出口治明の「死ぬまで勉強」 第16回 ゲスト:池谷裕二(脳研究者) 「ハマる角には福来たる!?」(前編)
人間のIQは確実に高くなっているのに、
将来を見通すことができないのはなぜ?
科学が進化すると、哲学が廃れてしまう!?
脳科学者・池谷裕二氏と出口学長の
“智の饗宴”第1弾!
■「人間の未来を見通す力は、たかだか知れています」(池谷)
■「だから、学者のいう悲観論は、だいたい外れているんです」(出口)
出口治明 僕は池谷先生の大ファンで、書かれる本はほとんどすべて読ませていただいています。
ひとつ質問があるのですが、『進化しすぎた脳』などでは「人間の脳は何万年も進化していない」と書かれています。一方、中村うさぎさんとの共著『脳はこんなに悩ましい』のなかでは「人類のIQは、世界的に、過去10年ごとに2~3%ずつ上がっている」と書かれていました。これはどのように理解すればいいのでしょうか。
池谷裕二 IQの向上は、遺伝的な進化というよりも、教育や環境の変化によるものです。現在の教育は、まず頭の良さを定義して、その定義に沿った教育を幼稚園から大学まで継続します。しかも世界的にです。その結果、教育成果のひとつの指標であるIQが向上したというわけです。
脳自体は何も変化していないけれども、テストで点数を取るのがうまくなったのです。
出口 ホッとしました。じつは歴史を学ぶ人間からすると、「人間の脳は昔から変わらない」とされているほうがありがたいのです。脳が進化していなければ、現代の人間が古典を読んでも役に立つことになりますから。
池谷 おそらく言葉をもっていなかった時代の人たちも、知能的にはいまと変らなかったはずです。ただ、ツールがあると考え方が変わります。たとえば、数字が発明される前と後では量に対する考え方も違うだろうし、クルマが発明される前と後では移動の概念も異なるでしょう。
単純に考えれば、現代人のほうが、言葉をもたない時代の人間より、進んでいて賢いはずだと思われるでしょうが、それはモノの見方の枠組みが違うだけ。現代人には現代の、昔の人には昔の“スコープ”があるというだけで、知能に差はありません。
出口 つまり脳の構造は同じだから、時代背景という一種のバイアスを僕らが理解すれば、当時の人々の考え方を理解できるということですね?
池谷 はい。僕は歴史学や考古学の使命もそこにあると思っています。当時の時代背景を頭のなかで再現して、「なるほど、だからこのとき、こんな決断をしたのか」と納得することができる。
そうすると、次は「未来に対しても、いまのスコープで測ってはいけないな」ということもわかってきます。人間はいまの尺度で未来を測りがちですが、それはだいたい間違っていますから。
池谷「それは勉強するテクニックが向上しただけで、脳自体は変わっていません」
出口 それで思い出した話があります。僕は伊賀の田舎で育ったのですが、石油ストーブが我が家にやってきたのは中学生のころでした。それ以前は、親父といっしょに山に入って木を伐り、薪をつくっていました。薪割りが大変で、石油ストーブが来たときは、「こんなええもんはないな」と感激しました。
ところが、学校で「石油はあと30年で枯渇する」と習った。そのとき僕は中学3年生で15歳だったので、「ああ、45歳になったらまた山に行かなあかんのやな」と思ったものです(笑)。
池谷 人間の未来を見通す力って、その程度ですよね。じつは、そもそもどうして石油ができるのか、本当にあれは化石燃料なのかということすらわかっていません。ですから、あとどれだけ埋蔵されているのかを「推測できる」という前提を置くこと自体が、いかにも人間らしい傲慢さです。
推測、予測といえば、ガン患者の平均生存率も、ひとたび発表されると数値だけが独り歩きして、不思議な影響力を放ちますね。
ガンの10年生存率が計算されはじめたのはわりと最近で、みなさん、その数値に一喜一憂します。でも、よく考えてみると、10年生存率の計算の対象になった患者さんたちが受けた治療は、少なくとも10年以上は前のものです。統計を精査するにも時間がかかるので、ざっくり15年前の医療技術で治療された場合の10年生存率が算出されているとみていいでしょう。
10年あれば医療はずいぶんと変わります。10年前には助からなかった患者でも、いまなら助かる人はたくさんいます。ですから、15年も昔の医療技術をベースに、いまから10年後の未来を予測するのはおかしな話でしょう。じつに25年もの時間差があるのですから。
本来なら、現在の技術をベースに、10年後はどうなるかということを考えなければいけません。
出口 人間の脳はそれほど賢くはないので、現在の延長線上にしか未来を見ることができません。だから、歴史を見ると、悲観論はいつも外れているのです。
どういうことかというと、たとえば18世紀に『人口論』を書いたマルサスは、食料供給量より人口増加率のほうが大きいと考えて、社会は貧困に向かうと予想しました。でも、実際には技術が進化して食料供給量が増え、人口の増加を十分に賄うことができました。
学者など頭がいいと思われている人ほど、物事を悲観的に見がちなのですが、そういう説は当たったためしがないのです。
池谷 たしかにそうですね。でも、ときに楽観論はあまり賛同してもらえないところもあります。
極端なのが原発問題です。原子力発電は、いまの段階では圧倒的に「悪」だと考えている人が多いでしょう。僕自身も、いまの原子力発電の技術にはまだ問題があると思います。でも科学が進歩すれば、核廃棄物が簡単に処理できるようになるかもしれません。そうすると、天と地がクルっとひっくり返って、「なんであのとき、揉めていたんだろう? 原子力は安価でクリーンなエネルギーなのに」といわるようになっている可能性もあります。
本来、技術はじわじわと発展するのではなく、階段状にステップアップするものです。だから1階にいるいまの人たちには2階の世界が見えません。ところが出口さんの表現をお借りすると、人間は現在の延長線上で未来を見るので、「1階の常識」で物事を判断してしまう。
出口 原発については、あの事故で社会全体が大きなトラウマを抱えてしまいました。ある種の思考停止に陥っているので、あと10年くらい経たないと冷静な議論は難しいのではないでしょうか。技術的な話以前に、まずはトラウマをなんとかしないと。
池谷 そもそも僕たちは広島・長崎の記憶があり、「原子力」という言葉がトラウマになっていますね。僕自身は、被爆国であり重大な原発事故を起こした国だからこそ、科学の力を注いで、この分野に新しい功績をもたらす責務があると思っています。
その一方で、1階に住む市民の常識を「わかっとらんな」と一概に無視することもできないとも感じています。
出口 それはどういうことでしょう?
池谷 たとえば「テレビを観るときには×メートル離れなさい」といわれますね。でもこの言説には、科学的根拠はありません。本やスマホの画面はあんなに近くで見ているのだから、テレビだけがダメだということはありえない。「北枕で寝てはいけない」「夜、爪を切ってはいけない」と同じ類の迷信です。
でも、「テレビは離れて観る」ことがことが社会のマナーになっているので、僕もそれに従っています。民意に背くのは、とてつもなくエネルギーを使いますから。
出口 それは、生きていくうえで、社会的コストを無駄にかけないための知恵のひとつでしょうね。世の中には根拠がないことはたくさんあって、それに一つひとつ「それは違うで」と反論していくと、膨大な時間と労力がかかります。
余裕があれば、それでもいいのですが、人生は有限。エネルギーはできるだけ自分の好きなところに注ぎたいですよね。
池谷 そうですね。「科学的根拠はこうですよ」と正しい情報を発信しても、なかなか世論は変えられません。一方で、「正論大好き」な人もいて、細かな間違いも正そうとしてしまう。僕はどっちもどっちだと思っていて、性格的にはズルいタイプなのですが、そこに労力や時間を割くなら、学術や科学の進歩、そして自分自身の家族に愛情を注ぐことにエネルギーを使いたいという思いがあります。
出口 歴史を見ていると、どうしても抗し難い時代の流れがあることがわかります。ですから、人は川の流れといっしょに流れていくしかない、反抗してもしゃあないでと。
池谷 どうせ流れていくなら、川のまわりの風景を楽しみたいですよね。大切なころでは逆らって泳ぐかもしれませんが、それ以外のところでは、ああ、こんなところに美しい風景があるじゃないかと楽しくご機嫌に流れていったほうがいいと思っているのです。
■「脳科学の発展で、世の中から哲学が消えようとしているのでは?」(出口)
■「それでも、精神のよりどころとしての哲学は必要だと思います」(池谷)
出口 池谷先生をはじめとする科学者の皆さんの研究のおかげで、脳に関する知見は大きく発展してきたと思います。ただ、極端な言い方をすると、僕はそれによって世の中から哲学が消えようとしているのでは? と思ったりするのです。
かつてはカントやヘーゲルが「世界はこういうものである」と大風呂敷を広げていて、それを聞いた人たちは「へぇ~」と感心していましたが、科学、なかでも脳科学がさまざまなことを解明して、大風呂敷を広げる余地がなくなったのではないかと思っているのです。
池谷 そうですね……いまダイバーシティの考え方は極限に達していて、「あなたはそう考えるのね。それでいいでしょう。けど、僕は違う」という風潮になっています。脳科学的に見ると、脳の活動は人によって違うので、考え方が一人ひとり違うのは当たり前。同じものを見ても認識のパターンが違っている、人によって世界観そのものが違うということが証明されているのです。そうであるなら、「世界はこういうものである」と大風呂敷を広げる意味はない、ということになりそうですね。
でも、ちょっと待ってほしいのです。僕は科学をやる者として、大風呂敷にすがりたい気持ちは抜けないんですよ。
出口 なんとなくわかる気がしますね。
池谷 僕のなかで、科学のイメージはワイングラスです。大きな器のなかに液体がなみなみと注がれていて、それを細い脚が支えています。脆く危ういのです。一見が安定しているように見えるのですが、脚がポキンと折れてしまったとき、はじめて自分が立脚していたものの脆さに気づく。そして、時すでに遅し――。
そんなときに僕をやさしく包んでくれるものが欲しい。いわば保険です。それは何かというと、やはり懐の深い大きな世界観をもつ哲学なのかなと。専門の方には怒られそうですが、僕はそれを一種の宗教だと捉えていますが。
出口 たしかに哲学と宗教はよく似ていますね。
池谷 精神は脳が生み出した幻覚にすぎませんが、だからといってないがしろに扱うことはできません。よりどころとしての精神は、人が生きるうえで絶対に必要です。妄想や仮想でいいから、何かにすがりたいと思ったとき、僕の場合は、どちらかというと仏教とかキリスト教ではなくて、哲学をよりどころとしたい、という気持ちはあります。
出口 ただ、いまの時代、大風呂敷を広げるには、ファクトをいちいちチェックしてから広げないと、誰も信じてくれません。そういう難しさはあるでしょう。
池谷 おっしゃるとおりですね。人間は自分の脳で考えざるを得ませんが、その能力には限界があります。しかも、自分の脳の性能が低くて気に入らないからといって、ほかの脳に取り替えるわけにもいかない。だからいまの自分の脳と一生付き合わざるを得ない運命にあります。
でも、その事実をあまり悲観的なものとさせない、つまり、「脳なんてそんなものなんだよ」「それでいいんだよ」と教えてくれる、あきらめさせてくれるものが最近はありますよね。たとえば、コンピュータや人工知能(AI)です。
例をあげましょう。19世紀以来、学者の頭を悩ませていた問題に「四色定理の証明」があります。隣り合った領域を別の色で塗らないといけないとすると、何色必要か、というものです。
いかなる地図も4色あれば塗り分けられることは経験的に知られていたのですが、長い間、誰もそれを数学的に証明できませんでした。ところがいまから約40年前、考えうる約2000種のパターンをコンピュータを使ってしらみつぶしに試し、やはり4色あればいいことが証明されました。
その証明には、人間にはとてもできない複雑な計算も含まれていました。人間の脳の処理能力では証明できないことを、コンピュータが代わりにやってのけたわけです。
出口 最近はそれがさらに発達して、ディープラーニングの世界になっています。
池谷 僕のなかで衝撃だったのは囲碁です。人間同士が対局している碁と、AI同士が対戦している碁では、同じルールで戦っているはずなのに、打つ手がまったく違う。人間には理解できないレベルで対戦し合っていたんです。
出口 アルファ碁は、まさにアルファ碁同士を対戦させることで強くなったんですね。僕がいちばん驚いたのは、アルファ碁は序盤の大局観が圧倒的に優れていること。僕は最初、「コンピュータは細かい計算ができるから、詰めや寄せが強いんだろうな」と思っていました。しかし、囲碁の強い知人に聞いたら、「アルファ碁の強みはディテールより大局観」だというんです。
Google DeepMindによって開発されたコンピュータ囲碁プログラム。2015年10月にプロ棋士をハンディキャップなしで撃破。2017年5月には、世界トップ棋士である柯潔との三番勝負で3局全勝をあげた。この勝利を機に、アルファ碁は人間との対局から引退した。
池谷 そう、アルファ碁が優れているのは直感です。囲碁の場合、次はどこに石を置くかという選択肢が将棋と比較にならないくらい多いので、しらみつぶしに計算すると、コンピュータといえど1億年くらいかかってしまいます。それを数分で判断するということは直感を働かせているということだし、その精度が非常に高いということです。
出口 ただ、想定する範囲が人間よりはるかに広いので、人間の大局観とはレベルが違うんですね。AIからすると、プロ棋士同士の対局も、「幼稚園児が一所懸命、がんばって碁を打っているね」というように見えてしまう。
池谷 おっしゃるとおりです。一方で、「コンピュータ同士の囲碁は美しくない」という人もいるのがおもしろいですね。
先ほどの四色定理の証明は、しらみつぶしにやっただけだから、数学者からすると証明の方法がまったく美しくない。単なる力業で、汚いと感じます。
出口 囲碁の大局観が人間とAIで違うように、人間の脳が感じる美しさと、それを超えたAIの次元の美しさは違うということなのでしょう。
池谷「だからこそ僕は、哲学が打ち立てる世界観に、美しさの極限を感じるんです」
池谷 はい。数学には「美しい証明」ってあるじゃないですか。力業でしらみつぶしに計算するのではなく、緻密にロジックを組み立てて、エレガントに正しさを証明するような――。
そう考えると、その美しさ、スマートさを感じとる、美的感覚ってなんだろう。人間はどんなものを美しいと考えるのだろう、ということが気になってきます。
そこで先ほどの話に戻りますが、僕が哲学にすがりたくなるのは、哲学が打ち立てる世界観に、美しさの極限、美の究極を感じるからなんです。もちろん人間の脳で考えられる範囲での美しさですが。
出口 人間は、自分が理解できる範囲でしかものを考えられませんからね。たとえば宇宙に関する研究も、人間の目線で考えてしまっている。
池谷 そうですね。人間が宇宙を理解しようとするのではなく、「人間が理解するために宇宙が存在する」という本末転倒な理屈を「人間原理」といいますが。
そういうことを、いまわれわれに叩きつけているのが、まさにAIです。2018年、AIを用いた画像診断装置が、はじめてアメリカの食品医薬品局(FDA)で承認されました。網膜症を調べるものです。
その患者が網膜症かどうかは、普通は医者が最終判断して処方箋などを書きますね。ところが新しい基準では、AIが「網膜症」と判断したら、医者がいなくてもそれが結論になる。看護師や臨床検査技師が「網膜症ですね」と診断してしまっていいことになったんですよ。
つまり国家が、医師よりAIのほうが正しく診断できると公式に認めたことになります。でも、アルゴリズムなどを詳しく見てみても、なぜAIがその画像を網膜症と診断したのか、根拠はよくわかりません。「理由はわからないけど、あなたは高い確率で網膜症ですよ」といわれて、はたして人は納得できるのか――。人間の脳の理解を超えたものが示されたときに、僕たちがAIと人間のどちらを信頼するかという問題は、これから大きなテーマになっていくと思います。
プロフィール
出口治明 (でぐち・はるあき)
1948年、三重県美杉村(現・津市)生まれ。 京都大学法学部を卒業後、1972年日本生命保険相互会社に入社。企画部などで経営企画を担当。生命保険協会の初代財務企画専門委員長として、金融制度改革・保険業法の改正に従事する。ロンドン現地法人社長、国際業務部長などを歴任したのち、同社を退職。 2008年ライフネット生命保険株式会社を開業、代表取締役社長に就任。2012年に上場。2013年に同社代表取締役会長となったのち退任(2017年)。 この間、東京大学総長室アドバイザー(2005年)、早稲田大学大学院講師(2007年)、慶應義塾大学講師(2010年)を務める。 2018年1月、日本初の国際公慕により立命館アジア太平洋大学(APU)学長に就任。 著書に、『生命保険入門(新版)』(岩波書店)、『直球勝負の会社』(ダイヤモンド社)、『仕事に効く 教養としての「世界史」Ⅰ、Ⅱ』(祥伝社)、『人生を面白くする 本物の教養』(幻冬舎)、『本物の思考力』(小学館)、『働き方の教科書』『全世界史 上・下』(新潮社)、『人類5000年史 Ⅰ、Ⅱ』(筑摩書房)、『世界史の10人』、『0から学ぶ「日本史」講義 古代篇』(文藝春秋)などがある。
池谷裕二(いけがや・ゆうじ)
1970年、静岡県藤枝市生まれ。東京大学大学院にて薬学博士号を取得。東京大学薬学部助手、コロンビア大学生物科学講座・客員研究員などを経て、2014年より東京大学薬学部教授。「ERATO脳AI融合プロジェクト」の代表でもある。主に海馬や大脳皮質の可塑性について研究しており、その知見に基づいた一般向けの著書は大きな人気を博している。
主な著書は『海馬』(糸井重里氏との共著。新潮文庫)、『脳はみんな病んでいる』『脳はこんなに悩ましい』(ともに中村うさぎ氏との共著。新潮社)、『進化しすぎた脳』『自分では気づかない、ココロの盲点 完全版』(以上、講談社ブルーバックス)、『パパは脳研究者』(クレヨンハウス)など。
<『APU学長 出口治明の「死ぬまで勉強」』連載記事一覧はこちらから>
初出:P+D MAGAZINE(2019/07/03)