出口治明の「死ぬまで勉強」 第21回 ゲスト:ヤマザキマリ(漫画家) 「生きる」という勉強(後編)

「逃げる」という言葉には、否定的なイメージがつきまとう。
学校でも会社でも、「逃げない」ことが高く評価される。
でも、逃げたほうがいい場面は必ずある。
逃げないで心身を壊してしまったら、元も子もない。
人生のプロ2人が語る、「逃避のすすめ」。

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■ヤマザキ「ポルトガルの異文化を尊重する風土には感動しました」
■出口「異質なものを受け入れない国や地域は、衰退していきますよ」

出口 ヤマザキさんは日本やイタリアのほかにも、いろいろなところにお住まいになられたそうですね。
ヤマザキ シリア、ポルトガル、アメリカですね。あと短期間ですがエジプトやキューバにもいました。
 ポルトガルではリスボンに住んでいたのですが、「ここから去るのはつらいな」と思った最初の街です。7年間住んでいましたが、いつかまた戻ろうと思っていて、家はそのままになっています。
出口 僕も旅行で何度も訪れたことがありますが、リスボンは素晴らしいところですね。とくに坂のある光景に惹かれます。
ヤマザキ 暮らしていると坂道だらけで足がクタクタになりますけどね。
 私はポルトガルの人々のメンタリティが好きなんです。イタリアだとみんな自我意識が強いし、ずっといっしょにいると、若いときは平気だったんですが最近はどうもヘトヘトになってしまうことが多い。だけどポルトガル人はプライドが高いけれど謙虚で、どこか東洋的です。
 ポルトガルは500年前にはあれだけ栄華を極めた国なのに、いまは本当につつましく、それでいてしっかりとした矜持があります。
 息子は小中時代をポルトガルで過ごしましたが、あの時期にポルトガルで教育を受けられたことは、本当によかったと思います。
出口 教育の仕方そのものが他の国と違うのですか?
ヤマザキ まずポルトガルという国は、異質なものに対して戸惑いは覚えても、だったら排除、という発想には繋がっていません。500年前から植民地をたくさん持っていたので、ヨーロッパのどの国よりもいち早く移民文化が栄えて、それがすっかり板についています。あの狭い国に、いろいろな宗教観、いろいろな哲学、いろいろな価値観が共存していて、それが当たり前になっているんです。
出口 アメリカは移民の国だといわれますが、その歴史は250年もありません。ポルトガルはスペインと並んで、15世紀半ば以降、ヨーロッパが海に乗り出した時代の主役であり、外国との交流の歴史の深さは、アメリカの比ではないでしょうね。
ヤマザキ ポルトガルに来てまず感動したのがテレビCMです。カフェで働くブラジル人や、電気工事をしているアンゴラの黒人など、いろいろな国や民族の人が映っていて、何かと思ったら、「この人たちの協力があってポルトガルが成り立っています」という政府のコマーシャルでした。それを見て、なんと成熟した国なんだろうと思いましたね。
 どんな共同体でも、必ずはみ出す人を見つけて、いじめてしまう。これはもう人間の性で、何千年経っても変わらないでしょう。だけどポルトガルは、「われわれには違いはあるけれど、それに構わず共同体としてやっていける」ということを、毅然とした姿勢で国として発信している。これはすごいと思いました。
出口 まさに歴史の厚みですね。そういう懐の深さは、学校教育にも見られるのですか。
ヤマザキ 最初に大家さんから、子どもはカトリックの私立学校へ入れなさい、とすすめられました。でも、その学校には一人も外国人がいなかった。みんな白人のポルトガル人で、政治家や大企業の重役のお子さんばかり。しかも学校のなかに滝が流れているんです。「違う違う、これじゃない!」と思って、地元の、家のそばにある公立小学校に入れました。
 そこは、なんの変哲もない普通の公立学校なのですが、うちの息子がまったくポルトガル語ができないことがわかると、週3回、特別にポルトガル語教室をつくってくれました。もちろん無償です。もともとそういう仕組みがあったわけではなく、先生方が話し合って、「輪番でやろう」と決めてくれたのです。
出口 それは素晴らしいですね。地元の学校は人種も多様ですか。
ヤマザキ はい。学芸地区で文化の薫り高いエリアではあるのですが、公立なので恵まれた家庭の子もいれば、移民や、普通に貧しい家の子どもたちもいました。
 いまでもよく覚えているのは、息子とガキ大将のトラブルです。教室で息子が折り紙を折っていたら、女の子がわーっと寄ってきた。それを見ていたガキ大将が、おもしろくないから息子のお腹を蹴ったらしいのです。
 私が激高して、「どこのどいつだ、私が話をつける!」と息巻いていたら、息子に「やめて。あいつはお父さんがいま刑務所にいて、いろいろ大変なんだよ」と止められました。10歳の子どもが、そういう社会の複雑な事情を学べる環境は、やっぱりいいなと思いますね。
出口 同じようなバックグラウンドを持っている人が集まると、ハレーションを起こすことは少ないけれども、逆に何も新しいものは生まれません。異質な子どもたちが集まれば、トラブルも多いかもしれませんが、その分、学ぶこともたくさんあると思います。

 

出口「異質な子どもたちが集まれば、トラブルも多いかもしれませんが、その分、学ぶこともたくさんあると思います」 ヤマザキ「我が家の玄関に靴が並べてあるのを見て、息子の友だちたちは全員靴を脱いで並べはじめました。違う文化をリスペクトする気持ちを持っていることに感動しました」

出口「異質な子どもたちが集まれば、トラブルも多いかもしれませんが、その分、学ぶこともたくさんあると思います」
ヤマザキ「我が家の玄関に靴が並べてあるのを見て、息子の友だちたちは全員靴を脱いで並べはじめました。違う文化をリスペクトする気持ちを持っていることに感動しました」

 

ヤマザキ まさにそのとおりだと思います。子どもをインターナショナルスクールに通わせている日本人のお母さんに「公立の学校に通わせるなんて怖くないですか、素性のはっきりしない子どもも混ざってるんでしょう?」と聞かれましたが、「素性がはっきりしない子どもが混ざってたほうが俄然楽しいですよ、いろんなトラブル込みで」と答えて、唖然とされたことがあります。
 じつはその後、息子の誕生日に友だちが遊びに来ました。あのガキ大将もです。靴下に穴が空いていたけど、そんなこと気にしていなかった。子どもたちは、我が家の玄関に靴が並べてあるのを見て、何も言わずに自分たちも靴を脱ぎ、並べはじめました。もちろん、ガキ大将もです。
 ポルトガルの家庭では家のなかでも土足ですが、「ここは異文化の家だから、その流儀を尊重しよう」とリスペクトする気持ちを持っている。お金があろうとなかろうと、あるいは文化が同じだろうと異なろうと、相手をきちんと認めることの大切さを教えている国なんだと心の底から感動しました。
出口 ポルトガルには多様性を受け入れる文化風土があるんですね。異質なものを受け入れない国や地域は——日本も例外ではありませんが——だいたい衰退していきます。同質社会であり、無菌状態なので活力が湧いてこないのです。
 歴史的に見ても、ポルトガルのように、どんどん外国人を受け入れるところは栄えるんですよ。
ヤマザキ ポルトガルの強さは、まさにそこにあるのかもしれません。
 経済的に豊かなわけではないので、高齢者は年金を少ししかもらえません。でも、ボタンをちゃんと上まで締めて、自分の気品を演出している。横柄さや威圧感がないんですよ。自分にふさわしい見せ方、あり方というものをきちんとケアできるプライド、とでもいえばいいのかな。あの芯の強さはポルトガルにいかないと学べなかったものです。
出口 でも、ビジネスはあまり上手とは言えないのではないですか。
ヤマザキ たしかに、そうです。みんな自分たちに誇りを持っていて、品があるけれども、「私が、私が」という自我意識は低いし、観光でも自らの魅力をアピールする力は弱いですね。
 ポルトガルのワインは本当においしくて私は大好きなんですが、マーケティングが上手ではないから、セールスはあまり良くありません。また、ポルトガル南部の黒豚はスペインのイベリコ豚に負けないくらいおいしいのに、ブランド化もうまくいっていないのか知名度が低い。
 もっとも、そこがポルトガルのいいところでしょうね。南部に行くと、風光明媚な景色のなかで、豚がのんびり幸せそうに寝ているんです。ここでは人間も家畜も切羽詰まっていなくて、自然の摂理に合わせて生きている。そんな光景を見て、ますますポルトガルが好きになりました。
出口 やはり一時期、世界帝国をつくっただけのことはありますね。人間に、余裕があるんですね。
 かつて紙幣にもなった、国民的作家であり詩人でもあるフェルナンド・ペソア(1888~1935)、ポルトガルで初めてノーベル文学賞を受賞したジョゼ・サラマーゴ(1922~2010)など、日本ではあまり知られていませんが、すごい詩人や作家、写真家を輩出しているのも頷けます。
ヤマザキ ペソアは私も学生時代から大好きなので、あえて彼が暮らしていた地域に古い家を購入しました。ポルトガルにはまだまだたくさん素晴らしい作家や映画監督もいます。
 ときどき地元の人から、「ポルトガルの文明はあなたたちのところにも伝わっているでしょ」と、さりげなく語りかけられることがあります。実際、九州はポルトガルの影響が強くて、鶏卵素麺やカステラはポルトガルから伝わったお菓子だし、「ぼうろ」はポルトガル語で「お菓子」という意味。もうそのまんまです(笑)。
 また、熊本の人吉市には「うんすんカルタ」という、デザイン的にはタロットカードに似たカードゲームがありますが、あれも元々はポルトガルのものなんじゃないのかな……。おもしろいのは、夫の実家がヴェネツィアのそばなのですが、いまも老人たちが同じもので遊んでいたりします。
 つまり「うんすんカルタ」は、リスボン、ジェノバ、ヴェネツィア……と港町を回っていき、どういうわけか内陸の人吉まで伝わってしまったと。
出口 それはおもしろい! 地球は丸くて、世界はつながっているということがよくわかる話です。だから広い世界を見ないと、世の中は理解できないんですよね。

※うんすんカルタ
室町時代、ポルトガルの船員たちから伝わったカルタ。ポルトガル語で「ウン(um)」は「1」、「スン(sum)」は「最高」を意味するところから名づけられたという説がある。

 

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