【SM小説】美咲凌介の連載掌編「どことなくSM劇場」第47話 ミーコさんの里帰り

人気SM作家・美咲凌介による、書き下ろし掌編小説・第47回目は「ミーコさんの里帰り」。生まれて初めてひとりで旅行するミーコさん。汽車に乗り込み席に着くと、目の前に白いヒゲを生やしたおじいさんが。居眠りしたおじいさんの顔をなにげなく見ていると、人間じゃない気がしたミーコさん。話しているうちにミーコさんも眠ってしまい……。

ミーコさんは切符を自動改札機に入れました。切符はすぐに向こう側の穴から顔を出しました。

よしよし。

にっこり笑うと、ミーコさんはその切符をつまんで駅のホームに足を踏み入れました。ミーコさんは生まれて初めて、ひとりで旅行するのです。ふるさとに帰るのです。ミーコさんは――

実はミーコというのは、正式な名前ではありません。役場には、別のもっと気取った名前が届けられているのです。でも、おかあさんがミーコ、ミーコと呼ぶので、なんとなくそれが本当の名前のようになってしまったのです。おかあさんがどうしてミーコ、ミーコと呼ぶのかというと、それはミーコさんが生まれたとき、ミーミーと泣いていたからだというのですが、本当でしょうか。ミーコさんには今一つ納得できません。

赤ん坊がミーミー泣くなんて、ちょっとおかしくないかしら。

さて、ミーコさんはもう汽車に乗りこみました。去年までは毎年おかあさんといっしょに、ふるさとに帰っていたのです。だから、汽車の乗り方はだいたい知っているのです。今年はおかあさんといっしょではありません。おかあさんは、おとうさんとふたりきりでよそに旅行に行きたいと言い出したのです。

「おかあさんって、いつもおとうさんとデレデレしてるわ」と、ミーコさんは少し批判的な気持ちになって思いました。

「あたしより、おとうさんのほうが大事なんだわ。あたりまえかもしれないけど。でも、ひとりで旅行できるから、そのほうがいいわ」

ミーコさんは、とても独立心が強いのです。

ミーコさんの前の席には、白いヒゲを生やした、大きなおじいさんが腰かけていました。おじいさんは今にも眠りこみそうな様子をしていましたが、ミーコさんが腰かけるのに気づくと、なんだか少し迷惑そうな口調で話しかけました。

「おや、おじょうさん、ひとりかい?」

「そうよ」とミーコさんは答えました。

「どこへ行くの?」

「ふるさとへ行くの」

「それじゃ、おじいさんといっしょだ。おじいさんも、久しぶりにふるさとへ帰るのさ」

汽車が動き出しました。もう夕暮れなのです。空は淡いむらさき色をしているのです。おじいさんは本当に居眠りを始めました。なにげなくその顔を見ているうちに、ミーコさんははっと息をのみました。人間じゃない。そんな気がしたのです。するとおじいさんは目をさまし、パチパチまばたきをしました。それから、えへんえへんと、むやみに咳ばらいをするのです。

見ると、おじいさんの顔は、もうただの人間のおじいさんにしか見えませんでした。おじいさんは、困ったようにもぞもぞ体を動かしながら言いました。

「おじょうさん、すやすや眠っていたね」

「あたし、起きてたわ」

「いや、眠っていたよ。なにか夢でも見なかったかね? 夢の中で、起きていたつもりになっていたんだろう」

じゃあ、あれは夢だったのかしら、とミーコさんは考えこんでしまいました。そうね、夢だったのかもしれない。

汽車はゴトゴト走っています。おじいさんが、話し始めました。

「ネズミって奴がいるだろう。あのネズミってのを、ネコがつかまえると……」

「つかまえると?」

「遊び始める。すぐに殺さないで、あっちをひと裂き、こっちをひと噛み、それから少し放してやったあとに、尻尾をくわえてブンブン振り回す、ネズミはもう、息も絶え絶えになって、泣き叫ぶんだ。ああ、もう殺して。殺してくださいって」

「でも、ネズミは言葉なんてしゃべらないんじゃないの」

「これは、お話だからね」

どうして、そんなお話をするのかしら。変なおじいさん。ミーコさんはそう思いましたが、それよりももっと大きな疑問がありました。

「でもねえ、ネコがネズミをとるかしら」

「ネコは、ネズミをとるだろう?」

「まあ、そういうことになってるけど……あたしがいうのは、ほら……あちこちの家で飼われてるネコのことよ」

「ああ、あの連中はねえ」と、おじいさんは、さも軽蔑したような口調で言いました。

「ふん」と、ミーコさんも軽蔑したように、鼻から息を吹き出しました。

汽車はやっぱり、ゴトゴトと走っていきます。今度は、ミーコさんが話し始めました。なんだか、おじいさんには負けていられない気がしたのです。

「ほら、ウリ坊っていうのがいるでしょう、シマシマの。イノシシの子どもの。そのウリ坊が五匹、母親とはぐれて森の中をさまよっていたの」

「ふむ。ウリ坊がね」と、おじいさん。

「そのウリ坊を、きれいなお姉さんが見つけて、森の中のお家に連れて帰るの。そして、庭に柵をこしらえて、さあ、今日からはあたしがお前たちのおかあさんよ、いっぱい食べて、大きくなりなさいって、とっても優しくしてあげるのね。ああ、でも、ウリ坊ってなにを食べるのかしら。おじいさん、ご存じ?」

「そりゃあ、イノシシの子どもだっていうんだから、木の根っことか、ドングリとかじゃないかね。それからミミズとか。よくは知らんがね……」

「まあ。ご存じじゃないの? 頼りにならないのねえ」

ミーコさんは腕を組んで、しばらく考えこんでいましたが――

「まあ、そのあたりはどうでもいいわ。とにかくいっぱい食べさせて、太らせるの。ウリ坊たちは、そのお姉さんにとってもなついてね、本当のおかあさんだと思いこんでしまうの。ところが……」

ミーコさんは、得意げに話を続けるのです。

「ある日、そのお姉さんが、五匹のウリ坊のうち一番かわいい子を抱き上げて、森の奥へ連れて行くのね。ウリ坊は少しだけ心配になって、こう言うわ。おかあさん、ぼくたち、どこへ行くの? お姉さんは、ふたりでとってもいいところへ行くのよって、そう答えると、ずんずん森の奥へと進んでいくの。そして、暗いほら穴の中にもぐりこむんです。そして、どうなると思う?」

「そりゃあ、もちろん食ってしまうんだろう」

「まあ、おじいさんって、とっても勘がいいのね。その通りなのよ。きれいなお姉さんは、ほら穴の奥で、抱きかかえたウリ坊の後ろから、首筋にカプッてかぶりつくの」

「カプッとね」

「そう、カプッてね。温かな血が噴き出て、お姉さんの顔は真赤になってしまうわ。ウリ坊はびっくりして叫ぶの。あっ、おかあさん、今首がチクってしたよ。お姉さんはとぼけて、こう答えるの。あら、虫にでもかまれたのかしら。ウリ坊は、まだ気がつかなくって、ああ、おかあさん、ぼく、なんだかフラフラしてきたよ。お姉さんは、ウリ坊をしっかり抱きしめて、ああ、おネムになってきたのねえ。いいのよ、いいのよ。ほら、おかあさんがしっかり、こうして抱っこしていてあげますからね。安心してネンネしなさい。ウリ坊は、だんだん動かなくなってきて、ああ、おかあさん、ぼく、なんだか寒いよ、寒いよ……」

「どうも」と、おじいさんはまた、目をパチパチさせました。

「おじょうさんの話は、長いわりには、ピリッとしたところがないねえ」

「いいえ、おじいさん。まだ先があるのよ。ピリっとするのは、これからなの。最後まで聞いてくれなくっちゃ」

ミーコさんは、少し唇を尖らせました。いい気分でウリ坊の声色を使っていたのに、おじいさんに邪魔されて、少しムッとしたのです。

「そうやって、一匹、一匹、ウリ坊たちは、そのお姉さんに食べられてしまうの。いい子から順々に、食べられてしまうのよ。そして最後に残ったのが、欲ばりで意地悪で、とってもいやなウリ坊なの」

「そんな奴がいたのかね。今まで話に出なかったみたいだが……」

「だから今、話に出しているんじゃないの。そいつはね、いつもほかの子をいじめたり、自分はもうお腹いっぱいなのに、ほかの子の食べ物を取り上げたり、とっても意地悪で欲ばりなのよ。五匹もいたら、そんな子が一匹くらいいてもいいでしょう?」

「それは、いてもかまわないがね」

「おじいさんも、子どものころ、そんなだったんじゃない?」

「ふん」と、おじいさんは鼻から息を吹き出しました。

ミーコさんは、かまわずに話を続けます。

「そんないやなウリ坊でも、一匹一匹、仲間がいなくなると、さすがに心細くなってくるのね。だから、最後にあたしが……あっ、ごめんなさい」

ミーコさんは、あわてて言い直しました。すっかり自分が、そのウリ坊を食べるお姉さんになったつもりでいたのです。

「まちがえたわ。あたしじゃなくって、そのきれいなお姉さんね。そのお姉さんが森に連れ出したときには、ただ一匹残ったウリ坊は、もうおびえきってブルブル震えているの。そして、ほら穴に連れこまれたら、こう言うの。おかあさんは、ぼくをいったいどうするつもりなの? お姉さんは、こう答えるわ。おまえは、バカだねえ、あたしのことを、本当のおかあさんと思っていたのかい? ちがうんだよ。あたしは、これからお前を、食べてしまうんだよ」

「ウリ坊が、人の言葉なんてしゃべるかねえ」

「だって、おじいさん」

ミーコさんは、さっきのおじいさんと同じようなことを言いました。

「これは、お話じゃないの」

「それで……どうなるのかね」

「その悪いウリ坊は、おかあさん、ごめんなさい、ごめんなさいって、泣きながら食べられてしまうの。ああ、とってもかわいそう。でも、仕方ないわねえ。意地悪で欲ばりな、とっても悪い子だったんですもの」

ミーコさんは、どうだ! という顔をしておじいさんの顔を見つめました。でも、おじいさんはそれほど感心した様子でもなく、そのうち口元をムニャムニャさせて、眠りこんでいくようでした。人間じゃないな。ミーコさんは、おじいさんの顔を見ながら、またそんなことを思うのです。でも、あんまり気にはしないことにしました。人間でない者が人間の中に紛れこんでいることなんて、ミーコさんはもうよく知っているのです。そしていつの間にか、ミーコさんも眠ってしまったようなのです。

汽車は、ゴトゴトと走り続けています。

汽車が止まりました。ミーコさんは目をさましたのです。おじいさんも目をさましました。おじいさんは、あたふた立ち上がって言いました。

「おじょうさん、さようなら。おじいさんは、ここでおりるのさ」

ところが、ここはミーコさんがおりる駅なのです。ミーコさんのふるさとは、この近くなのです。ミーコさんは言いました。

「あら、おじいさん、偶然ねえ。あたしもここでおりるのよ」

ミーコさんは、去年までおかあさんといっしょに歩いた道を、ひとりで歩いていきました。ところが、ずいぶんと後ろから、おじいさんもついてくるのです。さみしい道です。家もあまりありません。もうすっかり夜なのです。時々ふりかえると、その度におじいさんは横を向いて、景色を眺めているようなふりをするのです。ミーコさんは、おかしくなりました。

「おじいさあん」と、大きな声で呼びかけます。

「おじいさんは、この道をまっすぐ行って、お寺をすぎたら、右に曲がるんでしょう。そして、川を渡った先の分かれ道を、今度は左に行くんでしょう」

おじいさんはあわてふためいて、ぐるぐるそのあたりを回り始めました。どうやらミーコさんの考えは、ぴったり当たったようです。

「それから山にのぼって、ずっとずっと奥の、斜めに倒れた大きな杉の木の下をくぐって、そこから谷へおりたら、そこがおじいさんのふるさとなんでしょう」

「えい、仕方がない」

おじいさんもついに、大声で叫びました。

「その通りさ。でも、なんでおじょうさんに、そんなことがわかるんだい」

ミーコさんは、ケラケラ笑いだしました。

「それなら、ねえ、おじいさん。おじいさんの本当の姿を、隠さなくっていいのよ。安心していいのよ。だって、あたしのふるさとも、そこなんだもの」

笑っているうちに、ミーコさんの姿はだんだんと変わっていくのです。いつのまにか、しなやかな体をした、一匹の若い山猫になっているのです。おじいさんも笑いながら駆けてきて、追いついたときには、大きな太った山猫の姿になっていました。そして二匹の金色の目をした山猫が、さみしい夜の道を、ふるさとの山を目指して、風のように走っていったのです。

◆おまけ 一言後書き◆
山猫は元気いっぱい駆けていったわけですが、私はといえば、軽い熱中症にかかってしまったらしく、変に足がつったりして、走るどころかトイレまで歩くのにも難儀しました。我が家には今、エアコンがないのです。ま、今夜はなんとか回復しています。

2022年8月16日

美咲凌介(みさきりょうすけ)

1961年生まれ。福岡大学人文学部文化学科卒業。在学中、文芸部に所属し、小説や寓話の執筆を始める。1998年に「第四回フランス書院文庫新人賞」受賞。SMを題材とした代表作に『美少女とM奴隷女教師』『Sの放課後・Mの教室』(フランス書院)など。他に別名義で教育関連書、エッセイ集、寓話集など著書多数。

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初出:P+D MAGAZINE(2022/08/24)

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