【5回連続】大島真寿美、直木賞受賞後初の書き下ろし小説『たとえば、葡萄』独占先行ためし読み 第3回

作家生活30周年となる、大島真寿美さん。直木賞受賞後初の書き下ろし小説『たとえば、葡萄』が、9月16日に発売されます。独占先行試し読み第3回目は仕事を辞め、「いい年にしてやる」と心に誓った主人公美月でしたが、コロナウィルスの出現により状況が激変。今までは当たり障りのないやり取りでうまくスルーしていた母親からの電話をきっかけに、過去にあったさまざまな出来事を思い出してしまいます。弱みを見せたくない、という思いから電話を切る美月でしたが……?

 

【前回までのあらすじ】

母の昔からの友人・市子とその周りの人間関係が徐々に明らかに。仕事を辞めて市子の家に転がり込んだ美月は市子に甘えてばかりではなく、2、3ヶ月ゆっくり考えながら今後の可能性を広げたいと考えていたが……?

 

【今回のあらすじ】

仕事を辞め、「いい年にしてやる」と心に誓った美月だったが、コロナウィルスの出現で瞬く間に状況が激変。当たり障りのないメールのやり取りで肝心なことは伝えずうまくにスルーしていた母親からも電話がきてしまう。なかなか正直に事実を伝えられない美月だったが……?

【書籍紹介】

『たとえば、葡萄』9月16日発売予定

大島おおしま真寿美ますみ  プロフィール】


1962年愛知県名古屋市生まれ、1992年『春の手品師』で第74回文學会新人賞を受賞し、デビュー。2012年『ピエタ』で第9回本屋大賞第3位。2019年『渦 妹背山婦女庭訓 魂結び』で第161回直木賞受賞。その他の著書に『虹色天気雨』『ビターシュガー』『戦友の恋』『それでも彼女は歩きつづける』『あなたの本当の人生は』『空に牡丹』『ツタよ、ツタ』『結 妹背山婦女庭訓 波模様』など多数。

 

【本編はこちらから!】

 
 いい年になるはずだった二〇二〇年は、しかし、みるみるうちにおかしくなっていってしまったのだった。
 そう。
 新しいウィルスとやらが出現して、世の中が大騒ぎになってしまったのだ。
 なに、それ?
 新しいウィルス?
 新しいウィルスとやらは風邪の仲間のコロナウィルスというものらしい。
 コロナウィルス。
 へえ。
 と、思っただけだった。
 というか、それ以上、感想の持ちようもないし。
 情報がほしいとも、それ以上詳しく知りたいとも思わなかった。どうせ詳しく知った頃にはそのウィルスは消滅していて、ニュースとしての価値もなくなっているだろう。たいていの出来事はそんなふうに、日々現れては流れて消えていく。そんなものにいちいち煩わされないよう、見て見ぬふりして流してしまう癖がついていたともいえる。まあ、そのくらいにはここ数年、忙しかったし。
 横浜港に停泊している大型客船でウィルスが蔓延まんえんしているときいても、へえ、そりゃたいへんだ、とぼんやり思っただけだった。
 船の中のウィルスがこちらの世界に侵入してくるとは思わなかった。
 向こう側の出来事。
 海の向こうであり、ニュース画像の向こうであり、ともかく、ここは安全地帯。どこかでそんなふうに思っていた。
 だって、もう二十一世紀なんだし、ウィルスの一つや二つ攻略するくらい、簡単にできるでしょ。
 だから、市子ちゃんがマスクを箱買いしてきたのをみて呆れていた。
 これだからおばさんは。
「念のためだよ、念のため。べつに腐るものでもないんだし、いちおう買っとこうかと思ってさ。ついでにウェットティッシュや除菌スプレーなんかもいろいろ」
 市子ちゃんは、日頃から、念のための備蓄をかなり積極的に行っている人ではあるので、その一環と思えばわからなくもないのだけれど、それにしたってマスクねえ……。
 冷たく見ていたら、市子ちゃんが、どうせ花粉の時期になったら使うんだし、いいじゃない、いいのいいの、と言い訳しながら納戸にしまう。
 この家の納戸にはトイレットペーパーだのティッシュペーパーだの医薬品だの、普段使いの日用品だけでなく電球やら電池やら携帯用コンロやら、はては非常用トイレなんてものまでぎっしり蓄えられていて、非常用の水もレトルト食品も缶詰もたんまりあって、時々それらを食べたり飲んだりしている。ローリングストックっていうらしいけど、って、防災知識として知ってはいたけどそんなの、こんなにまじめにやってる人はじめてみた。
 一人暮らしだと、いざというときに自力でなんとかしなくちゃならないからね、あらゆるものを準備しておくわけよ、防災意識が高いのよ、わたしは、と鼻息荒く市子ちゃんはいってはいるが、はたしてマスクまで必要になるのだろうか、とその時は思っていた。
 まさか、それからしばらくして、そのマスクを市子ちゃんから分けてもらうことになろうとは思ってもみなかった。そう。山のように売られていたはずのマスクが気づいたら街中から忽然こつぜんと消えてしまっていたのである。驚いた。
 市子ちゃんもまた驚いていた。
 いや、わたしだって、まさか、ここまで極端なことになるとは思ってなかったんだけどさ、わかんないもんだよね。なんかあれだよね、災害って、どこからどんなふうに攻めてくるかほんとわかんないよね。油断ならないっていうかさ、想像の斜め上いくね。マスクだもんね、マスク。パンデミックの映画だっていくつかみてるけどさ、マスクがなくなるシーンなんてみたことなかった気がする。てか、ウィルスによる災害が我が身に降りかかってくるなんて思ったこともなかったし。

 そのマスクをしてハロワにもいった。
 いかないと失業手当がもらえないから。
 親から珍しく電話がかかってきたりもした。
 年末年始くらい顔を出せといわれていたものの、当たり障りのないメールやメッセージのやり取りでうまくスルーしつづけていたのに、ウィルスの存在が母の不安をき立てたらしい。
「ねえ、ちょっと。そっち大丈夫なの? なんだか、たいへんなことになってきてるみたいじゃない」
 と、なんだか、それこそ、どこかできっちり線引きされているような口ぶりで、こっちの世界とそっちの世界がはっきり分けられた安全な場所からものをいっているかのよう。地続きなんですけどね、そことここは。
「大丈夫だよ」
 と、こたえる。
「そっけないわねえ。大騒ぎになってるっていうのに。仕事のほうはどうなの? ふつうに会社いってんの?」
「え、仕事? ふつうに? あーと、んーと、んー、まあ。それなりに?」
 ハロワも仕事のうちだしね、と心のなかでつぶやいてみる。
「リモートとやらになってるの?」
「え、リモート。ん? いや、えーと、でも、まあ、そんな感じかな?」
 家でもいろいろやってるし。
「こっちでもやれるんならこっちにきたらどう」
「え。いやいやいや、それはダメでしょ。移動がそもそもやばいっしょ。動かないでほしいって必死にアナウンスしてんじゃん」
「まあ、それはそうだけど」
「こっちは大丈夫だから心配しなくていいよ。なにかあれば連絡するし。それよりそっちはどうなの」
「どうって」
「万事順調?」
「ん、まあ、順調といえば順調かなー。今年はお米の種類を増やしてみることにして、借りてる田んぼもまたちょっと増やして。それでいつもより忙しい感じはしてるけど。四月からこっちの学校に入る子も、もう来てて、ほら、コロナで休校になって春休みが早くなっちゃったんで、それでもうこっちに」
 母は、住んでいる家を山村留学の子供のためのホームステイ先として提供していて、毎年一人か二人、引き受けてる。というのも、昔々、セブンとエイトの兄弟を預かったのをきっかけにそういう流れができてしまったからなのだが、しかもアメリカ在住の家主がそれに賛同して、金銭面でも支援してくれることになったため、やめるにやめられなくなってしまったのだった。と本人はいっているが、あの家にはゲストルームがあるし設備もしっかりしているので、引き受けやすいというのもあって、というより、なんだかんだいって向いていたみたいで、元留学生たちが遊びにきたり、その親たちとの交流もつづいていたりして、今ではなぞのネットワークを構築して楽しくやっている。
 家の外壁を塗り替えたときは、そんな人たちが総出で手伝ってくれたとかで、あっちは年々にぎやかになっているようだった。
 サロンみたいにも使われていて、それは元々の家主がいた頃の家の姿でもあった。
 あの家はアメリカに住む現在の家主のご両親が住んでいた家で、と、ひと口に家、といってもかなり大きくて、母屋と別棟があったり、ものすごく広い裏庭の畑なんかもあって、そのご夫婦がずっと、すごくすごく手をかけて住んでいたのだけれど、歳をとって奥さんが亡くなり、その後、ご本人も病気になって、家を空けねばならなくなったときに管理を任されたのが、その頃たまたま親しくしていた、当時、失踪しっそう中だったうちの父親なのだった。その人が亡くなったあとも、息子さんである家主さんに頼まれて、ずっとこの家を管理しつづけている、っていうか、ようするに借家として住みつづけていて、そこに母も住むようになってもうずいぶんになる。
 失踪中。
 失踪。
 そう。うちの父親は失踪していた。
 わたしが小学生のときだ。
 そんな父親がいるのか、って話だが、ほんとにある日、いきなり父親はいなくなってしまったのだった。当時、大人たちがたぶん相当右往左往していたとは思うんだけど、みんなが気を遣って、わたしに隠そうとしていたから、くわしいことはあまり知らない。ただ、なんだかへんな毎日を過ごしていたことだけはよくおぼえている。それもかなり長く。
 その後、父は見つかって、っていうのか、見つかったのか連絡してきたのか、そのあたりもわたしはよく知らないのだけれど、離婚するだのしないだので、親たちはさんざんめて、一度は離婚して、でもなぜだか、じわじわとよりが戻って、その頃にはよく母親に連れられて向こうへ行って何日か過ごしたりしたものだった。田んぼや畑を手伝ったり、山や湖へハイキングにいったり、川で泳いだり。景色はきれいだし、空気は澄んでいて気持ちいいし、楽しくなかったといったらうそになるけど、相変わらず、なんだかへんな感じだった。
 大人って勝手だな、とも思ったし、それなりに傷ついてもいたし、でもそれがしっかり意識できていなかったからか、いつもただ、もやもやしていた。もやもや、もやもやしたものを抱えながら楽しんでいた。巻き込まれるのがいやで、少しばかり用心していたようにも思う。
 だからまた復縁、つまり再婚することになったといわれたとき、いっそうもやもやしたのだった。もやもやがマックスだった。意見をきかれても、いいんじゃない? と短くいっただけだった。なんだかなあ、という思いはもちろんあったし、文句の一つもいいたかったけれど、正直、もうどうでもいいや、という気持ちが完全に優っていて、結局、口をつぐんだ。すでに大学生だったし、親の人生より自分の人生の方が大事だったし。いや、というより、親の人生と自分の人生を分けて考えなくちゃ、とことさら強く思っていたような気がする。
 ああいう無軌道な人生を送らないようにしよう、とも思っていた。思いつきのように生きていくんじゃなくて、地に足をつけて地道に歩んでいきたい。そう強く思っていた……はずだったんだがな。
「じゃあ、まあ、この騒ぎが落ち着いたら一度、顔見せにいらっしゃいよ。年末年始もこないし、去年はお盆休みにもこなかったじゃない。ゴールデンウィークも。って、あれ? ってことは、去年ってひょっとして一度もこっちにきてないんじゃない?」
「え、そうだっけね? まあ、忙しかったからね、いろいろ。でも、そんなもんでしょ、お互い元気でやってたらそれでよくない?」
「まあ、それはそうだけど。子供預かってるから、こっちからはそうそうそっちへいけないしねー。だからそっちからきてほしいんだよねー」
 とまた勝手なことをいう。
「はいはい」
 と適当にお茶を濁して電話を切った。
 長く話していると、いろいろバレてしまいそうで危険だし。
 とはいえ、うちの親は娘が会社を辞めて無職になったといったところでそう動じないのではないかという気はしていた。てか、あの人たちにはなんにもいえないでしょう。それでどうすんの、くらいはきかれるかもしれないけれど。ぎゃあぎゃあ騒いだりはしないだろうな、と予想する。だからべつに正直にいってしまってもいいんだけど、地味に見栄みえを張りたい、というか、弱みを見せたくないというか、そんな気持ちがうっすらと、あるにはあるのだった。

独占特別試し読み第4回に続く
(第4回は、9月8日配信予定です)

『たとえば、葡萄』第1回は、こちら!
『たとえば、葡萄』第2回は、こちら!

初出:P+D MAGAZINE(2022/09/01)

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