生や、「マザーテレサになる」という学生もいます。本当に将来が楽しみです。
 彼や彼女たちに限らずAPUの卒業生、とくに国際学生は、日本の企業でも引っ張りだこです。たとえば石油資源開発(JAPEX)は国内外で石油・ガスを探索・採掘している会社ですが、外国籍の社員6人のうち4人がAPUの卒業生です。
 また、先日は篠田製作所(鋼製橋梁および各種プラント機器・設備の設計から施工までを手掛ける企業)という理系の企業の方から、「APUの学生を採用したい」といわれました。APUは文系の学部しか持っていないのになぜかと思ったら、「APU生は3言語ができるからだ」というのです。
 たとえばベトナムでプロジェクトを試みるとき、APU出身のベトナム人がいれば、言葉はもちろん、現地の文化などもよく知っています。さらに、英語と日本語もできるのですですから、重宝されるのでしょう。
 また、APUでは社会で働く人材のグローバル化養成プログラム「GCEP(ジーセップ)」(Global Competency Enhancement Program)を開始しています。
 2ヵ月間ないし4ヵ月間、APUの学生寮に泊まっていただいて、経営論などの講義をすべて英語で受けていただくのです。国際学生と交流する毎日ですから、その期間は留学しているようなもの。しかも、世界90ヵ国の人から学べるのですから、まさにダイバーシティそのもの。国連のような世界を肌で実感できます。
 つまり、社会人に、逆インターンとしてもう一度学生をやってもらうようなものですが、それだけで非常に勉強になる。多面的なものの見方が身につくのです。
 GCEPにはさまざまな業種の方が来られているのですが、先日は首都圏の鉄道関係の起業の方がいらっしゃいました。「東京オリンピック・パラリンピックも近いので、世界の人々がどんなことを考えているか勉強してくるように」といわれたそうです。
 APUのGCEPはまさに「人・本・旅」の社会人のリカレントための学校です。世界90の国の人と出会える。授業でたくさんの本を読まされる。しかも、東京からAPUへの旅がある。これで世界が身につかないはずはありません。

 

※ この連載は、毎月10日、25日ごろ更新します。
 第9回は10月25日ごろに公開する予定です。
 

プロフィール

死ぬまで勉強プロフィール画像

出口治明 (でぐち・はるあき)
1948年、三重県美杉村(現・津市)生まれ。 京都大学法学部を卒業後、1972年日本生命保険相互会社に入社。企画部などで経営企画を担当。生命保険協会の初代財務企画専門委員長として、金融制度改革・保険業法の改正に従事する。ロンドン現地法人社長、国際業務部長などを歴任したのち、同社を退職。 2008年ライフネット生命保険株式会社を開業、代表取締役社長に就任。2013年に同社代表取締役会長となったのち退任(2017年)。 この間、東京大学総長室アドバイザー(2005年)、早稲田大学大学院講師(2007年)、慶應義塾大学講師(2010年)を務める。 2018年1月、日本初の国際公慕により立命館アジア太平洋大学(APU)学長に就任。 著書に、『生命保険入門』(岩波書店)、『直球勝負の会社』(ダイヤモンド社)、『仕事に効く 教養としての「世界史」Ⅰ、Ⅱ』(祥伝社)、『世界史の10人』(文藝春秋)、『人生を面白くする 本物の教養』(幻冬舎新書)、『本物の思考力』(小学館)、『働き方の教科書』『全世界史 上・下』(新潮社)、『0から学ぶ「日本史」講義 古代篇』(文藝春秋)などがある。

<『APU学長 出口治明の「死ぬまで勉強」』連載記事一覧はこちらから>

初出:P+D MAGAZINE(2018/10/10)

ヤマ王とドヤ王 東京山谷をつくった男たち 第三回 「昭和の歌姫」と山谷
死刑執行直前の思いとは――『サリン事件死刑囚 中川智正との対話』