ヤマ王とドヤ王 東京山谷をつくった男たち 第十三回 「福祉宿」の女将が見た山谷
「生活保護なしではやっていけない」という矛盾
ネットでは近年、生活保護バッシングが激しい。特にこのコロナ禍で多くの人が厳しい生活を強いられ、社会に逼迫した空気が流れる中、生活保護受給者に関する記事がアップされると、今まで以上に批判の的にされやすい。だが元々、彼らの存在はコロナ以前からで、社会的要因や時代背景も少なからず影響しているだろう。それはバブル崩壊だけでなく、小泉政権下の構造改革では非正規労働者が増え、またリーマンショックでは派遣切りも相次いだ。そんな彼らはいつ切り捨てられるともしれない、綱渡りのような日々を送り、中には生活保護に頼らざるを得ない者が現れた。
果たしてどこまでが社会問題で、どこからが自己責任なのか。
この線引きが明確でないから、むしろ明確にすることなどできないから、生活保護の是非を論じるのは難しいのだ。ただ、菊地さんのように酔っ払いを相手にしたり、金を貸したり、亡くなった人の身辺整理をしたりという、宿主ならではの関わり方であれば、生活保護受給者に対して手厳しくなるのはやむを得ないかもしれない。もっとも菊地さんは宿泊者の過去を事細かに知っているわけではない。あくまで彼女が日々、彼らと接する中で受けた印象や体感であり、それはネットの感情論とは異なる、現場からのもう1つの声なのだ。
「普通なら、病気でもなんでも自分の家にいればいいわけでしょ? 家庭っていうか家族があって。それをこっちに来てさあ、ただで金をもらって。そりゃ私たちには分からない家族の理由があるかもしれないけど。でも若いせいか、みんな元気よくやっているよ」
「確かに仕事があれば、あぶれる人もいないんじゃないかと思う。でも横着な人もいるからなあ……。仕事が嫌いっていう人。それにこの辺は結構炊き出ししているんだって? だから食べるには、苦労しないみたいなんだよ。逆にそういう支援があるから働かないって思う時もあるね。だって何にもしないで食っていれば楽だもの。やっぱりあんまり同情はできないね」
人間は易きに流れる生き物だ。そうは言っても、彼らがいないと登喜和の経営が成り立たないのは事実で、そこには矛盾も生じている。
菊地さんは恥ずかしそうに笑って言った。
「うちは生活保護がいなきゃやっていかれないんです。矛盾しているのは分かってるよ。でもしょうがない。食べていくには、そういうこともあるんですよ」
そう素直に自分をさらけ出す人柄も含めて、取材に応じてくれる彼女はやはり、山谷の男たちを包み込む温かさに溢れている。
ここ近年、登喜和には、「売りに出さないか」と営業を掛けて来る不動産業者の訪問が絶えない。山谷は今、再開発が進み、古い簡易宿泊所はどんどん新しいマンションに建て変わっている。そんな時代の変化を彼女は一言でこう表現した。
「静かになったってことよね」
労働者で溢れ、ざわざわしていたかつての原風景は消えてしまった。登喜和でも宿主の後継者問題が浮上しているが、菊地さんはまだ当分の間、酔っ払い相手に威勢の良い女将を続けていくつもりだ。
「飲んじゃダメだって言ったでしょ!」
そんな声を張り上げながら。
プロフィール
水谷竹秀(みずたに・たけひで)
ノンフィクションライター。1975年三重県生まれ。上智大学外国語学部卒業。カメラマンや新聞記者を経てフリーに。2011年『日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」』で第9回開高健ノンフィクション賞受賞。他の著書に『脱出老人 フィリピン移住に最後の人生を賭ける日本人たち』(小学館)、『だから、居場所が欲しかった。 バンコク、コールセンターで働く日本人』(集英社)。
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初出:P+D MAGAZINE(2021/07/10)