ヤマ王とドヤ王 東京山谷をつくった男たち 第八回 山谷最大の名物食堂
再開を要求する労働者も
山谷の最寄りの南千住駅から常磐線に乗り、柏駅で東武線に乗り換えて愛宕駅へ。そこから東へ延びる二車線の道をタクシーで10分ほど走った場所で降りた。電話を掛けると間もなく、白髪の高齢男性が少し離れたところに現れ、手で合図をしてくれた。私は会釈をし、近くにある男性の自宅へ案内された。奥のリビングでは、男性の妻が迎えてくれた。
男性は坂庭春治さん(82)で、妻は惠子さん(80)。少し前まで、山谷に現在もある居酒屋「芽吹」を切り盛りしていたが、店を始めるまではあさひ食堂の従業員だった。まさか暴動を目撃した生き証人がいるとは思ってもみなかったので、早速、訪ねてみた時のことだ。
春治さんの担当は、店の野菜や魚の仕入れで、千住の市場へ買い出しに行っていたという。
「秋刀魚だとかさばだとか色々と買いに行っていました。店では冷凍の魚なんて使わないから、全部生だったんです」
隣で聞いていた惠子さんも合いの手を入れる。
「魚も本当の炭で焼いていましたからねえ。何でも手作りだったんです」
「カレーもルーから作っていました。今みたいにルーが売っていなかった時代だから。うどん粉から作れるんですよ。粉を2〜3時間練ってね」
そう言った春治さんが両手でこねる仕草をした。
「店のメニューの中では特にかき揚げが人気で、半端なく売れていたので毎日揚げていました。雨が降ると、都電は停留所までは行かずにあさひ食堂の前で停車しました。そして労働者たちがダーッとなだれ込むように入ってきたんです。経営者の帰山さんは毎朝必ず来て、食券の整理をしていたのを覚えています」
春治さんと惠子さんの2人は、あさひ食堂で出会って結婚した。そして2号店となる第2あさひ食堂の経営を任されることになったのだが、しばらく経ってからあの日の暴動が起きたのだった。
暴動が発生した当時のあさひ食堂について語る坂庭夫妻(撮影:水谷竹秀)
その記憶を辿ろうとすると、春治さんは形相を一変させ、こわばった顔でまくしたてるように言った。
「暴動が起きたと聞かされ、本店に駆け付け、裏口から入って2階の踊り場で見張っていました。凄まじかったよ。労働者たちは木製の丸椅子で窓やクーラーをめちゃくちゃに叩き割り、ガッチャンガッチャンとやっていました。ガラスも吹っ飛んで。改築して1カ月ちょっとしか経っていなかったのに・・・・・・」
春治さんが踊り場で見張っていると、労働者たちが2階へ上がってこようとしていたので怒鳴り付けた。
「何だてめえら!このやろう!」
すると労働者たちはひるんでしまったのか、そのまま立ち去ったという。
一方の惠子さんは第2あさひ食堂に残っていた。暴動に参加しなかった労働者たちが夕食を食べていたためで、「ここではそういうことはしねえから。飯ぐらいゆっくり食べさせてよ」と言われ、店のシャッターを閉めて営業を続けていたという。
この暴動は翌日も続き、労働者たちが「検挙者を返せ」と気勢を上げて暴れ出した。結局、収まったのは最初の暴動発生から2日後のこと。第2あさひ食堂のポストにはいつの間にか、労働者からとみられる手書きのメモが入っていたという。惠子さんが回想する。
「食べるところがなくて困った。俺らも仕事があるから再開して欲しいと書かれた手紙が入っていました」
ところが暴動の影響で、一部の従業員の親が危険を感じて引き取りにきたため、従業員は帰省して人数が減り、第2あさひ食堂は閉鎖されることになった。本店は修復され、暴動から1カ月以内には営業を再開した。
そんなあさひ食堂であったが、オイルショックなどの影響による労働者の減少に伴って客足は徐々に遠のいていった。そして開店から30年後の昭和60(1985)年4月、ついに店じまいをすることになった。
仁之助はこう振り返っている。
「(店を閉じたのは)やはりお客の数が減ってきたからである。山谷には、簡易宿泊所に寝泊まりする人たちが、多いときで、1万5、6千人もいた。東京オリンピックのころから、家族を連れた人たちは他のアパートに移り住むようになり、今は日銭を稼ぐ単身の労働者の人たち6、7千人ばかりとなっている。昔に比べて、お客のふところ具合がよくなったということもあると思う。『あさひ食堂』のように、『とにかく安くて、たくさん食べられる』という店に、執着する人も少なくなってきたのである」(日本経済新聞のインタビュー)
かつての名物食堂があった場所には現在、「ホテル浅草会館」と呼ばれる、白い3階建ての簡易宿泊施設が建っている。
〈次回の更新は、2019年6月15日ごろを予定しています。〉
プロフィール
水谷竹秀(みずたに・たけひで)
ノンフィクションライター。1975年三重県生まれ。上智大学外国語学部卒業。カメラマンや新聞記者を経てフリーに。2011年『日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」』で第9回開高健ノンフィクション賞受賞。他の著書に『脱出老人 フィリピン移住に最後の人生を賭ける日本人たち』(小学館)、『だから、居場所が欲しかった。 バンコク、コールセンターで働く日本人』(集英社)。
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初出:P+D MAGAZINE(2019/04/26)