【SM小説】美咲凌介の連載掌編「どことなくSM劇場」第33話 謎のメール事件――どえむ探偵秋月涼子のわがまま

人気SM作家・美咲凌介による、書き下ろし掌編小説・第33回目は「謎のメール事件」。レポートを提出したSのお姉さま・真琴さん宛に、教授から届いたメールには謎の暗号が記されていた。相談を受けた「どえむ探偵涼子」が要求したのは、裸で両手を縛ることで……⁉︎

六月最後の金曜日の夜、真琴さんの部屋でのこと。裸にして、次に華奢な手首をタオルで後ろ手に縛ってやろうとしたとき、突然、涼子がやわらかな声で問いかけてきた。

「お姉さま、なにか心配なさっていることがありますの?」

青いパジャマ姿の真琴さんは、はっとして手の動きを止めた。図星だったのだ。

「どうしてわかった?」

「どうしてって言われても……なんとなく……涼子、お姉さまのご機嫌には最大限の注意を払わなければって、いつも心に思っていますの。それがMの務めですから」

新宮真琴さんは、聖風学園文化大学文学部の三年生。ミステリー研究会(通称ミス研)に所属し、その美貌と長身そして大胆不敵な言動から、ミス研の女王とあだ名されている。秋月涼子は、一つ年下の二年生。この地方きっての資産家の箱入り娘だが、なぜか庶民の娘である真琴さんのことを「お姉さま、お姉さま」と呼んで慕ってくれる可愛い後輩――いや、それだけでなく、真琴さんの大切な性的パートナーでもあり、SM遊びの相手を務めてくれるM奴隷でもある。

「実は、さっき教授から変なメールが来てさ。それで、ちょっと心配というのか……」

「まさか、セクハラメール?」

「そんなことはない。レポートの点数を通知してきただけ。ただ、謎めいたところがあるというのか、暗号じみているというのか……」

「暗号!」

涼子は、声を少し大きくした。両腕を後ろに回したまま身体の向きを変え、真琴さんの正面にひざまずく。そして上目遣いにこちらを見つめ――

「お姉さま、水臭いですわ。どうしてすぐに、涼子に相談してくださらなかったんです? このドM探偵、秋月涼子に!」

そうなのだ。涼子は、ただMを自称しているだけではない。大学を卒業したら私立探偵になるのだという。それも、SM行為をすると途端に推理が冴えわたる「ドM探偵」とやらに。バカなのか? バカなのだろう。

「別に、探偵に頼むようなことじゃないし」

「そんなことありません。これは事件ですわ。謎のメール事件! 涼子、なんだかわくわくしてきました」

「じゃあ、そのメール見てみる?」

――と言ったのは、涼子なら案外、なにか答えらしきものを見つけてくれるかもしれない、と思ったからだ。といっても、本当に暗号が送られてきたと考えているわけではない。ゼミの教授が学生に暗号文を送るはずもない。ただ、涼子は妙にパソコンに詳しいところがある。だから、そちらの方面からなんらかのヒントを見つけてくれるかもしれない――と、まあそんな気がしたのである。

「その前に、この手、ちゃんと縛ってくださいます? 涼子、ドM探偵ですから、手を縛られていたほうが、きっと推理がよく働くと思うんです」

真琴さんは声を立てずに笑いながら、もう一度タオルを手に取って、涼子の両の手首を背中で一つに括ってやった。

涼子は両手を後ろ手に縛られたまま、裸でデスクの前の椅子に腰かけ、ノートパソコンのモニターをじっと見つめている。画面の中では既にメールソフトが立ち上がり、こんな文面が映し出されている。

***************

新宮真琴 様

第 3 回 レポートの結果です。

合否=合格
スコア=90 点

コメント
9nb@q5t@3ljdq>

よろしくお願いします。

瓦田昭利

********************

問題は、コメントの欄の「9nb@q5t@3ljdq>」という一行だ。全く意味がわからない。

画面をじっと見つめたまま、涼子が言った。

「謎めいているっていうのは、このコメントのことですね」

「そう。でも、よく考えてみたら、そんなに気にする必要はないのかも。合否も点数も、はっきりしてるしね」

なんだか不思議だ。さっきまではこのメールのことがずいぶん気になっていたのに、今こうして涼子と二人で見直してみると、(すっかり安心できたというわけではないにしろ)別にたいしたことはないかな、といった感じもしてきたのである。涼子がそばにいるだけで、なんとなく呑気な気持ちになれるのかもしれない。

「瓦田先生のこと、聞いたことがあります。点が辛いって、もっぱらの噂ですわ。それなのに90点って素晴らしいです。さすが、お姉さま」

「お世辞は要らないから、早く解読しなさい」

「これだけじゃデータ不足ですわ。質問してもかまいませんか」

「どうぞ」

「お姉さまの出したレポートって、どんな内容だったんですの?」

「どんなって……芥川龍之介に関してだけど……」

ゼミでは、日本の近代文学をやっている。今回は、明治・大正期の作家の作品を一つ読んで、「その作品の文学史上の位置に言及して」論じよ、という出題だった。真琴さんは、芥川龍之介の『一塊の土』という作品を取り上げ、自然主義やプロレタリア文学と関連づけて書いてみたのである。

『一塊の土』は、芥川龍之介が珍しく農民の生活に取材した作品で、一般に異色作だと言われている。

この作品は、発表当時かなり評判になったらしい。それまで芥川の作品に批判的だった自然主義の作家、正宗白鳥は、この作品だけを非常に高く評価した。芥川の友人だった宇野浩二は――これは発表後かなり経った時点での感想だが――逆にあまり感心していない。ただ二人とも、『一塊の土』は芥川らしくない作品だと感じた、という点では一致している。

しかし『一塊の土』は、本当に「芥川らしくない」作品なのだろうか、というのが、真琴さんの提示した疑問である。働き者の嫁に対して鬱屈した気持ちを抱いていた姑が、嫁の死に際して幸福を感じるはずなのに、なぜかそうはならなかった。この作品のテーマは、つまるところ、そうした心理の機微に収束していくが、とすれば、それは初期の『鼻』や『芋粥』と、ほとんど変わるところはないではないか。

また、『一塊の土』が発表された大正十二年は、プロレタリア文学の勃興期にあたっている。真琴さんの考えでは、芥川はプロレタリアという階級に一種のひけ目を感じていた人間であり、だからこそプロレタリア文学に反発と親しみという矛盾した感情を抱いていた。『一塊の土』は、芥川がプロレタリア文学を十分に意識したうえで、それに対抗するために書いた作品だったのではないか。そして、そうした作品においても、芥川龍之介はやっぱり芥川龍之介だった。

真琴さんはそんな話をしてやったが、どうも涼子には退屈だったようである。

「あんまり、ヒントにはなりそうもありませんわねえ」

「人に長々と話をさせて、ひどいな」

「ごめんなさい、お姉さま」

「ほかに、なにかお気づきになったことはありません?」

「そうだなあ」

真琴さんも、もう一度メールの文面を眺めてみる。

「このメールには、テンプレートがあるんだろうね。点数とコメントの一行以外は、いつも同じ文面だもの」

「同感です。それから?」

「初めは、単なる文字化けかとも思ったんだ。でも、その前後は、ちゃんと読めるだろう。一つのメールの中で一行だけ文字化けするっていうのは、どう考えても不自然だ。だから、これは機械的なトラブルで文字化けしたわけじゃない」

「それも同感です。ほかには?」

「この謎の一行は、@マークで三つの部分に区切られている。そして、それぞれの部分に一つずつ数字が入ってる。9と5と3。どれも奇数だね」

「さすが、お姉さま。涼子、それには気づいていませんでした。たしかに、なんだか怪しいですわね。でも、そのことにどんな意味があるんでしょう? 三文節の言葉なんでしょうか?」

涼子は、またじっとパソコンの画面を見つめ始めた。

真琴さんは今、考えこむ涼子の横顔を眺めている。

黒目がちの大きな目。鼻は高くはないが、すっきりといい形をしている。そして、やわらかそうな唇が、軽く引き締められている。

涼子の唇は、薄くはない。だが、厚ぼったいというのではなく、ふっくらとした感じ。淡い桃色。

なんだか、その唇に触れたい気持ちになってきた。いきなりキスしてやろうか。それとも人差し指の先で、そっとさわってやるだけにしようか。

そんなことを思っていると、ふいにその唇がふわりと開いた。そして、まろやかだがよく響く声が漏れた。

「ねえ、お姉さま? この謎が解けたら、涼子のわがままを一つ、聞いていただきたいんです」

「どんなわがまま?」

「このあとは拘束の時間、そしてご奉仕の時間と続きますでしょう?」

「まあ、そうだね」

真琴さんと涼子のSM遊びには、大雑把な約束がある。初めの一時間は、真琴さんが涼子を拘束して辱めてやる。そのあとの一時間は、涼子が真琴さんにご奉仕をする。そういう取り決めが結ばれたのは、SMの本質はSによるMの拘束にある(これは真琴さんの意見)のか、それともMによるSへのご奉仕にある(こちらは涼子の主張)のか、という論争が未だ決着を見ていないからである。どちらかに決められないならば、順番を決めて両方やってしまおうというわけだ。

「そのあとは、お姉さまがクルマで涼子を、部屋まで送ってくださいますわね」

「もちろん送ってあげるよ」

涼子は、原則として真琴さんの部屋に泊まることはない。さすが良家の子女だけあって、二十歳になるまでは外泊禁止なのである。毎晩十二時に家の者(家族ではなく使用人)から確認の電話が入るので、それまでには部屋に戻っていなければならない。もっとも、時にはその電話に出たあとに、真琴さんの部屋までやってくることもあるのだが……。

「そのとき、そのまま涼子の部屋まで来ていただきたいんです。そして朝まで一緒に……。もちろん駐車場の心配は要りませんわ。来客用の駐車スペースが、ちゃんとありますもの」

「つまり、涼子の部屋に泊まれってこと?」

「そうです」

「どうして?」

「涼子、一度、体力の限界まで、お姉さまにご奉仕してみたいって、そんな、けなげな願望を抱いているんですの」

「自分で、けなげって言うな」

「ごめんなさい。でも、ご奉仕の時間が一時間って、短すぎますわ。三時間でも四時間でも、心ゆくまでご奉仕したいって思うんです。そして、そのままお姉さまの腕に抱かれて、眠ってみたいんですの。いかがでしょう?」

「いや、まあ、うん……」

頬が上気するのを感じる。涼子のご奉仕は、それはそれは上手なのだ。

「まあ……明日は特に用事もないし、涼子がそこまで言うなら、泊まってあげてもいいけど……」

そこで声を励まして――

「でも、そんなことは、そのメールを解読してから言いなさい!」

「実は……」

涼子は、真琴さんの顔を見あげて白い歯を見せた。

「もう解読できましたの」

「本当か? なんて書いてある?」

「『読み応えがありました』って、書いてあります」

「それなら安心だ。でも、どう解読したら、そうなるんだ?」

真琴さんは、もう一度パソコンの画面を見つめた。そこには、

9nb@q5t@3ljdq>

という謎の文字列が横たわっている。

「ほら、見てください。最初の文字は、数字の『9』ですよね」

「うん」

「お姉さま、キーボードの『9』をご覧になって」

真琴さんは、涼子の顔からキーボードへと視線を移した。

「それで?」

「そのキーに、ひらがなも書いてあるでしょう? なんて書いてあります?」

「あっ、そうか」

そこには「よ」の文字が刻印されていた。真琴さんも、ようやく気がついた。

「あの先生、ひらがな入力だったのか!」

「そうなんです。瓦田先生って、ずいぶんお年を召していらっしゃるでしょう? お年寄りって、ひらがな入力をする方がずいぶん多いって、聞いたことがありますわ。ひらがな入力だと、「9」は「よ」になります。次の『n』は『み』、『b』は『こ』、@マークは濁点……。こんなふうに続けていくと、『よみごたえがありました』になります。最後の『>』は、句点ですわ」

「なるほどね。でも、どうして日本語になっていないんだろう」

「たぶん点数の『90』を入力する前に、ここの『半角/全角』キーを押したんです。かな入力を使う人が数字を入力するときは、その前にこのキーを押すんです。そうしたら、半角の数字を入力できるようになるんですわ。そして、もう一度この『半角/全角』キーを押すと、日本語の入力モードになります。先生はそれを押し忘れたか、押したつもりで押しきれていなかったんだと思います。だから、数字やアルファベットの羅列になってしまったんですわ」

「そういうことか。それにしても、メールを送信する前に見直さなかったのかな。一度でも見直したら、自分で気づいただろうに」

「きっと、ずいぶんお急ぎだったんですわ。それに、テンプレートがあるから、流れ作業になっていますでしょう? 点数を入力して、次にコメント、最後に送信ボタン。また次の人へのメールも、点数を入力して、コメント、送信ボタン。その繰り返しだから、つい見落とされてしまったんじゃないでしょうか」

「人騒がせだなあ。でも、まあ……」

真琴さんは、そこでふうっと長い息を吐いた。ようやくすっかり安心できたのである。

「誉めてあったんだから、よしとするか」

「お姉さま、満足そうなお顔。涼子も、とっても嬉しいです。それに、今夜は涼子の部屋に泊まっていただけるということですし……」

「あっ、うん。そうだね」

真琴さんは、緩みかかっていた心を、再びぐっと引き締めた。涼子が体力の続く限りご奉仕する? 心ゆくまで? それを今夜は、全て受け止めなくてはならないのだ。果たして体力が続くだろうか……。

真琴さんは、なんだかまた、ひどく心配になってきた。

◆おまけ 一言後書き◆
今回はピリッと短めに、というのを意識してみました。(それでも掌編というには、長すぎるでしょうか?)なお、前回の話よりも以前の出来事という設定になっております。年が明けたのに登場人物は年をとらないという、サザエさん方式ではありません。

2021年6月15日

美咲凌介(みさきりょうすけ)

1961年生まれ。福岡大学人文学部文化学科卒業。在学中、文芸部に所属し、小説や寓話の執筆を始める。1998年に「第四回フランス書院文庫新人賞」受賞。SMを題材とした代表作に『美少女とM奴隷女教師』『Sの放課後・Mの教室』(フランス書院)など。他に別名義で教育関連書、エッセイ集、寓話集など著書多数。

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初出:P+D MAGAZINE(2021/06/26)

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