出口治明の「死ぬまで勉強」 第20回 ゲスト:ヤマザキマリ(漫画家) 「生きる」という勉強(前編)

漫画家として、エッセイストとして大活躍中のヤマザキマリさん。
その原動力のひとつになっているのが
イタリア時代の挫折だ。
学力には自信のあったヤマザキさんが
「知ることに対して謙虚になろうと思った」きっかけとは――?

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■ヤマザキ「境界を越えていくことを想像すると、ワクワクします」
■出口「僕は占いで、『世界を放浪して野垂れ死ぬ』といわれました(笑)」

出口治明 ヤマザキさんは漫画家であると同時にエッセイストでもあり、以前はイタリア語講師やテレビのリポーターもされていたとうかがいましたが、小さいころは何になりたいと思っていたのですか?
ヤマザキマリ どんな仕事をすることになるかはわからないけれど、1ヵ所にじっとしている人にだけは絶対にならないという確信はありました。それは冒険家かもしれないし、絵描きさんかもしれない。あるいは何か研究する人かもわからないけども、ひとつのところにとどまっているのではなく、自分の生まれ育ったところではない、どこか別の場所に行く人になるんだろうな、という感覚はずっと持っていましたね。
 何せ子どものころに憧れていたのは、「裸の大将」の山下清さんと、「ムーミン」に出てくるスナフキンみたいな風来坊ですから。
出口 そう思うようになったきっかけは、何かあったのですか?
ヤマザキ 育った環境でしょうね。小さいころから、母親が自分とは縁もゆかりもない土地に移り住んで働いている姿を見ていたし、家には年がら年中、いろいろな国の人がやってきていました。そもそも私のおじいさんは長いあいだアメリカに滞在していた人なので、そういう血筋なのかもしれませんね。
 いずれにしても、一定の場所にずっととどまりながら生きることはまったく考えられませんでした。
出口 それは農耕民ではなく、遊牧民の感性ですね。
ヤマザキ そうですね。たとえば学校で、「ここまでが学区域です。区域外に行ってはいけません」といわれると、境界の向こうが私の目的地になって、自転車で行ってしまう。「行ってはいけないということは、向こうに何かすごいものがあるんだろう」と逆に好奇心が湧いてくるタイプでした。
出口 僕は出不精な農耕民タイプなので、ヤマザキさんほどアクティブに活動はできないのですが、その感覚はよくわかります。僕は三重県の伊賀の盆地で育ったのですが、子どものころに『山のむこうは青い海だった』(著・今江祥智/理論社)という本を読んで、胸がキュンとなりました。
 あと、母校の高校の校歌の3番が、「四方を囲める山々も 丘に登れば低く見ゆ 吾等の望み山々を 越えて溢れて外に出ん」という歌詞でした。1番と2番はもう忘れましたが、3番だけはよく覚えています。
ヤマザキ 境界を越えていくことを想像すると、ワクワクしますよね。私が住んでいた北海道には広い平野があって、視界の3分の2が空という場所がたくさんあります。しかも千歳市だったから飛行機もよく飛んでいました。子どものころは、飛行機を見るたびに「別の大陸も同じ空でつながっている。早く飛行機に乗って向こうに行きたいな」と思いを募らせていましたね。山を見たときの出口さんと似た気持ちだったかもしれません。
出口 僕はかつて1回だけ占いをしてもらったことがあるのですが、値切ったせいか、めちゃくちゃなことを言われました。「あんたは天涯孤独で、世界を放浪して野垂れ死にをするタイプやで」と(笑)。
 でも、よく考えてみたら、世界を旅しながら行き倒れる人生なら、それはそれで素晴らしいなと思ったりして。
ヤマザキ いいじゃないですか、野垂れ死に! 野生動物や、身近なところでは猫なんかも同じですが、動物って死期を悟るとどこかに姿を消しますよね。子どものころ、ああいう姿の消し方に憧れていました。
「野垂れ死ぬ」という言葉は否定的なニュアンスで使われることが多いですが、私はまったく嫌な言葉に聞こえませんよ。
出口 ええ。人間は星のかけらから生まれたのだから、星のかけらに戻ればいい。死んだら灰にして、海に撒いてもらえば十分です。
ヤマザキ 灰って、要は炭酸カルシウムじゃないですか。そんなものに執着してくれなくていいから、「もし私を思い出したいなら本を読んでよ」と思います(笑)。

 

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