【SM小説】美咲凌介の連載掌編「どことなくSM劇場」第14話どえむ探偵秋月涼子の化粧
人気SM作家・美咲凌介による、書き下ろし掌編小説・第14回目は、「どえむ探偵秋月涼子の化粧」。「化粧」は、とてもエロティックなモチーフ。想像力を掻き立てるストーリー展開に、釘付けになってしまうこと間違いなしです。
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「というわけで、秋月さんに話を通してもらいたいんだ」と言ったのは、福間琢磨くん。聖風学園文化大学、ミステリー研究会(ミス研)の部長である。
「なに?」と答えたのは、同じく聖風学園文化大学のミス研に所属する新宮真琴さん。二人はどちらも三年生で、仲はそれほどよくもなく、かといって悪くもなく、まあ「つかず離れず」といったところか。
ただし、この二人のあいだには、ちょっとした引っ掛かりがある。今述べたように、福間くんはこの春からミス研の部長をやっているのだが、本来ならば、この部長という役職は、真琴さんに回ってきたかもしれなかったのだ。
大学の部活動の部長などというものは、煩雑な仕事ばかり多くて面白みは少ない。体育会系の部活ならば、下の学年の者に対して威張り散らすといった楽しみも少しはあるかもしれないが、文科系の部活、しかもミス研などというところでは、それも期待できない。
学年が上だからといって重んじられる――なんてことは、ミス研ではほとんどないのである。
この春、部長を決める際、立候補する三年生は当然のごとく一人もいなかった。では、誰を推薦するかということで投票が行われたのだが、真琴さんと福間くんが同数の票を獲得してしまったのである。じゃんけんで決めればよいという周囲の意見に一人反対して、真琴さんはああだこうだと理屈をつけ、部長職を福間くんに押しつけてしまった。ちょっとした引っ掛かりというのは、そのことである。
「新宮さん、ぼくの話、聞いてなかったの?」
「ごめん。実はあまり聞いてなかった。なんか、恋愛絡みの話だったような……」
真琴さんは、例によって部室を勉強部屋代わりにしている。お金持ちの子女が多く通う、この聖風学園文化大学は、部室の設備もホテル並みに整っている。学費全額免除の特待生で入学してきた貧乏学生の真琴さんにとっては、自分のアパートの部屋で勉強するより快適なのだ。
部室には今、真琴さんと福間くんしかいない。ミス研にしては珍しいことだった。
「端的に言うとね」
――と、福間くんは怒りもせずに言葉を継いだ。ミス研の女王と呼ばれる真琴さんの傲岸不遜ぶりには、もう慣れているのだろう。
「秋月さんに恋愛相談に乗ってもらいたいんだ」
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「なるほど。でも、どうして直接頼まないの?」
「気軽には頼みにくいだろ? なんといっても、あの秋月家のご令嬢なんだから。変に勘繰られても困るし……。でも、君だったら、秋月さんに頼めるだろう?」
たしかに涼子の秋月家は、このあたりでは有名な大金持ちである。もっとも当の涼子は、ただ無邪気で愛らしく、たいへん親しみやすい性格の持ち主だと、真琴さんは思うのだが、福間くんにとってはどうやらそうではないらしい。
「なんだったら、今ここで、わたしが相談に乗ってあげてもいいけど」
「それはお断りする」と、福間くんはきっぱり言った。
「どうして?」
「君は、ぼくの恋愛に興味があるか」
「ほとんどない」
「だろ? たいていの女子は恋愛ごとが大好きだけど、君はちょっと変わってるからな。ちゃんとした助言ができるなんて、とても思えない」
「あのね」と、真琴さんは少し威儀を正して──
「なんだか、女はみんな恋愛好きみたいな言い方をしたけど、そういうのは単なる偏見にすぎないからな。そういう偏見が、性差別につながるんだぞ」
「君だけは、そういうことをぼくに言う資格はないよ」
「なぜ?」
「だって君は、部長をぼくに押しつけるとき、こういう仕事はやっぱり男がやらなきゃいけない……なんて力説してたじゃないか。それこそ性差別というものだろう。女が部長をやって、なんの差し障りがあるんだ? あのときはぼくもなんとなく言いくるめられちゃったけど、今考えたら、理屈にもなんにもなっていない」
「まあ、この話はやめよう」と、真琴さんはあっさりと話題を変えた。
少しでも自分に不利な兆候が見えると、すぐに撤退する。これは真琴さんの最大の美点である。いや、ひょっとすると欠点なのか?
「それで、相談相手に涼子を選ぶ理由は?」
「聞くところによると、秋月さんは、探偵になるとか言っているらしいじゃないか」
「ああ、たしかに言ってるね」
真琴さんは、ほっと小さな吐息をついた。秋月涼子は、真琴さんのSM遊びの相手を務めてくれる、現状では唯一の性的パートナーである。真琴さんを「お姉さま、お姉さま」と呼んで慕い、呼べばいつでもトコトコと真琴さんのあとをついてくる。可愛らしいことこの上ない。そのうえたいへんな美少女で、大学の成績だってそう悪くはない。
ただ、将来設計がでたらめである。
涼子は、大学を卒業したらすぐに探偵事務所を開くのだという。それも、自分は「ドM」だから、世界初の「ドM探偵」として活躍するというのだ。バカなのか? バカなのだろう。大学の勉強がちょっとできたとしても、それはバカではないという証拠にはならないのだ。
「でも、恋愛相談と探偵に、なんの関係がある?」
「ぼくの抱えている問題を解決するには、探偵的頭脳が必要なんだ」と、福間くんは、また妙にきっぱりと宣言した。
「ほう」と、真琴さん。
「ちょっと興味が出てきた」
「君には話さない」
「でも、わたしはどうせ涼子から聞き出すよ。それでもいいの?」
「構わないよ。陰で君たちがぼくの噂をするのは、まったく気にならない。面と向かって、君から無関心で無責任な言葉を投げつけられるのが、我慢できないだけだ」
──と、福間くんは三たび、きっぱりと断言した。真琴さんはその断言ぶりにちょっとだけ好感を持った。そこで、依頼を受けてあげることにした。
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数日後、真琴さんのアパートの部屋。今は、夜の八時を少しすぎたところである。
真琴さんは、縦長の大きな鏡(ふだんは、裸にした涼子の姿を映すために使うのだ)を壁に立てかけ、椅子に腰かけている。隣には、珍しくまだ着衣のままの涼子が控え、忙しく手を動かしている。
真琴さんは今夜、涼子にメイクを習っているのだ。
先日の痴漢退治事件(詳しくは『どえむ探偵秋月涼子の忖度』をお読みください)のとき、涼子は変装をした。服の下に詰め物を入れて太って見せていただけでなく、顔の印象もずいぶんちがっていた。実は真琴さんはあれを見て、少しばかり驚いたのである。
真琴さんは、実はあまりメイクが得意ではない。というよりも、知識がないのだ。だからいつも、同じようなメイクをしている。この機会に涼子にいろいろと教えてもらって、少しはメイクに詳しくなろうと思ったわけ。
「どう? 涼子。うまくできそう?」
──と尋ねたのは、課題が少し難しすぎたか、と思っているからである。今回、真琴さんが涼子に課したのは、「可愛いメイク」なのだ。
美貌には自信のある真琴さんだが、実は「可愛い」と言われることは少ない。小学生のころから「器量よし」「きれいな顔」「将来は美人になる」などとは言われつけてきたが(そして実際に美人になったと自分で思ってはいるが)、可愛いとはなかなか言ってもらえなかったのである。
「もちろんです」と、涼子は自信満々。
「涼子にお任せくだされば、大丈夫。お姉さま、きっと、これがあたし?……って、驚かれますわよ」
「そんな少女漫画みたいなこと、あるはずないだろ?」
真琴さんは、なんだか少し不安である。涼子は太鼓判を押すが、鏡を見ているかぎり、どうもそう上手くいっているようには感じられないのだ。
「ファンデーションは、薄めのほうがベターですわ」
「チークも控えめに、というのが基本ですけれど、今回のお姉さまの場合は、少し強めに入れたほうがいいと思います。位置もふだんより少し低くして、ほっぺがふんわり赤い感じにいたしましょう」
大丈夫なのか? しかし、涼子は夢中で左右の手を動かしている。
「お姉さまは、もともと視線が強いので、アイシャドウは控えめに。そして、目尻を少しだけ下げる感じで、やさしいお顔にしましょうね」
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そんな涼子の声を聞いているうちに、真琴さんは少し眠くなってきた。他人に顔をいじってもらうというのは、なんだか妙に気持ちのいいものだ。いや、他人なら誰でもいいわけではないのだろう。涼子の手だから、気持ちよく感じるのか。
「メイク、メイクっていうけどさ、涼子」
「はい?」
「わたしは化粧っていう言い方のほうが好きだな」
こんな話をしだしたのは、眠気覚ましを兼ねて、今夜このあと予定しているSM遊びに、涼子を引き込むためである。
「どうしてですの?」
「化粧の『化』という字のイメージが好きなんだ。『化ける』ってこと。自分以外のなにかに化ける。この世にはいないはずの、化け物になる。ロマンチックだと思わない?」
「涼子、化け物はちっともロマンチックじゃないって、思いますけど……」
「ケショウのものって、いうだろ? 字はちがうけど。化けるに生きると書いて、化生のもの。化け物だったらかえって、人間には絶対に到達できない美しさを持ち合わせているかもしれないぞ。化粧という言い方には、そんな化け物に近づいていくイメージがあるんだ。わたしにとってはね」
「でも、今、涼子ががんばっているメイクは、お姉さまを可愛くするメイクですわ」
「可愛い化け物だっているかも。いやいや、それどころか、涼子。今夜は涼子が、その可愛い化け物になるんだよ。これが終わったら、わたしが涼子に化粧をしてあげる。すると、涼子はあさましい化け物に変えられてしまうの。恥ずかしくて悲しくて、泣いちゃうかも。でも、きっと、とっても可愛らしい化け物よ」
「まあ、なんだか涼子、こわいですわ。でも、そんな涼子に、お姉さまはやさしくしてくださるんでしょう?」
「どうだろう?」
と、つぶやいてやると、それまで忙しく動いていた涼子の手が、ぴたりと止まってしまった。鏡でたしかめると、本当に不安そうな顔をしている。真琴さんは、わざと意地悪な声を出した。
「どうした? 涼子。手が止まってるじゃないか」
「ごめんなさい、お姉さま」と、涼子はか細い声で答えた。
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「ところで、涼子。福間くんの相談って、どんなことだったの?」
少し薬が効きすぎたか、と思った真琴さんは、話題を変えた。もともと、メイクのあいだにその話を聞こうとも考えていたのだ。
「それが、ちょっと変わったお話でしたわ」
「というと?」
「法学部の双子の美女、お姉さまもご存知でしょう? 二年生の、古賀亜紀さんに、由紀さん」
「知ってるよ。わたし、前から思ってたんだ。あの双子もわたしの奴隷にして、涼子といっしょに調教したら、どんなに素敵だろうって。裸にした涼子の左右に、あの双子を立たせるの。わたし、左右対称の構図が好きなんだ。美的センスが子どもっぽいのかな」
「まあ、お姉さま。いけません。まだハーレム願望を捨てていらっしゃらないなんて。もちろん、それが冗談だってこと、涼子、よくわかってますけど」
「どうだろう? 冗談じゃないかも」
「いけません、いけません!」
涼子は、一生懸命に繰り返した。可愛い。
「わたしを独り占めしたいなんて、涼子は欲張りだなあ」
「お姉さまのほうが欲張りじゃありませんか。そんなに強欲だと、いつか罰が当たりますわ!」
そう言ったあと、しばらく黙りこんで――
「あら?」
「どうした?」
「あらあらあら?」
「だから、どうした?」
「お姉さまのその淫らな野望、考えてみたら、涼子と福間先輩とで、既に打ち砕いてしまっていましたわ!」
「どういうこと?」
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「福間先輩は、亜紀さん、由紀さんの二人のうち、妹の由紀さんに恋をなさったんです。でも福間先輩は、由紀さんからとっても難しい試練を与えられてしまいましたの」
「なんだか神話みたいな語り口だな」
「その試練というのは、お姉さま? こういうことなんです。由紀さんがおっしゃるには、自分と亜紀さんの区別がつけられないような人とは、お付き合いはできない、今度二人がいっしょにいるとき、たちどころに二人を区別することができたなら、交際の申し込みを受ける――と、こういうわけなんですの」
「ああ、それは難しいね。あの二人、本当にそっくりだって評判だもの。でも……」と、真琴さんは少し考え込んで
「顔だけじゃなく、身体全体を見れば、区別がつくんじゃないか? あの妹の由紀さんってのは、たしか高校時代、テニスで有名だったとか……。それで今でも、テニスを続けているんだろ?」
「よくご存じですね。福間先輩は、テニスコートで由紀さんと出会ったらしいですわ。ロマンチックですこと」
「そうか?」
真琴さんと涼子とでは、ロマンチックという言葉の意味が、だいぶ違うようだ。
「まあ、それはそれとして、運動をしている子としていない子だと、身体つきが微妙に違うんじゃないか? 裸にしてみればはっきりしそうだけど、服の上からでも……」
「まあ、裸だなんて」
「いや、別に裸にこだわっているわけじゃないよ? 服の上からでもって言っただろ?」
「それも難しいですわ。だって、お姉さんの亜紀さんも、高校時代はバドミントンをやっていて、今でも続けているんです。けっして運動していないわけじゃないんです」
「服の好みとか、髪型とかで区別はつかないのか?」
「双子判定試験の日には、そんなものを揃えてやってくるに決まっているじゃありませんか」
「福間くんは、試験を受けさせられるわけか」
「それで、涼子に相談なさったわけです。二人をたちどころに見分けるためには、どうしたらいいか、探偵的頭脳で、この問題を解決してほしいって」
「探偵が関係あるのかな?」
「クリスティの小説に、双子の美女が出てくる短編があるそうです」
「福間くんもミス研の部長なんだから、自分で考えればいいのに」
「推理小説と、本物の探偵はちがいますわ。涼子は、本物の探偵になる女ですもの。本物のドM探偵に!」
「う、うん……」と、真琴さんは曖昧にうなずいて
「しかし、それだと確実に見分ける方法はないだろう? なにかヒントはないのか」
「それが、ちゃんとあるんです。試験のとき、二人に対して一つだけ質問してもいい、その答えをヒントにしてもいいって、こういうわけなんですの。ですから、福間先輩の相談は、そのときどんな質問をすればいいのか──その一点に集約できるわけです」
「じゃあ、簡単じゃないか。こう質問すればいい。わが愛しの由紀さんは、二人のうちどちらですか?」
「まあ」
涼子は、真琴さんをちらりとにらんで
「そんな質問はダメだって、決まってるじゃありませんか」
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「そうか。なかなか難しいな。で、涼子は解決できたの?」
「もちろんですわ。お姉さまにだって、もう答えはおわかりでしょう? 女だったら、だれでもすぐにわかりますもの。その点、男の人って、こんな問題にはさっぱりですから……」
「ちょっと待って、涼子。今の発言は、すごく性差別的だぞ」
先日、福間くんに言い負かされた仇を、涼子相手に討っている形だ。
「なんだ? 女だったら、だれでもわかるって。そんなふうに、女という概念で一くくりにされるのは論外だ。というのはだね、涼子。実はわたしには、まったく答えがわからないからなんだ」
「ごめんなさい、お姉さま。でも、そんなふうに堂々とわからないって言えるお姉さま、本当に素敵ですわ」
真琴さんがなにをどう言っても、涼子はここぞというところでは、真琴さんを誉めてくれる。
もっとも本心から誉めているのかどうか、それはずいぶんと怪しいが、真琴さんはそんなことはあまり気にしないたちなのである。
「それで?」と、真琴さんは言葉を継いだ。
「どんな質問をすれば、区別ができる?」
「簡単ですわ、お姉さま。お二人の日焼け止めの、SPFとPAの数値を教えてください。こう聞けばいいじゃありませんか。屋外のテニスコートで汗を流す由紀さんは、屋内でバドミントンをなさる亜紀さんよりも、紫外線防止効果の強い日焼け止めを使っているはずです。そうじゃありません?」
「そう……かも……」
「かも……じゃ、ありませんわ、お姉さま。涼子、以前から、お姉さまは日焼けに無防備すぎるって、思っていましたの。お姉さまのお肌、しなやかで、とってもお強い感じがしますけど、やっぱり紫外線対策は、しっかりなさるべきですわ。涼子、お姉さまのただ一人のMとしてご忠告いたします!」
「ご忠告に感謝します。でも、本当にそれでうまく見分けがつくのかなあ」
「実際、見分けがついたんです。福間先輩は昨日、その質問をして見事にどちらが由紀さんか当てたそうですわ。お二人はお付き合いをなさることに決まったんですって。よかったですわねえ。だから……お姉さま?」
「なに?」
「あの双子美女を、二人ともお姉さまの奴隷になさるなんて、もう無理ですわ。おわかりですか?」
「わかった」と、真琴さんは言った。
「まだしばらくは、わたしの奴隷さまは、涼子一人だけだね」
「まだしばらく、じゃなくて、これからずっとですわ……さあ、お姉さま。いよいよ、仕上げです。リップはかなり厚めに塗りますね。お姉さまの唇、薄くていつもきりっと引き締まっていらっしゃるから、少し厳しい感じがしますの。だから、厚めに塗ることでボリュームをもたせて……はい、完成です。ほら、可愛い!」
真琴さんは、鏡の中にいる自分を見つめた。ふだんの真琴さんとは、別人のようだった。なるほど、「可愛い」という感じがしないでもない。
真琴さんは、涼子の腕前に感心すると同時に、心の奥底でひっそりと、これからはメイクもたくさん勉強しよう──と、そう決意した。
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「さあ、涼子。お待ちかねの時間がきたよ。お前があさましい化け物になってしまう時間が……」
真琴さんは、今はもう裸になってひざまずいている涼子の目の前で、用意しておいたものを何度か左右に振って見せた。
「涼子、これはなんでしょう?」
「マジックペン……ですか?」
「そうだよ。水性マジック。あとで、消しやすいように、わざわざ水性のものを用意してあげたの。感謝なさい」
「ありがとうございます」
「わたしがこれから、これでなにをするか、わかる?」
「わかります、お姉さま」と、小さな声でつぶやくと、涼子はいきなり「あああ……」と悲し気な叫び声をあげた。
「そのマジックで、涼子の身体に落書きをなさるんですね。涼子、知ってますわ。落書きプレイっていうんです! 涼子の裸に、淫売とか、牝豚とか……それよりもっと恥ずかしい言葉を、たくさん書き入れるんでしょう? 涼子、悲しいです。恥ずかしいです。でも……でも……」
涼子の声は、ますます芝居じみていく。
「お姉さまがそれをお望みなら、涼子……耐えてみせますわ! さあ、お姉さま。お好きなように落書きなさって!」
「いや、わたしはそんなことは望まない。というより、涼子? 落書きプレイなんて、どこでそんな下品なことを覚えてきたの? それに、さっき言ったじゃないか。これで、涼子を化生のものにしてしまうんだって。落書きプレイで、化生のものにはなれないだろ?」
「じゃあ、お姉さま。どんなことをなさいますの?」
「こうするの」
真琴さんは、マジックのキャップを、「キュポッ」と音を立てて開けた。そして、まずは涼子の左の頬に、「キュッ、キュッ、キュッ」と、自分で声をあげながら、三本の横線を引いた。
次は右の頬。同じように、三本の横線を引いていく。
「キュッ、キュッ、キュッ。これはヒゲだよ」
最後は、高くはないが、形の美しい鼻の頭を黒く塗ってやる。
「はい、クルクルクルっと、お鼻を真っ黒にして、できあがり」
真琴さんは、涼子を鏡の前に立たせた。その後ろに自分も立つ。
「おヒゲを生やした、お鼻が真っ黒なこの子は、なんていう動物かしら? 犬かしら? 猫かしら? それともタヌキ? いいえ、これは新種の動物ね」
「お姉さま?」
涼子の大きな二つの目がとまどって、くるくるっと動く。
「あっ。動物が口をきいたわ。化け物だわ、化け物。でもなんて可愛いんでしょう! こんな可愛い化け物、存在する? この世にいる? ああ、もう、可愛いすぎる!」
真琴さんは我慢できなくなった。涼子をぎゅっと抱きしめて、その両の頬に、口づけの雨を降らせてやる。
真琴さんのルージュで、涼子の頬がまだらに赤く染まった。水性マジックのインクは唾液で溶け、真琴さんの唇に黒い影をつけた。
その真琴さんの顔を見て、涼子もやわらかな声で笑いだした。
◆おまけ 一言後書き◆
今回は、蘭子さんと和人くんにはお休みしてもらいました。少し寂しいですね。来月は、ちらっとでもいいので、二人にもまた登場してもらおうと思っています。
2019年11月15日
美咲凌介(みさきりょうすけ)
1961年生まれ。福岡大学人文学部文化学科卒業。在学中、文芸部に所属し、小説や寓話の執筆を始める。1998年に「第四回フランス書院文庫新人賞」受賞。SMを題材とした代表作に『美少女とM奴隷女教師』『Sの放課後・Mの教室』(フランス書院)など。他に別名義で教育関連書、エッセイ集、寓話集など著書多数。
初出:P+D MAGAZINE(2019/11/23)