【SM小説】美咲凌介の連載掌編「どことなくSM劇場」第39話 緑の謎――どえむ探偵秋月涼子は夢の中でも推理する

人気SM作家・美咲凌介による、書き下ろし掌編小説・第39回目は、Sのお姉さま・真琴さんの夢にたびたび登場する「緑の謎」。大学の植物園に迷い込んでしまった真琴さんは「どえむ探偵涼子」を探しているうちに、淡い緑色をした綺麗な蜘蛛、目が緑色に光る同級生など、緑色にまつわる夢を見続け……。

新宮真琴さんは、夢を見ていた。夢の中で、ああ、今、自分は夢を見ているな――と、はっきりそう感じていた。

大学の植物園の中に、迷いこんでしまったらしい。聖風学園の中にこんな場所があることを、これまで少しも知らなかった。草ばかりが茂っている。花はどこにも咲いていない。

温室になっているのだろう、変に暑くて、あたりには光が満ちている。その光はまるで質量を持っているかのように濃く、重く、そして辺りに生えている無数の植物の茎や葉の色が滲み出したのか、うっすらと緑色に濡れているようだ。

この植物園のどこかに、涼子がいる。

秋月涼子は、大資産家秋月家のご令嬢。真琴さんより一つ年下で、ついこのあいだ二十歳になったばかり。真琴さんのことを「お姉さま、お姉さま」と呼んで慕ってくれる小柄で可愛い後輩であり、大切な同性の恋人だ。それだけではない。楽しいSM遊びのお相手を務めてくれる、自称M奴隷でもある。

「涼子、出ておいで」

どこかに隠れているらしい。探偵ごっこでもやっているつもりなのだろうか。

涼子は、大学を卒業したら探偵になると言っている。それもただの探偵ではない。真琴さんの調教を受けると、それだけで推理力が跳ね上がるドМ探偵とやらになるのだという。バカ? バカなのか?

それにしても、探偵の涼子が隠れて出てこないというのは、話が逆ではないか。探偵のほうが、探す側に回るべきではないのか。

ああ、草の匂いで、息が詰まりそうだ。

「涼子」と、真琴さんは、もう一度呼びかけてみた。

「ここにいるのは、わかってるんだよ」

すぐ近くで、葉のそよぐ気配がした。目の前で、つやつやした大きな葉が、風もないのに微かに揺れている。のぞきこんでみると、葉の上に小さな、淡い緑色をした綺麗な蜘蛛がいた。小指の爪の先ほど――いや、それよりもずっと小さな蜘蛛だ。

右のてのひらをそっと差し出してやる。蜘蛛は一度ぴょんと跳ねると、次の瞬間にはてのひらの上にいた。じりじりと手首のほうに這い上がってくる。

「ああ、可愛い」

途端に手首がちくりとした。

「あっ」

噛まれたのだ。思わず手を振ると、蜘蛛はどこかに見えなくなった。

進んでいくうちに草の数がどんどん減っていき、いつの間にか植物園から出てしまったらしい。小道のほとりにベンチがあって、そこに一組の男女が腰かけていた。例のペア――蘭子さんと和人くんだった。真琴さんたちと同様、ミステリー研究会(ミス研)のメンバーだ。

加賀美蘭子さんは、聖風学園グループの理事長の孫娘。真琴さんより一つ年上の四年生で、もうすぐ卒業式のはずだが、大学院に進学するので、まだ当分はミス研にも出入りするだろう。萩原和人くんは、その蘭子さんより二つ年下の二年生。二人は婚約している。

「涼子を見ませんでしたか」

そう問いかけると、はじめに蘭子さんが、次いで和人くんが視線を上げた。その二人の目が、緑色に光っていた。

「その目、どうしたんです?」

蘭子さんが、のろのろとした口調で答える。

「どうもしないわ」

「でも……緑色になってますよ」

「そんなこと、当たり前じゃありませんか」と、今度は和人くんが、ごく穏やかな声で答えた。

「なにが変なんです?」

そう言われたら、なにも変ではないような気がした。まあ、これはどうせ夢だしな。

真琴さんは、自分が夢を見ていることを、はっきりと知っていた。

「新宮さん。あなた……」

蘭子さんが、また妙にのろくさい声を出して言う。

「涼子ちゃんの居場所が、わからないの? あなたらしくもないじゃありませんか。鈍いのねえ」

それを聞いた途端、なにもかもがはっきりした。そうだ。あの蜘蛛――緑色の小さなあの蜘蛛が、涼子だったのだ。蘭子さんと和人くんの目が緑色に光っているのも、全部そのせいだ。

身をひるがえして、もう一度植物園の中に駆けこむ。草の匂いに、また肺の中が徐々に湿っていく。

「涼子?」

たしかにいる。気配が濃くなっていく。涼子はすぐ近くにいる。真琴さんは、もう一度呼びかけた。

「涼子」

「お姉さま、お目覚めですか?」

目を開くと、目の前に涼子の顔があった。

「夢を見ていたよ」

「どんな?」

「昔の夢。もう三十年以上も昔の……ミス研……大学時代の……」

「なつかしいですわねえ」

真琴さんは、病院のベッドに横たわっていた。涼子の手当てを受けているうちに、眠ってしまったらしい。右腕はてのひらを上にして、ベッドの脇にある特殊な形をした器具に括りつけられている。その手首から、何本もの緑の蔓草が生えていた。そのうちの二、三本は、天井にまで届きそうだ。

涼子は小さなナイフを手に、それを根もとから一本ずつ切り取っているのだった。

「あの……お姉さま? 涼子が不器用で、痛くしたから、目が覚めてしまったのじゃありません?」

「そんなことないよ。少しも痛くない。ただ……」

「ただ?」

「煩わしくて。いっそのこと、一気に引き抜いてしまえたらいいのに」

「お姉さま、そんな捨て鉢なことをおっしゃってはいけません」

「でも、涼子も面倒だろう? もう十年以上も、毎日毎日……」

「ね、涼子?」

真琴さんは、床にひざまずいて用心深くナイフを使っている涼子の顔をのぞきこんだ。大きな二つの目が、こちらをじっと見つめ返した。

「もう私のことは、見放してもいいんだよ。世の中も、こんなに悪くなってしまったし、お前だって、私を放り出したほうが、楽に生きられるだろう?」

そうだ。あれから世の中は、悪くなるばかりだった。あのころ――学生だったころは、もう数年もすれば同性婚くらい認められて、涼子と晴れていっしょになれると思っていた。それなのに――今では迫害を逃れるために、嘘までつかなければならない。病院には、真琴さんと涼子は恋人同士などではなく、本当の姉妹だと偽っている。

「お姉さまったら。また、そんな意地悪なことをおっしゃって。お姉さまといっしょにいられる時間が、涼子にとっていちばん大切な時間だってこと、よくご存じじゃありませんか。この大切な時間を涼子から取り上げることなんて、たとえお姉さまでも、それだけはできませんことよ」

真琴さんは、また涼子の顔を見つめた。色白で丸顔。二つの大きな目。ふっくらとした唇は、やさしい微笑を浮かべている。

「不思議だなあ」

「なにがです?」

「涼子の顔、二十歳のころと少しも変わらない。いつまでも美少女のままじゃないか」

沈黙。しばらくすると、啜り泣きの声が聞こえてきた。

「涼子? どうして泣く?」

そう言った途端、真琴さんはふいに思い出した。

ああ、そうか。私はもうずっと以前に、失明していたんだ。

「忘れてた。私はもう、目が見えないんだったね。――いいんだよ、涼子。泣く必要なんてない。平気なんだから」

「ごめんなさい、お姉さま」

作業が終わったのだろう。ナイフをどこかに置く小さな音が聞こえた。涼子の指先が、真琴さんの右の手をそっとなでた。

真琴さんはもう一度、視線を動かした。しかし目の前にはただ、うす緑色の幕が広がっているだけだ。涼子の顔はもう見えない。

「不思議だな。さっきまで、あんなにはっきり見えていたのに。自分が失明しているってことを思い出したら、急に見えなくなった。いや、それが当たり前なのかな」

また啜り泣く声。

「涼子、泣くのはやめなさい」

「はい、お姉さま」

気配が濃くなってきた。涼子は、すぐ近くにいる。真琴さんは、もう一度呼びかけた。

「涼子」

「お姉さま、お目覚めですか?」

涼子は、椅子に腰かけた真琴さんの隣に立っていた。パソコンと格闘するうちに、少しばかりうとうとしてしまったらしい。

「夢を見ていたよ」

「どんな?」

「私たちが齢をとった夢。二人とも五十歳くらいになっていて……」

「まだ、二十五年も先ですわ」

涼子は、おかしそうに笑うと

「ああ、それにしても、涼子の探偵の話を、お姉さまが小説にしてくださるなんて。しかも、そのご本が、日本中で大人気。涼子、とっても幸せです。でも、お姉さま? 締め切りの連続で、少しお疲れなんじゃありません? だから夢なんかを……」

口調が、急に心配そうになる。

「具体的には、どんな夢でしたの?」

「なんだか、やたらと緑色が出てきて……」

真琴さんは、ぼんやりと頭を振った。

「緑色の小さな蜘蛛がいて、蘭子先輩と和人くんの目が、緑色に光って……私の手首から、緑の草が生えるの。目をあけたら、一面が緑色でさ……」

「緑?」

「そう。なにもかも緑。そんな夢。どうして緑なんだろう。謎だね」

「謎……緑の謎……」

涼子はしばらく考えこんでいたが、急にはっと息をのんで

「ひょっとしたら……」

「ん?」

「あっ。わかりましたわ。涼子、推理いたしました。緑の夢の謎、たった今、解けましてよ!」

見ると、いつのまにか涼子は、一糸まとわぬ丸裸になっていた。

「どうして裸に?」と尋ねると、「だって涼子、ドM探偵ですもの」と答える。

「縛らなくてもいいのか」

「できたら縛っていただきたいです」

真琴さんは、拘束用のローブで涼子を後ろ手に縛ってやった。すると涼子は、はりきって話し始めた。

「お姉さま。そのパソコンを印刷の画面にして、プリンターのインクの残量をたしかめてください。さあ、早く!」

言われたとおりにしてみると、黄色と青のインクが極端に減っている。

「ほら、ご覧なさい、お姉さま」

「どういうこと?」

「黄色と青を混ぜると、緑になるじゃありませんか。だからお姉さまは、緑色の夢をご覧になったんです」

そうか。こんな簡単なことに、どうして気づかなかったのだろう。

「お姉さま、一刻も早く、ここから逃げ出さなくてはなりません」

「そうだね」

今はもう、真琴さんにもすべてがわかっていた。

「緑色革命党が、お姉さまを裏切ったんですわ! お姉さまがお作りになった組織なのに、権力におもねってお姉さまに歯向かうなんて。ひどい裏切りです。涼子、絶対に許せません! でも今は、とにかく逃げないと……」

「わかってる」

立ち上がると、机の上に載っていたノートパソコンを手に取った。これだけは置いていくわけにはいかない。

追われている。そのことだけは、はっきりとわかっていた。

生い茂った背の高い草の色が、夕闇の中に滲み出して、辺りはぼんやりとした緑色に染まっている。

背の高い草が行く手を阻む山道も、涼子の用意してくれた重装備のおかげで、それほど苦にはならなかった。何度か斜面を転げ落ちたが、ほとんど痛みは感じない。

だが、重い。

「涼子、疲れてないか。歩けるか」

「平気です、お姉さま。この山を下れば、涼子の別荘があります。あそこなら、しばらくは安全ですわ。ただ……」

「どうした?」

「蘭子先輩と和人くんは、二人とも殺されてしまったみたいです」

「そうか。でも大丈夫。涼子には、私がついている」

音がした。蛇が草の間を滑っていくような音だった。細い緑の光が、空気を切り裂いて飛んできた。敵が山頂から撃ってきたのだ。

「涼子。伏せて!」

そう言った途端、背中に痛みが走った。真琴さんは、背後から自分の肺を貫いた緑の光が、目の前で千々に弾けるのを見た。

「お姉さま!」

気づいたときには、草の上にうつぶせに倒れていた。痛みはもう感じない。ただ、命が液体となって自分の身体から流れ出ていくのだけは、止めようがなかった。

「涼子」

「お姉さま、しっかりなさって。涼子、ここにいます」

目が見えない。だが、涼子がすぐ近くにいることだけはわかった。真琴さんは、もう一度呼びかけた。

「涼子」

「お姉さま、お目覚めですか?」

耳元で、涼子の声がした。真琴さんは、ベッドの上でゆっくりと上体を起こし、背中を壁に寄りかからせた。

まだ眠い。目を開けることができない。

「はい、お飲み物」

涼子が、真琴さんの手にペットボトルを握らせた。ちらりと目を開いて見てみると、真琴さんの好きなスポーツ飲料だった。それを一口だけ飲んで、また目を閉じてしまう。

そうだ。私は、涼子の部屋に遊びに来ていたんだった。そんなことを思いながら問いかける。

「今、何時?」

「夜の二時を過ぎたところです」

「涼子は、ずっと起きてたの?」

「いいえ。涼子も眠っていたんですの。ただ、お姉さまが涼子をお呼びになる声が、聞こえたような気がして……」

「涼子の夢を見ていたよ」

「まあ、どんな夢ですの?」

「涼子が、推理をするの。でも、涼子は小さな蜘蛛になってしまうんだ。それで、私の手首を噛むの」

「涼子が、蜘蛛に?」

「そう。緑色の小さな可愛い蜘蛛。それで、涼子に噛まれた私の手首からは、草が生えてきて……調べてみたら、プリンターのインクがすごく減っていたんだ」

「あの……よくわからないんですけど」

「夢だからね。私もよくわからない」

「それから、どうなったんですの?」

「私は、涼子が探偵した話を小説に書いて、人気作家になるのね。それから病気になって、目が見えなくなるんだ。しかも、緑色革命党に裏切られてしまう。私が作った組織なのに……でも、涼子が見事な推理でそのことを見破って、二人で逃げ出すんだ」

「ますますわからないんですけど」

「夢だからね」と、真琴さんは、もう一度言った。ただ、自分でもなんとなく、順番が入れ違っているような気はしていた。

「蘭子先輩と和人くんも出てきたよ。二人とも目が緑色に光っていて、でも殺されてしまった。それだけじゃない。私も撃たれて殺されたんだ。レーザー銃のようなもので……」

「まあ、怖い」

「いや、怖くはなかったよ」

やっぱり目を閉じたまま、そう答えた。たしかに、夢を見ているあいだ、真琴さんは少しも怖いとは感じていなかった。

「殺されてしまうんでしょう? 怖いじゃありませんか」

「いや、怖くなかった。だって、いつも涼子がそばにいたもの。ずっと幸せだった……あっ、そうだ!」

「はい?」

「涼子、なにか書くものない?」

「書くもの?」

「そう。ペンでもいいし、鉛筆でもなんでも……それに紙。すごくおもしろい夢だったから、忘れないように書いておかなくっちゃ。次の締め切りもあるし」

そんなことを言いながら、自分でも少しおかしくなる。締め切りなんて、ないじゃないか。夢の中で感じていた作家気分が、まだ抜け切れていないらしい。

「お姉さま、明かりをつけてもかまいませんか」

涼子がそう問いかけてきた。筆記具を探そうと、ベッドから立ち上がったようだ。「いいよ」と答える。そのあいだも目を閉じたまま、夢のことを考えている。

小さな緑色の蜘蛛。蘭子さんたちの緑色に光る目。手首から生える緑の蔓草。緑色革命党。体を貫いた緑の光。緑、緑、緑……。

涼子が部屋の明かりをつけたようだ。目蓋の裏が明るくなった。

どうして、緑ばかりなのだろう。

ぽろりと口から言葉がこぼれる。

「謎だな」

「謎!」

少し離れたところから、涼子の声が言った。

「お姉さま。謎でしたら、このドМ探偵、秋月涼子にお任せください。いったいどんな謎ですの?」

真琴さんは、ようやく目を開いた。ペンとノートを手にして立っている、涼子の姿が見えた。その瞬間に、謎はもう解けてしまった。

涼子は、うす緑のパジャマを着ていた。誕生祝いに真琴さんが買ってやった、青・ピンク・緑の三着のパジャマのうち、今夜は緑色のやつを着せてやったのだ。

よく似合う。まるで若草の妖精みたい。それがあんまり可愛いから、あんな緑づくしの夢を見たのにちがいない。

涼子は、もう一度問いかけてきた。

「謎って、どんな謎ですの?」

「それはね」

真琴さんは、ごく真面目な顔で答えた。

「涼子は、どうしてそんなに可愛いのかって謎。この謎だけは、涼子にも絶対に解けないね」

「お姉さまったら。ご冗談ばっかり。はい、どうぞ」

涼子はベッドの前にひざまずくと、ベンとノートを差し出した。真琴さんは困惑した。書き残そうにも、さっきまでの夢の記憶は今はもう散り散りになって、すっかり消えてしまっていたからだ。

◆おまけ 一言後書き◆
私は子どものころからよく夢を見るのですが、しかし「夢を見る」というよりは、「夢を考える」と表現したほうがいいように感じることがよくあります。今回の話に出てきた「目が緑色に光る夢」――実際に先日、そんな夢を見たのですが――を例にとって説明すると、夢の中で「実際に緑に光る目を持った人物の映像を見ている」というよりは、「あの人の目は緑色に光っているな、と夢の中で考えている」という感じなのです。他の人たちはどうなのかと、よく思うのですが、これを比較するのはかなり難しそうですね。

2021年12月16日

美咲凌介(みさきりょうすけ)

1961年生まれ。福岡大学人文学部文化学科卒業。在学中、文芸部に所属し、小説や寓話の執筆を始める。1998年に「第四回フランス書院文庫新人賞」受賞。SMを題材とした代表作に『美少女とM奴隷女教師』『Sの放課後・Mの教室』(フランス書院)など。他に別名義で教育関連書、エッセイ集、寓話集など著書多数。

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初出:P+D MAGAZINE(2021/12/23)

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