出口治明の「死ぬまで勉強」 第13回 ゲスト:吉田直紀(宇宙物理学者)「宇宙の謎解きはやめられない!」(後編)

観測技術やAIの飛躍的進歩によって、秒進分歩で解明されていく宇宙の謎。
吉田氏は「これまでにわかっているのは17%くらい」だという。
ところが、ひとつ解明すると、それ以上に謎が増えて、
いつまでたっても「17%」は変化しない可能性もある。
「138億年の宇宙絵巻」をひもとく対談第2弾!

■複数の観測データのあいだを、シミュレーションでつないでいくんです(吉田)
■貴族の日記から、当時の生活を推測する作業と似ていますね(出口)

出口治明 小惑星イトカワやリュウグウの調査も含めて、地球外生命体に関しては、さらに探索が進むものと期待されますが、一方で、現時点でかなりわかってきていることもあると思います。
 たとえば宇宙の構成要素は、普通の物質が4.9%、謎の物質「ダークマター」が26.8%、謎の力「ダークエネルギー」が68.3%というところまでわかっているとうかがいました。謎の物質とか、謎の力とか、いわば謎だらけなのに、なぜこんなに細かい数字まで出るのでしょうか。

ダークマター――目には見えないが、重力として働くもの
ダークエネルギー――宇宙を膨張させる力

 
吉田直紀 医者は患者の体温や脈を計ったり血液検査をしたりして、診断を下しますよね。宇宙に関連する研究者も、さまざまな観測結果から総合診断しています。そして、現在の観測事実をもとにすると、多くの研究者が出す「解」がほぼ収束していきます。それが先ほどの数値です。
 もう少し細かくいうと、ダークマターのほうはさまざまな観測技術によって、数値がほぼ直接的にわかっています。一方、ダークエネルギーは、宇宙全体の大きさの変化から計算して推し量っている段階ですね。
出口 なるほど。ダークエネルギーについては、宇宙の膨張速度から逆算して、「こうでなければ説明できないから」と総合診断しているわけですね。
吉田 はい。もちろん違う学説もあって、ダークエネルギーを持ち出さなくても、宇宙が膨張している理由を説明できるとする研究者もいます。どちらが正しいかは、今後の観測を待つしかないのかもしれません。
出口 その観測技術の進化もおもしろいですね。人類は最初、肉眼で観察して、次に望遠鏡や顕微鏡を使うようになり、いまはコンピューターによるシミュレーションも併用して宇宙を把握するようになりました。
 コンピューターは、やはり天文学を変えましたか。
吉田 ええ、コンピューターがもたらしたものは大きいですね。私たちが観測できるのは、「100万年前はこんな様子だった」「38億年前はこうだった」というように、ある一瞬を切り取った宇宙の状態だけ。人類が何億年もずっと宇宙を見続けることはできないので、一瞬と一瞬のあいだはよくわからなかったのです。しかし、物理法則の知識とコンピューター・シミュレーションを使ってあいだを埋めていけるようになった。
「あいだ」については推測に過ぎませんが、観測によってまた別の一瞬が見えると、「やはりシミュレーションは正しかった」とか「少しシミュレーションとは違うな」とわかってくる。宇宙の研究はその繰り返しです。
出口 それは歴史の研究と似ていますね。たとえば貴族の日記で、ある時点の様子はわかりますが、ある日記と別の日記のあいだに何が起きていたのかは推測するしかありません。新たな一次資料が見つかると、その時代についての検証が加えられていく。宇宙の場合は、その推測がコンピューターで精緻にできるようになったわけですね。
 ところで、宇宙の研究でもAI活用は進んでいるのでしょうか。

KRO_0081天文学は、歴史的に見てデータサイエンス的な側面が強い分野です。
「ケプラーの法則」は、ブラーエが残した星空の観測データをケプラーが分析して導きました。

吉田 天文学はAIをわりと早く取り入れた分野で、膨大な宇宙観測データを処理する際に、すでにものすごく活躍しています。
 たとえば、大質量の星が一生を終えるときに起こす大爆発「超新星」の例をあげましょう。星が爆発すると、急に明るくなったあとでだんだん暗くなっていくので、超新星を見つけるには、まず明るさが変わる星――変光星を探します。大きな望遠鏡を使って宇宙の同じ範囲を何回も撮影し、明るさが変わった星をチェックするのです。
 ただし、なんらかの理由で明るさが変わる星は、宇宙にごまんと存在します。そこでAIに、超新星特有の変光パターンを学習させ、変光星のなかから超新星を探し出すのです。
 私たちの研究チームは、すばる望遠鏡に特殊な装置をつけた「すばるHSC」を使い、2016年から2017年にかけての半年にわたってある天域を52回撮影して、超新星候補を2000個も発見しました。これは、一晩に換算すると50個以上のハイペースで、AIがなければ到底実現できなかったでしょう。
 天文学は、歴史的に見てデータサイエンス的な側面が強い分野です。たとえば、「惑星は太陽を中心とする楕円軌道を描く」などとした「ケプラーの法則」は、デンマークの天文学者ティコ・ブラーエ(1546~1601年)が残した星空の観測データをヨハネス・ケプラー(1571~1630年)が分析して導きました。「目的もなくデータを集めて何になる」といわれそうですが、天文学はそういったデータのなかから次々に重要なものを発見してきた。いままで私たちが見落としていたものをAIが見つけて、理論の進展を加速させるのではないかと真剣に考えています。

KRO_0053モンケの疑問を発端として収集されたデータが、ペルシャ、北京、江戸で活用されて暦になっていく。
天文学はデータサイエンスであるということは、このエピソードからわかる気がします。

出口 天文学がデータサイエンスだというのは納得できます。モンゴル帝国第4代皇帝のモンケ(1209~1259年)は、若いころヨーロッパの奥深くまで攻め込んだバトゥ(1207~1256年)の遠征軍に従軍していました。当時、世界中どこでもそうだったように、モンゴルでも戦いの前に占いをします。占い師は、たとえば「朝8時に攻めれば勝つ」という。しかしモンケは、ユークリッド幾何学が趣味だったくらいの教養人なので、それを聞いて「はて、8時はモンゴルの8時か、それとも現地の8時か」と時差の存在とその大切さに思い至りました。
 モンケは皇帝になったあと、弟のフレグ(1218~1265年)を大将にしてシリア、バグダード方面に攻め入らせます。そのときフレグに「ペルシャには素晴らしい天文学者がいるから、連れて帰ってこい」と指示を出した。つまり、モンケはそれだけ天文学の重要性を理解していたのです。
 ところがフレグの遠征中にモンケは死に、次の皇帝には兄のクビライ(1215~1294年)が就きます。帰る場所をなくしたフレグはペルシャに残って、フレグ・ウルス(イルハン国)をつくって自立します。このときフレグはモンケの言葉を思い出して、首都マラーゲに天文台をつくり観測データを収集。そのデータをもとに、「イル・ハン天文表」を完成させました。
 じつはイル・ハン天文表は、その後の暦に大きな影響を与えています。元朝に仕えた郭守敬(1231~1316年)という学者は、イル・ハン天文表をもとに「授時暦」という暦をつくりました。その授時暦に、中国と日本の緯度差を考慮してアレンジを加えたのが、渋川春海(1639~1715年)の大和歴(貞享暦)です。冲方丁の小説『天地明察』は、映画にもなりました。
 モンケの疑問を発端として収集されたデータが、ペルシャ、北京、江戸で活用されて暦になっていく。天文学はデータサイエンスであるということは、このエピソードからわかる気がします。

降田 天さん 『偽りの春 神倉駅前交番 狩野雷太の推理』
◇自著を語る◇ ドリアン助川『水辺のブッダ』