【NYのベストセラーランキングを先取り!】2023年にドラマ化決定! 男性中心社会を生きるシングルマザー化学者の物語 ブックレビューfromNY<第81回>

エリート男性化学者と学位なき女性化学者

ボニー・ガルムスの初めての小説Lessons in Chemistry の舞台は、1950~60年代初頭のアメリカで、まだウーマンリブ[2]が台頭する前、#MeToo[3]運動など誰も想像できなかった時代の話である。女性は結婚して主婦になることが理想とされ、仕事はすべて男性中心で、多くの働く女性は補助的な役割しか与えられていなかった。

主人公エリザベス・ゾットはそんな1950年代、カリフォルニアのヘースティングズ研究所で、他の男性化学者と一緒のチームで、ただひとりの女性化学者として働いていた。研究所にはエリザベスを含め多くの化学者がいたが、そのなかでカルヴァン・エヴァンスは破格の待遇を受けていた。ノーベル賞候補になるほどの高名な学者で、英国ケンブリッジ大学で博士号を取った後、多くの著名な大学や研究機関から引く手あまただったが、「カリフォルニアは天気が良いから」というだけの理由で、一番しょぼい条件を出してきたカリフォルニアの民間研究機関であるヘースティングズを選んだ。研究オタクで社会生活が苦手なカルヴァンが、化学以外にのめりこんでいたのが漕艇だった。もともと漕艇競技で全米一と言われるハーバード大学を目指していたが不合格となり、仕方なく英国で漕艇が一番強いケンブリッジ大学に進んだといういきさつがある。しかし、雨が苦手なカルヴァンは晴れた日がほとんどない英国の天候にうんざりし、カリフォルニアのヘースティングズ研究所にやってきたのだった。

エリザベスが初めて会った時、カルヴァンはエリザベスを秘書だと勘違いしたため、彼女は冷たく対応した。 しかし後に2人は和解し、互いに心を開いていった。特にカルヴァンはエリザベスの化学者としての能力を高く評価し、いつしか恋人兼同志として尊敬し合う関係になっていった。研究所で特権を持つ看板化学者カルヴァンと地位の低い女性研究員エリザベスの仲は、周囲から冷たい目で見られた。やせ形で背が高く、いつも少し右に前かがみで(たぶん漕艇でオールをこぐ姿勢)、決してハンサムとは言えないカルヴァンと美人のエリザベスのカップルだけに、「エリザベスが美貌を武器に、世間ずれしていない有名化学者をものにした」と見られた。ほどなくして2人は、カルヴァンの家で一緒に暮らし始めた。高給取りのカルヴァンとは違ってエリザベスは最低の給料に甘んじていたため、家賃の代わりに食事は全部自分が作ると提案した。その他の家事は分担する約束で同居はスタートした。

カルヴァンは5歳の時に両親を事故でなくし、彼を引き取った叔母も、彼が6歳の時に自動車事故で亡くなった。その後、カトリックの養護施設で育ったカルヴァンは家族というものに憧れがあり、エリザベスと結婚して子供が欲しいと思い始めた。一方のエリザベスは結婚という形式にとらわれることを嫌がり、子供は欲しくないと思っていた。エリザベスの父親はキリスト教の伝道師で、母はお金だけに興味があり、夫がビリー・グラハム[4]のようにお金を稼ぐ福音伝道師でないことに不満を持っていた。エリザベスは子供の頃から、両親と全米各地を転々としてほとんど学校には行かず、兄と公共図書館で本を読み漁りながら勉強した。両親から放っておかれたエリザベスは、7歳年上の優しい兄に頼り切っていた。しかしその兄は、ホモセクシュアルであることを父親から責められ、エリザベスが10歳の時に自殺した。兄の死後も図書館で勉強を続けたエリザベスは、入学資格を得て化学の分野でUCLA[5]の大学院に入学した。しかし、学位を取る直前、指導教授から性的暴行を受け、身を守るために教授に怪我をさせた。結局、彼女が性的暴行を受けたという主張を警察も大学側も真剣に取り上げてはくれず、教授はお咎めなし、エリザベスは退学となって博士号を取れなかった。学位のないエリザベスを化学者として雇ってくれたのは、ヘースティングズ研究所だけだった。両親の育児放棄という苦い経験もあり、エリザベスは自分が結婚し、子供を持つことを考えられなかった。カルヴァンは彼女の意思を尊重し、結婚については一旦あきらめた。

ある土曜日の夕方、買い物の帰り道で、野良犬がエリザベスについてきた。エリザベスとカルヴァンは犬が家に来た時間にちなんで《6時半》と名付け、家で飼うことにした。《6時半》は家族の一員になった。 しかし、ある日《6時半》を連れて散歩中、事故でカルヴァンが突然亡くなるという悲劇が襲う。

未婚の妊娠で解雇

エリザベスとカルヴァンは家族だったが、法的には妻ではないので、カルヴァンの遺産も遺品も受け取れなかった。ただ、住んでいる家については、カルヴァンがエリザベスに内緒で共同名義に書き換えていたので、彼女は引き続き住むことができた。そして葬式の後、エリザベスは妊娠していることに気付いたのだった。カルヴァンの死後初めて出勤した日、エリザベスは未婚で妊娠したことを理由に研究所を解雇された。

UCLA時代から、エリザベスは《自然発生》[6]について研究していた。これは短期的に研究成果が期待できるとは言えない壮大なテーマだったから、研究所にとって優先順位は低かったが、カルヴァン・エヴァンスが応援していたことに加え、最近突然現れた大口の資金提供者が《自然発生》をテーマに指定して潤沢な資金提供をしてくれたので、優先的にこの研究を行なってきた。研究所で個人プレーが認められていたのはカルヴァンだけで、基本的にどの研究も複数の研究者のチームで行われた。エリザベスの《自然発生》研究も、他の3人の化学者との共同研究になっていたので、化学部門トップのドナティ博士は、エリザベスを解雇しても残りの化学者で研究を継続して資金提供を受けることができると考えたのだ。

妊娠中絶が違法だった時代、研究所をクビになったエリザベスは、自宅にこもって臨月を待つしかなかった。そんな彼女を《自然発生》研究チームの3人の化学者たちが次々と訪れるようになった。この研究は、エリザベスのイニシアチブで始まり、他の研究者たちは博士号を持ちながら、今までは補助的な役割しか担ってこなかった。しかし、エリザベス不在の今、ドナティ博士や大口資金提供者からの「成果を出せ」と言う圧力に耐えかねた化学者たちはエリザベスに教えを乞うしかなかった。エリザベスは、相談を受けるたびに相談料を徴収することにした。自宅の台所をDIYで改造し、化学研究や実験ができる設備を作って化学者たちの相談に応じた。

エリザベスは、カルヴァンの漕艇仲間だった産婦人科のメイソン医師のもとで何とか女の子を出産した。そして、近所の主婦ハリエット・スローンの助けを借りて、シングルマザーとして奮闘した。隣人のハリエット、愛犬《6時半》もエリザベスに協力した。

「お酢」ではなく「酢酸」

1961年、娘マド(マデリン)は5歳になっていた。エリザベスはテレビの料理番組のホストとして、型破りなスタイルで人気上昇中だった。きっかけは、テレビ局のプロデューサーの娘アマンダとマドが幼稚園で仲良しで、マドが毎日持参するエリザベス特製の弁当をアマンダが食べたことだった。エリザベスは最初、アマンダの父親ウォルター・パインに、娘の弁当が横取りされたと文句をつけたのだった。ちょうど午後の新しい番組企画を考えていたウォルターは、エリザベスを料理番組に起用することを思い立った。化学者として自負があるエリザベスには論外の提案だったのだが、その前年、マドを幼稚園に入れる資金のためにヘースティングズ研究所に再就職したものの、研究者ではなく助手にされて不満を抱いていた。そして、ドナティ博士が彼女の論文を盗用して科学雑誌に発表したことを知って、もはやこの研究所では働けないと決断、新しい料理番組Supper at Six(6時の夕食)のホストを引き受けた。

《料理は化学である》という信念を持つエリザベスは、料理番組でも自分のスタイルを崩さなかった。料理は化学の実験と同じで、真剣にやらなければならないと、終始、笑顔を見せず、ジョークも言わなかった。極めつきは、化学の専門用語や化学記号を使って料理の説明をしたことだった。例えば、vinegar(酢)とは言わずにacetic acid(酢酸)と言い、化学記号CH₃COOHを使った。テレビ局が用意した体のラインを強調する衣装や、エンディングでカクテルを作って微笑む演出も拒否した。それでも料理は栄養のバランスが良く、素朴でおいしかったし、無味乾燥な化学の授業と違い、エリザベスは視聴者である忙しい主婦に対する心遣いも忘れなかった。番組の最後に彼女はいつもこう言った。
「子どもたち、食卓に食器を並べなさい。お母さんは一人になる時間がちょっとだけ必要なのよ」

視聴率はうなぎ登りだったが、エリザベスは化学者として研究したいという思いを捨てきれず、心は晴れなかった。有名雑誌のカバーストーリーにも取り上げられたが、意に反して、カルヴァン・エヴァンスとの結婚を前提としない関係や、シングルマザーであること、大学院を中途退学したことなどがゴシップ的に取り上げられ、彼女に対する批判的な意見、あるいは彼女の生き方に肯定的な意見など賛否両論が渦巻いた。

そんななかで、カルヴァン・エヴァンスの、本人も知らなかった過去が明らかになっていく。それが、エリザベスと娘マドの将来にどのように関わっていくのか? エリザベスの仕事と子育ての奮闘はまだまだ続くのだった。

著者について

この小説は、テクノロジー、医療、教育分野で長年コピーライターやクリエイティブディレクターをしていた著者ボニー・ガルムスの初めての作品である。カリフォルニア生まれでシアトルにも住んでいたが、現在は夫と愛犬と共にロンドン在住。2人の娘の母でもある。趣味はオープンウォータースイミング、漕艇。[7]

Apple TVのドラマシリーズとして同タイトルで2023年に放映予定となっている。

[2]Women’s Liberation Movement: 1960年代後半~1970年代前半にアメリカ、ヨーロッパ諸国を中心に起こった女性解放運動。
[3]「私も」という意味のSNS用語。性的暴力被害を、ソーシャルネットワーキングを通じて告白、共有し、その撲滅を目指す運動。
[4]現代米国で最も有名な福音伝道師と言われている。テレビやラジオを通して神の教えを説いている。
[5]University of California, Los Angeles: カリフォルニア大学ロサンゼルス校
[6]Abiogenesis: 自然発生(説、論)。生物が親なしで無生物から一挙に生まれることがあるとする、生命の起源に関する説の1つ。
[7]“About the author”. P.391

佐藤則男のプロフィール

早稲田大学卒。米コロンビア大学経営大学院卒(MBA取得)。1971年、朝日新聞英字紙Asahi Evening News入社。その後、TDK本社およびニューヨーク勤務。1983年、国際連合予算局に勤務し、のちに国連事務総長となるコフィ・アナン氏の下で働く。 1985年、ニューヨーク州法人Strategic Planners International, Inc.を設立し、日米企業の国際ビジネス・コンサルティングを長く手掛ける。この間もジャーナリズム活動を続け、ヘンリー・キッシンジャー元国務長官、ズビグニュー・ブレジンスキー元大統領補佐官らと親交を結ぶ。『文藝春秋』『SAPIO』などに寄稿し、9.11テロ、イラク戦争ほかアメリカ情勢、世界情勢をリポート。著書に『ニューヨークからのメール』『なぜヒラリー・クリントンを大統領にしないのか?』など。 佐藤則男ブログ、「New Yorkからの緊急リポート」もチェック!

初出:P+D MAGAZINE(2022/09/14)

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