出口治明の「死ぬまで勉強」 第19回 ゲスト:生田幸士(東京大学名誉教授) 「考えるバカが世界を変える」(後編)

生田先生は「バカになること」の重要性を訴える。
「バカになる」とは常識を疑うこと。
物事を鵜呑みにせず、常に疑う気持ちを持ち続けることだ。
そして、ひとつのことに集中できる「変態」と
ゼロベースで考えることのできる「バカ」が
世の中を変えてゆく力を持つ。

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[生田先生のプロフィールはこちら]

■生田「最近はSTEMが重視されていて、リベラルアーツを軽視する風潮がありますね」
■出口「リベラルアーツは、まさに数字、ファクト、ロジックで物事を考える訓練ですよ」

出口治明 すでにお話ししたように、僕の持論は「日本の低学歴構造は企業の責任」ですが、大学にできることがあるとしたら、どんなことだと思いますか。
生田幸士 ひとつは受験システムを変えることでしょう。たとえばアメリカのように、テストの点数だけではなく、半分くらいはボランティア活動や社会活動を評価するかたちにする。すると予備校が試験対策としてボランティア活動や社会活動の仕方を教えるから、高校生の視野が広がってきます。
出口 入試でいうと、僕は機会あるごとに「高校卒業資格獲得試験とセンター試験をいっしょにするべきだ」と言っています。あるいは、東大に行きたい学生は全員入学させてしまうのもいい。そのかわり教養課程でガンガン落とす。落第したらお金がムダになるから、みんなちゃんと勉強しますよ。
生田 それ、いいですね。でも、「みんな入れてしまいましょう」というと、きっと「人手が足りない」「教室がない」と否定的な答えが返ってきます。たとえば名誉教授など、時間に余裕がある先生はたくさんいるし、場所なんて借りればいい。本当はいくらでもやりようがあるのに、とにかくデメリットばかりを強調して、前向きに考えようとしないのがいまの日本社会です。
出口 日本は大きな制度設計が下手ですよね。ディテールばかりに目を向けて、グランドデザインがうまく描けない。
 11世紀、北宋の時代に王安石という名宰相がいました。彼はおそろしく頭が良くて、彼の打ち出した政策には完璧な整合性があった。でも、いきなり全国で施行するようなことはしません。いくら完璧な政策だと思っていても、まずひとつの地方で試し、検証してから全国の法律にしたのです。
 われわれは王安石のように賢くはないのですから、試行錯誤することを恥じる必要はありません。どんどん試して、不都合があれば修正すればいいんですよ。

※王安石(1021~1086)
北宋の政治家。撫州臨川(江西省撫州市)の人。第6代皇帝の神宗の政治顧問となり、制置三司条例司を設置して新法を実施し、政治改革に乗り出す。文章家としても有名。「万言書」は名文として称えられ、唐宋八大家の一人に数えられている。

 

生田「日本では何かアクションを起こそうとすると、すぐに否定的な意見が出されて、潰されることが多い」

生田「日本では何かアクションを起こそうとすると、すぐに否定的な意見が出されて、潰されることが多い」

 

出口「日本はディテールばかりに目を向けて、グランドデザインがうまく描けません」

出口「日本はディテールばかりに目を向けて、グランドデザインがうまく描けません」

生田 日本はもう一度、窮地に陥ったほうがいいのかもしれませんね。第二次世界大戦でボロボロになったから、生き残った人が「日本をなんとかしよう」と頑張りました。いまはなんだかんだいっても恵まれていますから、本気で改革する気になれない……。
出口 ただ、歴史を見ると、いったん潰されてから復活した例は稀有なんです。普通は、負けた国が復活しようとするあいだに、トップランナーの国はもっと先に走っていってしまう。
 日本は戦争で国土が壊滅状態になり、領域が縮小する一方で人が外地から帰ってきたので、奇跡的に復活できました。戦後の高度成長の主たる要因は“人口ボーナス”です。いま同じようなことがあったら、日本はおそらく立ち直れません。まだ余力があるうちに、粘り強く変えていくしかないと思います。
 話を戻すと、僕は先ほどもいったように「数字、ファクト、ロジック」を大切にしているので、大学はそれらを扱う力をしっかり教育すべきだと思います。たとえばデータの見方などです。
生田 それは、もっともですね。データとかエビデンスというと、統計の平均値しか見ない人が多いけれど、平均で見るべきものと、そうでないものを峻別しなければいけません。
出口 その見極めには、やはり「考える力」が必要です。昔から「リベラルアーツ(人文科学、社会科学、自然科学の基礎分野を横断的に教育する分野)が大事だ」といわれているのも、まず考える力がないと何もできないという意味でしょう。
生田 ところがいま日本では、時代はリベラルアーツではなくて、STEM(科学、技術、工学、数学の総称)だといってますね。そのせいか、最近では「数学はロジックだけど、リベラルアーツはロジックじゃない」と勘違いしている人が目立ちます。
 本当は、たとえばエッセイ(小論文)にもロジックが必要で、数学を考えるように、筋道を立てて書かないといけない。そうでなければ、小論文ではなく、ただの感想文になってしまいます。
出口 おっしゃるとおりです。リベラルアーツは、まさに数字、ファクト、ロジックで物事を考える訓練で、「リベラルアーツ=数学」といってもいいくらいです。本当はそれをきちんと大学で教えないといけないのですが、そういう認識を持っている関係者は少ないですね。
生田 本当は気が付いている先生たちが多いと思いますよ。ただ、いまは何かというとコンプライアンスが問われて、自由にものを言ったり行動したりすることが、やりにくい雰囲気があります。問題を起こさないことに神経と時間を奪われるようになっていて……。
出口 わざと問題を起こすのは論外ですが、組織を良くしようと思っての行動が、多少の軋轢を生むのは当たり前。問題を起こさないと、問題解決能力は身に付かないのですから。
生田 まさにそうですね! そう言っていただけると、なんだか心が楽になります(笑)。
 もちろん大学運営にかかわる人も、すべてを社会のせいにするのではなく、自分たちが社会を良くするんだという気概を持って教育をしなければいけない。そして、それができているかどうかを、つねに自省しないといけませんね。
 

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