【SM小説】美咲凌介の連載掌編「どことなくSM劇場」第12話どえむ探偵秋月涼子の密室

人気SM作家・美咲凌介による、書き下ろし掌編小説・第12回目は、「どえむ探偵秋月涼子の密室」。「密室」で繰り広げられるSMシーンとは……? 謎が謎を呼ぶサスペンスフルなストーリーに思わず没入してしまいます。

「涼子、あのね……」

新宮真琴さんは、足元にひざまずいている涼子に声をかけた。涼子は、「はい」と可愛い声で返事をして、真琴さんの顔を見上げた。今夜はまだ、真琴さんは涼子を、裸にしてはいない。それはベッドの上でのお戯れのときまでとっておいて、今は着衣のまま辱めてやろうと考えているのだ。

「お前があんまりねだるから、わたし、ミス研の部室でもできるSMを考えたよ」

「まあ、どんなSMですの? お姉さま」と、涼子は二つの大きな目で、ベッドに腰かけている真琴さんの顔を真っすぐに見つめた。

ついこのあいだまで、真琴さんは涼子に目隠しをしてやることに凝っていたのだが、最近は少し飽きてしまった。あれはあれで、いろいろとおもしろい。しかし、非常に大きな問題もあることに気づいたのだ。涼子の丸い大きな二つの目の美しさを鑑賞できない、という問題である。

「部室でもできるSMって、いったいどんなことですの?」

涼子は、お行儀よくひざまずいたまま、ほんの少しだけ背伸びをするようにして、真琴さんのほうに顔を近づけた。

「まあ、そう興奮しないで」

「あら、あたしとしたことが……恥ずかしいですわ」

部室でもできるSM。そんなとんでもないことを涼子が真琴さんにねだるというのは、嘘のような本当の話。真琴さんと涼子は、どちらも聖風学園文化大学のミステリー研究会に所属している。真琴さんを「お姉さま」と呼んで慕う涼子は、二年生、真琴さんは一つ上の、三年生。真琴さんのM奴隷であることを自称する涼子は、これまでもしばしば、ミス研の部室でのSM遊びを真琴さんに強要する、という暴挙に出たことがあるのだ。

SMをやると、探偵的頭脳が活性化する――というのが、涼子の主張である。というのも、涼子が自分で語るところによれば、大学卒業後は探偵事務所を開き、世界初の「ドM探偵」として大活躍するのだそうである。バカなのか? バカなのだろう。

だが、涼子はこの地方では富豪として知られる秋月家のお嬢様。実際に探偵事務所とやらを開いたとして――客なんて実際には一人もいなくても、全く困らない境遇なのだ。

「涼子は今、わたしの前で、ひざまずいているね」

「ええ、だって涼子はMで、お姉さまはSですもの」

「でも、部室で、ほかの人がいるときには、そんなことはできないよね?」

「それは……人前だと少しおかしく見えますもの。でも、涼子……お姉さまがどうしてもっておっしゃるなら……」

「いや、わたしはそんなことは言わない。それより涼子、ひざまずくのはやめて、しゃがんでごらん?」

「こう……ですか?」

涼子は、姿勢を変えて、真琴さんの足元にしゃがみこんだ。

「そうそう。そのほうが、実はずっとMっぽいって、わたしは思うんだ。だって、ほら……そのまま膝を開いてごらん? もっと大きく。そして、両腕は頭の上で組むの」

「こう?」

「そうそう。ほうら、とっても情けない恰好になったよ。ぶざまだねえ、涼子」

真琴さんは、そう言うと、こちらを見上げている涼子の頬を、両手でそっと包みこんでやった。そして、顔を近づけて、じっとその二つの目をのぞきこむ。涼子は、パチパチっと二度ほど、音でも聞こえそうな瞬きをして、やっぱり真琴さんの顔をじっと見つめている。

「どうもちがうなあ、涼子。こんなときは、もっと恥ずかしそうにしなきゃ。そっとうつむくとか、視線をそらせるとか……」

「難しいです、お姉さま。だって、あまりにお姉さまのお顔がお美しいので、どうしても目が吸い寄せられてしまいますの。こうやってお姉さまと見つめ合っていられるなんて、涼子、とっても幸せですわ」

「もちろんわたしは、美人だけども……」

真琴さんは、自分の美貌にはかなり大きな自負を抱いている。

「お世辞はいいから、目をふせてごらん」

「はい」

「ああ、可愛い」

真琴さんは、涼子の頬を両のてのひらで、すりすりと撫でてやった。

「でも、お姉さま。こんな格好、ひざまずくより目立つのじゃありません? 部室でこんなこと、本当にできます?」

「うん、だから部室では、しゃがむだけで、膝は閉じておくの。手も、そんなふうに上げたりしないで。でも、心の中では、あさましく股を開いて、腋もさらけ出していると想像するのね。しかも丸裸で。そうすれば、涼子の心は屈辱感でいっぱい。どう? SMには、なんといっても想像力が大切なんだから」

「そうでしょうか」

涼子は、少し不満気だ。

「涼子は、想像よりも、もっと直接的な激しいSMが好みですわ。もちろん、お姉さまのご要望には、服従いたします。服従いたしますけれど、これだとなんだか気が抜けて……」

「じゃ、服従しなさい」と、真琴さんはきっぱり言ってやった。そのまま涼子にしゃべらせておくと、話がどこに飛んでいくか知れないからである。議論を始めると、絶対に涼子には勝てないのだ。

「若さま、それはちょっとお待ちになって。瞬間接着剤はいけません。それより両面テープのほうが適切です」

「どうして? 加賀美先輩」

「その錠を破ってドアをこじ開ける場合を、想定しておいたほうがいいからです。万が一のことですけど、誰かがこの部室に入って錠をかけたあと、急病かなにかで倒れたとしますね。その場合、その人は動けないから、内側から錠を開けることができない。外からドアを押し破るしかないわけですけど、瞬間接着剤で錠を取り付けていたら、かなり大変です。でも、両面テープだったら、割と簡単に剝がれて、ドアを開けられると思います」

「ああ、なるほど」

真琴さんは、そんな会話を聞き流しながら、レポート作成に没頭していた。ここは、聖風学園文化大学、ミステリー研究会の部室。金満家の子女が多く通うこの大学では、サークル活動の部室も贅沢にできていて、エアコン、冷蔵庫、空気清浄機などが完備されている。実を言うと、真琴さんの借りているアパートの一室よりも、居心地がいいのだ。

だから最近、この大学の学生には珍しい貧乏人の真琴さんは、勉強もできるだけこの部室でやっつけてしまうようにしている。自分のアパートの電気代が節約できるという点だけでも、非常にありがたい。

「誰か、下の売店で両面テープを買ってきてくれない? なるべく弾力のあるやつがいいな」

そう言った和人くんの声に応えて、一年生男子の一人が部室を飛び出していった。

部室の錠を交換しようと、さっきから相談を続けているのは、四年生の加賀美蘭子先輩と、二年生の萩原和人くんの二人組。(この二人は婚約している。)今しも、瞬間接着剤で錠を取りつけようとした和人くんを、蘭子さんが止めたところだった。

蘭子さんは、涼子の秋月家にも劣らない富豪の家の出身で、そもそもこの聖風学園文化大学は、蘭子さんの加賀美家が経営する大学である。萩原和人くんは、その加賀美家が昔々世話になったという殿様だか家老だかの家の出で、こちらの実家は大して金持ちでもないが、地元に帰れば権威だけはあるらしい。蘭子さんが和人くんのことを「若さま」と呼んで下にも置かぬもてなしをするのは、先祖伝来の両家における作法であるそうな。バカらしい。

「どれ、ちょっと見せて」

レポート作成に飽きた真琴さんは、ドアの近くまで寄って和人くんに声をかけた。受け取ってみると、かなりがっちりとしたスライド式の錠で、取り付け用のねじ穴がいくつも付いていた。

去年の学園祭で、ミス研の機関誌を売りさばく余興にと、部員各位がコスプレをやることになった。そのとき、着替えのために、部室のドアの内側に小さな閂を取り付けた。その閂がはずれかけたので、今回はもう少しちゃんとした錠を取り付けることになったのだ。この錠は、下の売店で和人くんが買ってきたという。

「これ、本当はネジで固定するものじゃないの?」と、真琴さんが尋ねると、和人くんは――

「でも、それは無理ですよ。だって、ドアは鉄だし、壁はコンクリートですよ?」

「ああ、そうか。で、両面テープで取り付ける……と。なるほど。このレバーを右に動かすと鍵がかかって、左にもどすとはずれる……。うん。なんだか密室殺人のネタになりそうだね」

「あら……」と、蘭子さんが話に割って入ってきた。

「新宮さんは、密室殺人なんかがお好きなの? 意外ね。なんだか、その手のトリックは、あまりお好みじゃないような気がしていたけれど」

「ええ、機械的なトリックは、だいたい好みじゃないんです。氷が凶器で、溶けたからわからなくなったとか……バネで仕掛けがしてあったとか……その手のは、つまらないと思いますね。でも、なぜか密室だけは好きなんです」

「密室殺人っていうのは、ちょっと下らない感じがしますね」と、和人くん。

「なにを言う? 密室のトリックこそ、ミステリーの最大の華だとわたしは思うぞ」

「そうかなあ。もうトリックは出尽くしているんじゃありませんか」

「同感です、若さま」と、当然のごとく蘭子さんも和人くんの側についた。どうも真琴さんは、分が悪いようだ。

涼子がやってきたのは、そんなときだった。

「お姉さま、とってもおいしいエクレアを買ってまいりましたの。あとで、お姉さまのお部屋でいただきましょう」

涼子は、昨夜の話をおぼえていたのか、椅子に腰かけた真琴さんの足元にさっそくしゃがみこむと、どこかで買ってきたらしい菓子箱を、高々と捧げて見せた。そのまま股を大きく開くのではないかと、真琴さんはドキリとしたが、さすがの涼子も両膝はぴったりと閉じている。

「いいから、いいから、早く冷蔵庫にしまって。それから、ほら……ほら、ここに座って」

――と、真琴さんは、自分の隣にある椅子の座面をポンポンと叩いた。

「あら、どうしてですの?」と、涼子は少し口を尖らせるようにしたが、言われたとおりにエクレアを冷蔵庫にしまいこむと、真琴さんの隣に腰かけた。

「涼子。涼子は、密室物について、どう思う?」

「密室と言えば、SMですわ、お姉さま。密室で繰り広げられる、倒錯に満ちた行為の数々。可憐なヒロインは身も心も征服されて……」

「いやいや、ミステリーの話。密室殺人には、どんなイメージを持ってるの?」

「そうですねえ」と考えこむと、涼子は――

「密室って、もう古いんじゃありません?」

「涼子、お前もか」

真琴さんは、がっくりとうなだれて見せた。

午後七時二十分。真琴さんは、ミステリー研究会の部室の鉄のドアを、そっと閉めた。部室のドアは、さっき和人くんが新たに取り付けた内側の錠のほか、外側から南京錠で施錠できるようになっている。ドアノブの下と壁に付いている金具にチェーンを通してあり、そこに番号式の南京錠が備え付けてあるのだ。真琴さんは、その南京錠で施錠を終えると、一階にある売店へと降りて行く。

涼子と和人くん、蘭子さんたちは、変に盛り上がってきたトリック談議の続きをしようと、他の部員も引き連れて、喫茶店へと繰り出していった。真琴さんは、レポートの続きをやるため、一人部室に残っていたのである。そもそも涼子たちの向かった喫茶店は、コーヒー一杯が千円もするので、庶民の娘である真琴さんには向いていない。

涼子たちは、七時半には部室に戻ってくるという。レポートも終わった真琴さんは、そのあいだにちょっと買い物でもしておこうと思ったわけ。

レジで支払いをしているときに、涼子のほがらかな笑い声が聞こえてきた。見ると、涼子、蘭子さん、和人くんの三人が、階段を昇り始めたところだった。(ミス研の部室は三階にある。)真琴さんは、レジを急いで済ませると、三人のあとを追った。

「あら、お姉さま。どこにいらっしゃったの?」

「ちょっと買い物。シャープペンシルの芯とか、いろいろね」

そう言いながら、先頭に立つ。すると、蘭子さんと和人くんに挟まれて歩いていた涼子が、すっと追いついて、真琴さんの腕をとった。こういうところが、涼子の可愛いところである。

部室の前に着くと、真琴さんは南京錠をはずし、ドアノブを回してそっと押した。この建物のドアは、たいていの日本家屋のものとは異なり、外側から押して開くようになっている。西欧式なのだ。

「おかしいな」

「どうなさったの? お姉さま」

「ドアが開かない」

蘭子さんと和人くんが追いつく。

「どうしたんです? 新宮さん」

「ああ、加賀美先輩、ドアが開かないんです」

「貸してごらんなさい」

真琴さんに代わって、蘭子さんがドアノブを握る。やはり開かないようだ。

「密室だ」

と、真琴さんがつぶやくと、涼子が――

「中で誰かが倒れているのかも」

「それはない。外側の鍵が閉まっていたんだから」

「加賀美先輩、ちょっと代わって。あの錠なら両面テープで取り付けたんだから、思い切り押せば、はずれて開きますよ。どう? 押し破りますか」

「ええ、若さま。もう、そうしたほうがいいみたい」

和人くんがノブに手をかけたまま、肩をドアに当ててぐっと押す。なかなか開かない。

「よし、わたしも手伝おう」

真琴さんもドアを両手で押した。やはり動かない――と、カチンとなにかが床に落ちる音がして、急に抵抗がなくなった。よろめくように、和人くんと肩を並べ、室内に入る。誰もいない。

ドアの下に、壊れたスライド錠が落ちていた。鉄のドアと壁には、剝がれた両面テープの跡が、黄色く残っている。

真琴さんと和人くんのあとから、涼子と蘭子さんも入ってきた。

「たしかに、密室状態になっていたようね」という蘭子さんの落ち着いた言葉のあとに、涼子の頓狂な声が続いた。

「あら?」

「ん? 涼子、どうした?」

「あらあらあら?」

「だから、どうした?」

「お姉さま、これって……」

涼子は、さっきまで真琴さんがノートや教科書を広げていたテーブルの上を指さしている。そこには、一枚のレポート用紙が置かれていた。筆跡を隠したらしい、妙にカクカクとした金釘流で、こう書いてあった。

「エクレアは預かった! ドM探偵秋月涼子よ、返してほしければ密室の謎を解け!」

「ああ、エクレア!」

涼子は、冷蔵庫を開けて叫んだ。

「エクレアがありませんわ! 消えてます!」

「ひどいことをする奴がいるなあ。涼子がせっかく買ってきたエクレアを、盗んでいくなんて」

真琴さんは、そっと涼子の肩に手を置いて言った。

「犯人は、いったい誰だろう」

その途端である。残りの三人の口から、全く同時に、声がこぼれた。

「え?」「え?」「え?」

「え?」――と、真琴さんも声を上げた。

わずかに威を正し、蘭子さんが言う。

「新宮さん、あまりふざけてはいけませんよ。犯人は、あなたに決まっているじゃありませんか」

「なぜ、そんなふうに決めつけるんです?」

「だって……」と、今度は和人くん。

「新宮先輩が下の売店に買い物に出たのは、何分前です?」

「十分……くらいかな?」

「その十分のあいだに、誰か未知の人物が、外の南京錠の鍵をはずしてこの部屋に入り、密室をこしらえ、エクレアを盗んでどこかに去っていくんですか? そもそも、どうしてエクレアなんかを盗むんです?」

「それは……私たち以外の……ミス研の部員の一人かもしれないぞ」

「その可能性はゼロですわ、お姉さま。だって、涼子がエクレアを買ってきたことを知っていたのは、私たち四人と、それにあのとき部室にいた一年生が三人で、計七人。そのうち、お姉さまを除く六人は、そろって喫茶店に行って、つい今までいっしょだったんですもの。ということは、この脅迫状……ですか? これを書いたのは、お姉さま以外には考えられません」

「涼子って、思っていたより頭脳明晰だな」

「お姉さまったら。いくらなんでも、涼子をバカにしすぎです。涼子、こう見えても、卒業後には探偵事務所を……」

「うん、わかってる。涼子が明敏な推理力を発揮してくれて、わたしも鼻が高い」

「まあ、お姉さま」

涼子はうれしそうに駆け寄ると、真琴さんの腰にそっと腕を回した。

「イチャイチャするのはその辺りにしていただいて、新宮さん? 密室は上手にできたみたいだけれど、犯人があなただっていうことは、お見通しよ。それにしても、若さまがせっかく取り付けてくださった錠を無駄にするなんて、ひどいじゃありませんか」

蘭子さんは、ややお怒りの様子。それに対して、真琴さんは――

「密室物は、犯人捜しはどうでもいいんですよ、加賀美先輩。密室の謎がどう説き明かされるのか、そこが問題です。それに、錠ですが、ほら……ここに同じものを買ってあります。これから責任をもって、わたしが取り付け直しますから、安心してください」

「それでも、若さまの労力を無駄にしたということに、変わりはないわ。まず謝罪するのが筋ではないこと?」

「いや、まあ、いいですよ、加賀美先輩。ちょっとおもしろいから。実際、どうやって密室を作ったのか、たしかに謎ですね。先輩も、この謎解きをいっしょに楽しみましょう」

「若さまがそうおっしゃるなら……本当に若さまは心が広くていらっしゃるのねえ」

――と、蘭子さんはすぐに怒りを引っこめたが、ちらりとこちらを睨みつけた眼光は、なかなか鋭い。真琴さんは、和人くんのとりなしに内心少しほっとしながら、言葉をつづけた。

「それで和人くん。この密室はどうやって作られたか、見当はつくの?」

和人くんは、床に落ちていた錠を拾い上げて

「この曲がり方を見ると、錠がかかっていたのは、間違いないようですね。外側からこの錠をかける方法があるとすれば……」

「若さま、それはたぶんトリックですよ」と蘭子さん。

「内側から錠をかけた状態で、一度ドアを無理に開けば、そんなふうに錠を壊すことはできます。そのあと、壊れた錠を、鍵の開いた状態で、両面テープを使ってもう一度ドアに貼り付けておく。そうすれば、いかにも錠がかかっていたように見せかけられます」

「さすがです、先輩」と、真琴さんは思わず言った。その通りだったのだ。

「わたしは……」

蘭子さんは、真琴さんの賛辞には取り合わず、先を続けた。

「あれは、心理的な密室だったんじゃないかと思うの。つまり、本当は錠なんてかかっていなかったし、ドアだってすぐに開けることができた。ただ、開かないふりをしたのでは?」

「でも、加賀美先輩も、ドアを開けようとして、開かなかったじゃないですか」

「ええ、たしかに。あのとき、なにかちょっとした細工をしさえすれば……」

「どんな細工です?」と問いかける真琴さんに、蘭子さんは――

「一晩じっくり考えてみたいわね。残念だけれど、わたしと若さまは、これから用事があるの。明日また、答え合わせってことにしない?」

「けっこうです。涼子……涼子は、この謎をどう解く?」

「謎よりも、問題はエクレアですわ、お姉さま。あのエクレア、ちゃんと冷蔵庫に保管しておかなければいけませんのよ?」

「その点は、大丈夫。心配しなくても、ちゃんとそうしてあるよ」

「それなら安心ですわ」

涼子は、真琴さんの腰に片手を回したまま、にっこりした。

用事があるという蘭子さんと和人くんは、部室を出て行った。今、部室に残っているのは、真琴さんと涼子の二人だけである。

「どうした? 涼子。まだ謎は解けないの?」

「だってお姉さま、SMをしてくださらないと、涼子、頭が働きませんわ」

「こういうときのために、昨夜、教えてあげたじゃないか」

「こう……ですの?」

涼子は、真琴さんと並んで腰かけていた椅子から滑り降りると、床の上にしゃがみこんだ。

「そうそう。可愛いね。それから、どうするんだった? たしか、膝を大きく……」

「こう……ですか?」

涼子は、しゃがんだまま両膝をゆっくりと開いていく。

「それで、腕はどうするんだった?」

「こう?」

涼子は、両腕を上げ、頭の上で一つに組んだ。

「ああ、恥ずかしい恰好。ぶざまねえ」

「お姉さまって、本当に意地悪ですわ」

「そうじゃないのよ、涼子。わたしたちの大切な……大切な、あのエクレアのためなの。だって、密室の謎が解けなくちゃ、エクレアは返ってこないんだよ。せっかく涼子が買ってきてくれた、あのエクレア。涼子と二人でおいしく食べようと思っていた、あのエクレア。涼子が、がんばって謎を解かなくちゃ、あのエクレアはもう二度と……」

そう言いながら、真琴さんはそっと両のてのひらで、涼子の頬を包みこんでやった。涼子は、大きな二つの目を見開いたまま、真琴さんをじっと見つめている。

「ほら、涼子。こういうときは、視線をどうするんだった? Mらしく、視線をふせるんじゃなかったっけ」

「そうでした、お姉さま。ごめんなさい。お姉さまのお顔が、あんまり魅力的だから、思わずまた、見つめ返してしまいましたわ」

そう言うと、涼子はそっと目をふせた。

「ああ、可愛い」

真琴さんは、てのひらで涼子の頬をそっとさすってやる。そのときだった。頭の上で組まれていた涼子の腕が素早く動いて、次の瞬間、真琴さんの左手の手首をしっかとつかんでいた。

「お姉さま、この指、どうなさったんです?」

「どうって?」

「この人差し指、なんだか、がさがさしていますわ。怪我? いいえ、そうじゃありませんわねえ。棘でもささったんですか? でも……」

たしかに、真琴さんの左手の人差し指の腹に、小さな異変が生じていた。皮膚の一部が固くなっている。そこだけ皮膚が少し剥離したような――それともなにか透明なものが付着しているような――

「ちょっと肌が荒れただけだよ、なんでもない」と、引っこめようとする左手を、涼子はもう一度、しっかりとつかみ直して――

「本当に、これ、どうしたんです? 皮膚……じゃ、ありませんね。なにか付いてるんです。これ、なんでしょう?」

「大丈夫だったら……」

「あっ」

涼子が、いきなり立ち上がった。

トコトコと、ドアのところまで歩いて行く。そして、ドアを開くと、まず背伸びしてドアの上の部分をじっと見つめ、それからしゃがみこんで、今度は下の部分を見つめている。手をのばして、そっとドアの縁をさわっている。

ばれたか……。

涼子は、ドアを離れると、今度は棚の上に置いてある部室の備品入れへと向かった。そして、中から細長い小さな箱を取り出した。

ああ、ばれた……。

「お姉さま、これですね」

涼子はもどってくると、瞬間接着剤の容器を、真琴さんの目の前に突き付けた。

「密室の謎って……この瞬間接着剤で、ドアを貼りつけていただけなんですね。だから、最初は押しても開かなかったけど、力を入れたら剝がれて開いた。ただ、それだけのことだったんですわ。ドアの上と下に、接着剤の跡が残っていました。お姉さまのその指は、瞬間接着剤がちょっとだけくっついてしまったんですね。そうでしょう?」

「正解」と、真琴さんは言った。

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「お姉さまの指、怪我や病気じゃなくて、本当によかったですわ」

涼子は、心底からほっとしたように言った。

「あのとき……ほっぺたに、お姉さまの手が触れた瞬間、涼子、なんだか変だと思いましたの。いつもすべすべのお姉さまの指先が、ほんの少し、ざらついた感じでした。口には出しませんでしたけど、とっても心配でした。でも、瞬間接着剤がくっついてしまっただけだったんですね」

涼子は、再び真琴さんの前にしゃがみこんで、真琴さんの膝の上に頬をすりつけながら言った。

「本当に安心いたしましたわ」

「もう、しゃがまなくていいよ。ほら、ここに座って」

真琴さんが、隣の椅子の座面をポンポンと叩いて催促しても――

「あら、まだSMは始まったばかりですわ。これから、どんな意地悪をなさるんです? 涼子、とっても楽しみ」

「いや、SMはもう、ここではおしまい。だって、謎は解けたんだから。それより、エクレアを取り返しに行こう」

「そうでした! お姉さま、エクレアをどこにお隠しになったんです? 涼子、その謎のほうが気にかかります!」

「別に隠してなんかいないよ。隣の演劇部の冷蔵庫を借りているだけだ。うちの冷蔵庫が壊れちゃったからって……そう言って」

「では、さっそく返していただきましょう」

涼子は、勢いよく立ち上がった。

「それにしても……」と、真琴さんも立ち上がって

「涼子は、なかなか頭がいいんだなあ。感心したよ。もう少し、時間がかかるかと思ってた」

「あら、今回は、頭の良し悪しは関係ありませんわ」

「どうして?」

「だって……涼子がトリックに気がついたのは、お姉さまの指に、接着剤がくっついていたからですもの。涼子、お姉さまの異変には、たとえそれがほんのちょっとしたことでも、気がつかなくてはいけないって、日々、決意を新たにしていますの。それがMの務めですもの。だから、今回のことは、涼子の頭がよかったというよりも……もちろん涼子、お姉さまの思っていらっしゃるよりは、少しは賢いつもりですけれど……それよりも、涼子のMの心が、トリックを見破るのに役立ったんですわ。ですから、これはSMの勝利なんです!」

「SM……の、勝利?」

「そうですわ」と、涼子は、大威張りで言った。

「SMの勝利です!」

「よくわからないけど……まあ、いいや。とにかくエクレアを返してもらいに行こう」

「エクレア、エクレア」

歩き出した真琴さんの背後で、涼子は歌うように繰り返した。

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◆おまけ 一言後書き◆
幸いにしてご好評をいただいているということなので、この「どえむ探偵」の話をもう少し続けることになりました。ご愛読くださっている皆さん、まことにありがとうございます。

2019年9月20日

美咲凌介(みさきりょうすけ)

1961年生まれ。福岡大学人文学部文化学科卒業。在学中、文芸部に所属し、小説や寓話の執筆を始める。1998年に「第四回フランス書院文庫新人賞」受賞。SMを題材とした代表作に『美少女とM奴隷女教師』『Sの放課後・Mの教室』(フランス書院)など。他に別名義で教育関連書、エッセイ集、寓話集など著書多数。

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初出:P+D MAGAZINE(2019/09/25)

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