【ランキング】『ゲーム・オブ・スローンズ』 原作者の最新作に注目! ブックレビューfromNY<第38回>

ジョージ・R・R・マーティン

ジョージ・R・R・マーティンは1948年9月20日、ニュージャージー州で港湾労働者の息子として生まれた。子供の頃から空想好きで、ファンタジーを書いていた。ノースウェスタン大学でジャーナリズムを勉強し、1970年に同大学から学士号、1971年に修士号を取得している。1970年代はベトナム戦争の良心的兵役拒否者として、兵役の代わりに米国政府のVISTAボランティア[2]で働いたり教員をしたりしながら創作活動を続けていた。その後ハリウッドに移り、CBSのドラマの脚本編集(“Twilight Zone”)や制作(“Beauty and the Beast”、“Doorways”など) に関わるようになった[3]

1996年、マーティンはウェスタロスという架空の大陸を舞台としたファンタジー『氷と炎の歌』シリーズの第1作目『七王国の王座』(“A Game of Thrones”)を出版した。そして1998年の『王狼たちの戦記』(“A Clash of Kings”)、2001年の『剣嵐の大地』(“A Storm of Swords”)、2005年の『乱鴉の饗宴』(”A Feast of Crows” )、2011年の『龍との舞踏』(”A Dance with Dragons”)の出版と続いた。このシリーズはまだ完結しておらず、当初2年以上前に出版予定だったシリーズ6作目となる『冬の狂風』(‟The Winds of Winter”)は、いまだ出版されていない。

一方、米国のケーブルテレビHBOはこのシリーズをテレビドラマ化する権利を買い取り、2007年に『ゲーム・オブ・スローンズ』(“Game of Thrones”)というタイトルでドラマ・シリーズを開始した。2017年7月にシーズン7が終わり、今年4月からはシーズン8を放映予定。当初は、原作小説の出版がテレビの放映に先行していたが、今や小説の第6作目の出版が遅れているため、テレビの放映のほうが先行している。

ジョージ・R・R・マーティンは2018年11月に、出版が遅れている『冬の狂風』ではなく“Fire and Blood” を出版した。この小説は、『氷と炎の歌』シリーズの時代にはもうすでにバラシオン王朝の創始者のロバート王とその連合軍によって滅ぼされて消滅していたターガリエン王朝の始まりから終わりまでを語る二部作の第1作目となる。この本は、架空の大陸ウェスタロスの昔の都オールドタウンにある「知識の城」(Citadel)[4]のアーキメイスター[5]のギルダインによって編纂された『ウェスタロスのターゲリアン王朝の歴史』という設定になっている。

3頭のドラゴン

ウェスタロスにおけるターガリエン王朝はエイゴン・ターガリエンとその姉妹であり妃であるヴィセ―ニヤとレイニスがドラゴンに乗ってドラゴンストーン島から飛来し、ウェスタロスを征服して統一王朝を開いた時に始まった。ウェスタロスの7王国のうち南部のドーンを除く6王国がエイゴン・ターガリエンを王として臣下の礼を取った。エイゴン王(エイゴン1世、征服王、ドラゴン王)はウェスタロスの七神正教のハイ・セプトン(総司祭)の手で戴冠式を挙げ、この戴冠の年を基準としてこの歴史書では年号をBC (Before Conquest)、AC(After Conquest)で表している。

ウェスタロス大陸の東には「狭い海」(Narrow Sea)を挟んでエッソス大陸がある。かつてエッソスには古代ヴァリリア国が存在し、ドラゴン候と呼ばれるドラゴンを乗りこなす諸侯が勢力を争っていた。ターガリエン家は古いドラゴン候の家柄ではあったが勢力はあまり強くなかった。BC114年頃、「破滅」(Doom)と後に呼ばれた巨大災厄によりヴァリリア国のドラゴン候とドラゴンのほとんどすべてが滅亡するが、その12年前、ターガリエン家の当主エイナーは、何を思ったか、ヴァリリア国にある土地や財産すべてを売り払い、一族やドラゴンを連れて「狭い海」に浮かぶドラゴンストーン島に移り住んだ。そのため12年後に起こった「破滅」の被害を受けることなく、そのままドラゴンストーン島に住み続けた。そして約100年後、エイゴン・ターガリエンとその姉妹はドラゴンストーン島からウェスタロスの征服に向かった。火を吐くドラゴンの空中からの攻撃にウェスタロスの諸侯たちは最終的に手も足も出ず降伏した。しかし、ドーン国だけは一貫して、「攻撃しないが臣下にもならない」という態度で、ターガリエン側が攻撃を仕掛けてもゲリラ戦で応戦し、どうしても征服することができなかった。おまけに戦いのさなか、エイゴン王の妃であり妹のレイニス女王が、乗っていたドラゴンともども戦死してしまった。ドーン国はこの後も、ずっとターガリエン王国にとって手ごわい存在となる。

エイゴン1世は、首都をオールドタウンではなく、最初に上陸したブラックウォーター川の河口付近に定め、キングズランディングと名付けて城と街の建設に取り掛かった。王は、戦時にはたぐいまれな戦士であり司令官だったが、戦争が終わった後、国内の平和にも力を注いだ。国内を行幸し、諸侯間の婚姻を奨励し、その子女を宮廷に出仕させて諸侯との信頼関係を深めた。そして、王を守る7人の白衣の騎士団「王の盾」(Kingsguard)を創設した。

七神正教とターガリエン王朝

ターガリエン家には近親婚と多妻制の習慣があった。一方、ウェスタロスで広く信仰されていた七神正教[6]は近親婚も多妻性も厳しく禁止していた。エイゴン1世が征服者としてウェスタロスに来た時には既に姉妹と結婚していたので、そのことが特に問題になることはなかった。妹のレイニスが長男エイニスを、姉のヴィセーニャが次男のメイゴルを生んだが、王には娘はいなかった。エイニス王子はヴァリリアの血筋のヴェラリオン家のアリッサと結婚、メイゴル王子はオールドタウンを支配する名門ハイタワー家のセリースと結婚した。エイニス王子と妃のアリッサは子宝に恵まれ、長女レイナ、長男エイゴン、次男ヴィセ―リス、三男ジェヘアリーズ、次女アリサンヌに恵まれた。エイゴン1世の死後、エイニス王子が王位を継承した。王はターガリエン家の慣習に従い、長女レイナと長男エイゴンを結婚させようとし、七神正教のハイ・セプトン(総司祭)から激しく反対されたが結婚を強行した。そんな時、弟のメイゴル王子は妃に子供ができないことを理由に、2番目の妃を迎えることにした。このことでまたしても王家と七神正教との間に軋轢が起こった。ハイ・セプトンとの関係悪化を憂慮したエイニス王は自分の子供の近親結婚のことは棚に上げ、弟のメイゴル王子の2度目の結婚に大反対し、反発したメイゴル王子を追放してしまった。

エイニス王は長男のエイゴンを皇太子とした。エイゴン皇太子とレイナ王女との結婚披露も兼ねて、王は2人を全国行啓に送り出した。ところが、皇太子と王女は近親婚に反対する民衆に取り囲まれ、身動きが取れなくなってしまった。王家と七神正教の対立の構図は、民衆が正教の側についたため、王家と民衆の対立構図となり、エイニス王は窮地に陥った。王は妃のアリッサと下の子供3人を連れてキングズランディングから逃げ出してドラゴンストーン島に避難した。身動きできなくなったエイゴン皇太子とレイナ王女のことを心配しながら、焦燥しきったエイニス王は数日後にドラゴンストーン島の城で亡くなった。

エイニス王の死後、追放されていた弟のメイゴル王子はすぐドラゴンストーン島に戻り、母のヴィセーニャ女王の手で戴冠し、メイゴル王(残酷王と呼ばれた)となった。法的には皇太子のエイゴン王子が王位を継承すべきと反論したメイスターのグウェンはその場でメイゴル王に首を切られた。メイゴル王の戴冠の前に、エイニス王の妃だったアリッサと3人の子供たちは、アリッサの父ヴェラリオン候の城があるドリフトマークに逃れた。戴冠の後すぐにドラゴンに乗ってキングズランディングに戻ったメイゴル王は七神正教の聖兵組織との戦いに勝ち、宮廷の反対派をも抑え込んだ。一方、エイニス王の皇太子だったエイゴン王子はキャスタリーロックのラニスター家にかくまわれていたが、自分の王位継承権を主張して叔父のメイゴル王とドラゴンに乗って一騎打ちをし、乗っていたドラゴンとともに地上に落下して死んだ。自分の王としての立場を盤石なものとしたメイゴル王だったが、すでに3人の妃がいたにもかかわらず、子供ができなかった。その後、さらに死んだエイゴン皇太子の妃だった姪のレイナ王女も含め3人を妃にした。しかし、健康な子供は誰からも生まれなかった。「メイゴル王は呪われている」という噂がまことしやかにささやかれ始めたのだった。

そして、亡くなったエイニス王の三男で14歳のジェヘアリーズ王子を王に担ぎ上げる動きが出た。うわさを聞き付けたメイゴル王の妃にさせられていたレイナ王女も、エイゴン皇太子との間にできた娘のエイリアを連れて自分のドラゴンに飛び乗り、弟ジェヘアリーズ王子のもとに駆け付けた。

一方、メイゴル王は諸侯に招集をかけたが、多くは集まらなかった。そして次の日の明け方、妃の一人エリノアは、「鉄の玉座」[7]の剣に首と腕を貫かれて死んでいる王を発見した。多くの人々は玉座がメイゴル王を殺したのだと信じた。

AC48年、14歳のジェヘアリーズは王位に就いた(ジェヘアリーズ1世)。16歳になるまでは、母のアリッサが摂政となり、ロガー・バラシオン候が「王の手」[8]となって支えた。AC49年、ジェヘアリーズ王と妹のアリサンヌ王女はドラゴンストーン島で秘密に結婚式を挙げた。七神正教との軋轢を恐れた母アリッサやアリッサの再婚相手のロガー・バラシオン候は大反対、何とか引き離そうとしたが2人の決意は固く、そのまま王はアリサンヌとドラゴンストーンに残った。

AC50年、16歳になったジェヘアリーズ王は、一人前の若い王として、自分のドラゴンに乗ってキングズランディングに戻ってきた。アリサンヌ王女との結婚の件で不仲になっていたロガー・バラシオン候や母のアリッサとも和解した。民衆や正教側からの反発を抑えるために秘密にされていた王と妹王妃の結婚は、次第に人々の知ることとなっていた。そんな時、オールドタウンではハイ・セプトンの死に伴い新しいハイ・セプトンが選ばれた。正教側の態度も変わり、もともと正教信仰のなかったヴァリリア出身のターガリエン家は近親婚や多妻制を禁止する正教の教えに縛られる必要がなく、例外とみなすことができると正式に認め、王家と七神正教との関係は以後良好なものとなった。

龍の舞踏

その後、ジェヘアリーズ王は55年の長きにわたり王位にあり、妃のアリサンヌがAC100年に没するまでは、王と王妃で国を治めた。2人は13人の子供を成したが、王妃がなくなった時に生き残っていたのは、次男のベイロン、「知識の城」で勉強しているヴェイゴン、そして、両親に逆らいエッソスに逃げて娼婦になったサエラの3人だけだった。ベイロン王子が皇太子としてジェヘアリーズ王の後継者に決まったが、そのベイロン皇太子は突然の病で亡くなってしまう。年取った王の後継者を誰にするかが大きな問題になった。

亡くなった長男エイモン王子の娘レイニス(ヴェラリオン候と結婚)、その息子のレイノア・ヴェラリオン、次男ベイロン王子の息子のヴィセーリスが有力候補に挙がった。王は後継者を決めるための大評議会を開いた。その結果、男系優先の原則で、男系の長男であるヴィセーリスが、女系の長男のレイノアより優先すると決定された。AC103年、ジェヘアリーズ王崩御に伴い、26歳のヴィセーリスが王座に就いた(ヴィセーリス1世)。

ヴィセーリス王は妃のエマ(アリン家の出身、母はジェヘアリーズ王の娘)との間に娘レイニラがいた。王妃エマは2回目の妊娠で男子を出産したが産褥で亡くなり、生まれた子もすぐに死んだ。娘が1人いるだけで、王妃のいないヴィセーリス王はすぐに後継者問題に直面した。男子優先の原則に従えば、弟のデイモン王子を皇太子にするべきだが、娘のレイニラを後継者に決めた。そして王は、周囲のすすめに従い、「王の手」であるハイタワー候の娘のアリセントを妃にした。この王妃アリセントが長男エイゴン王子を筆頭に次々と子供を産むと、ヴィセーリス王の後継者問題は複雑化し、後の「龍の舞踏」(The Dance of the Dragons)と呼ばれたターガリエン王朝とウェスタロスの諸侯たちを二分する大きな内紛の火種となっていった。ヴィセーリス王は王妃アリセントとの間に男子が誕生後も、レイニラ王女を後継者から外すことはなかった。

レイニラ王女が適齢期になり結婚した相手が、かつてジェヘアリーズ王の後継者を決めた大評議会でヴィセーリス王と皇太子の座を争ったレイノア・ヴェラリオンだった。そしてレイニラ王女は次々と3人の男の子を生んだ(子供の父親はレイノアではないといううわさはあったが)。 レイニラ王女は夫のレイノア・ヴェラリオンの不慮の死後、ヴィセーリス王の弟のデイモン王子と再婚し、さらに2人の男子を生んでいる。

そして、将来、王となりうる複数の息子を持つアリセント王妃とレイニラ王女の対立はそれぞれの息子たちも巻き込み、宮廷はアリセント王妃を支持する「緑」派とレイニラ王女を支持する「黒」派に分かれて一触即発状態だった。

AC129年、レイニラ王女が出産のためドラゴンストーン島の城に引きこもっている時、キングズランディングでは手の怪我で臥せっていたヴィセーリス王が亡くなった。52歳だった。王の死は、すぐにアリセント王妃に伝えられたが、王の死が城の外に知らされることはなく、直ちに「緑」の評議会が開かれた。評議会はレイニラ王女が後継者であることを無視、「王座は王の直系の男子に継承されるべき」というアリセント王妃の意見が採択された。反対意見を述べたビーズベリー公はその場で殺された。そしてエイゴンが王位に就いた後、ヴィセーリス王の死とエイゴン2世の即位はドラゴンストーンにいるレイニラ王女を含め各諸侯に伝えられた。レイニラはその知らせを受け取った後、女の子を死産した。

こうして後に「龍の舞踏」と名付けられたターガリエン王朝とウェスタロスの諸侯を二分する「緑」派と「黒」派の血みどろの戦いが始まった

AC131年、レイニラ王妃とデイモン王子との間に生まれた11歳のエイゴン(エイゴン3世)が戴冠し、エイゴン2世の娘のジェヘイラ王女と結婚した時、「黒」派と「緑」派はひとつになり、「龍の舞踏」が終結した。その時、王の母レイニラ王妃も父のデイモン王子もこの世にはいなかった。レイニラと前の夫のレイノア・ヴェラリオンとの間の3人の息子もすべて戦いで死に、エイゴン3世の弟のヴィセーリスは行方不明になっていた。一方「緑」派のアリセント王妃は存命だったものの、彼女の子供たちはエイゴン2世を含めすべて死に、孫もエイゴン2世の娘のジェヘイラ王女以外は全員死んだ。エイゴン1世のウェスタロス征服以来、一緒に戦ってきたドラゴンの一族も、この戦いでほとんどが死んでしまった。ドラゴンを持たない敵に対してドラゴンは破壊的な効果を発揮するが、ドラゴンを持ったもの同士が戦った時、互いに対する破壊力はすさまじく、どちら側の人間もドラゴンも壊滅的な打撃を受けたのだった。
こうして「龍の舞踏」の修羅場を潜り抜け、11歳で王になったエイゴン3世は、子供らしさがなく、暗く、疑り深く、感情表現は乏しく、何事にも興味を示さないように見えた。この王が16歳の成人王になるまで、諸侯は、時には対立しながら「龍の舞踏」の戦後処理の難題に取り組んでいかざるを得なかった。そして、エイゴン3世が16歳になった時、今まで自分を無視して物事を決めていた評議会の諸侯たちに向かって、王は「今日から王として自分で執政する」と宣言、「王の手」やその他の役職にある諸侯全員に暇を出した。

というところでこの本は終わっている。

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一般的に『氷と炎の歌』シリーズの小説、その関連小説の内容とイギリス史の類似性があちこちで指摘されている。ターガリエン王朝の最初の7人の王に関して書かれているこの架空の歴史書を読むと、ここでもイギリス史を思い起こさせるエピソードに気付き面白いと思うだろう。まず、エイゴン1世のウェスタロス征服に関しては、イギリス史で「征服王」と呼ばれるノルマンディー公ウィリアムを思い出すと思う。最終的に6人の妃を持ちながら健康な子供が一人も生まれなかったメイゴル王に関しては、男子誕生を願って次々と妃を変えていったチューダー朝のヘンリー8世を思い出す。そして「龍の舞踏」と「薔薇戦争」の類似性。薔薇戦争では、ランカスター側が赤、ヨーク側が白と色で区別をしていた。そして「龍の舞踏」の勝負が決した後、勝った「黒」側のエイゴン3世が、負けた「緑」側のジェヘイラ王女を妻に迎えたエピソードは、薔薇戦争が終結した時、勝ったヘンリー7世が負けたヨーク家のエリザベスを妃にしたことを思い起こさせる。

『氷と炎の歌』シリーズのファンにとって、このターガリエン王朝の歴史書は、滅亡してしまったターガリエン王朝とはどんな王朝だったのか、どんな歴史があったのかという細かい疑問にも答えてくれる一冊だ。例えば、『氷と炎の歌』シリーズのはじめの頃、ターガリエン王朝がロバート・バラシオン達に滅ぼされた後、生き残ったデナーリス・ターガリエンはエッソスの自由都市ペントスの豪商の世話になっていた。そして、遊牧民族の族長と無理やり結婚させられることになるが、その結婚のお祝いとして3個のドラゴンの卵をその豪商から贈られた。そのドラゴンの卵はどういう経緯でペントスの豪商の手に渡ったのか? ターガリエンの歴史書では、厳重に外部に出ないように管理されていたドラゴンの卵が3個盗まれ、その後どこにあるかわからないというエピソードが出てくる。この盗まれた3個の卵が、デナーリスに贈られた3個の卵なのだろうか?

ジョージ・R・R・マーティンのファン・マニアにとって全く興味の尽きない一冊だ。

[2]1964年米国政府によって作られた貧困打開のためのボランティア活動プログラム。
[3]http://www.georgerrmartin.com/about-george/life-and-times/(ジョージ・R・R・マーティンの公式サイト)
[4]医療、化学、歴史などの知識を持つメイスターの結社の本部。オールドタウンにある。
[5]Archmaester 最高位のメイスターのこと
[6]Faith of the Seven エッソス大陸のアンダル人によって信仰されていた7つの神を信じる宗教。アンダル人が約2000年前にウェスタロスに侵入してきたとき、この宗教を持ち込み、その後ウェスタロスで広まった。
[7]Iron Throne 負けた敵から取り上げた剣を溶かして作った鉄製の王座。剣の刃が飛び出ているので、危ない。
[8]Hand of the King 王のアドバイザーであり、王の代わりに執政も行う

佐藤則男のプロフィール

早稲田大学卒。米コロンビア大学経営大学院卒(MBA取得)。1971年、朝日新聞英字紙Asahi Evening News入社。その後、TDK本社およびニューヨーク勤務。1983年、国際連合予算局に勤務し、のちに国連事務総長となるコフィ・アナン氏の下で働く。 1985年、ニューヨーク州法人Strategic Planners International, Inc.を設立し、日米企業の国際ビジネス・コンサルティングを長く手掛ける。この間もジャーナリズム活動を続け、ヘンリー・キッシンジャー元国務長官、ズビグニュー・ブレジンスキー元大統領補佐官らと親交を結ぶ。『文藝春秋』『SAPIO』などに寄稿し、9.11テロ、イラク戦争ほかアメリカ情勢、世界情勢をリポート。著書に『ニューヨークからのメール』『なぜヒラリー・クリントンを大統領にしないのか?』など。 佐藤則男ブログ、「New Yorkからの緊急リポート」もチェック!

初出:P+D MAGAZINE(2019/01/18)

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