村崎なぎこ『オリオンは静かに詠う』
旅路の果て
私が生まれ育った栃木県宇都宮市は小倉百人一首ゆかりの街で、日本最大規模の競技かるた市民大会も開催されている。ろう学校の生徒が先生の手話通訳で大会に出場していることを知ったのは2009年秋。新聞に掲載されていた、同校の先生のインタビュー記事からだった。
──私の通訳ミスは生徒の敗北につながる。だから正確に、読手に遅れることなく通訳をしなければならない。
その言葉に惹かれ(残念ながら記事を保存しなかったので、記憶違いの部分もあるかもしれない)、大会を観戦しようと、市立体育館に行った。
読手が読み始めるその瞬間、選手たちは畳に並ぶ札を見つめているが、ろう学校の生徒は顔を上げて読手の方向を見ている。隣に、手話通訳の先生がいるのだ。
読手の読み始めに先生の指文字がピタリと合う。指が動き出すやいなや、生徒は札を取りにいく。
先生と生徒の連携プレーに、心を奪われた。
時は流れて2022年4月。私のデビュー作『百年厨房』が出版されて少し経ち、小学館の担当さんから次作の案を訊かれた。
先生のインタビューをモチーフに書きたいと伝えると、担当さんはニッコリ笑って言った。
「この本を書き上げたとき、村崎さんはとても成長していると思います」
しかし、歩みだした旅路がこうなるとは全く想像していなかった。
まず、プロットが通らない。
何度出しても戻ってくる。主人公を先生から生徒に変更し、構成を見直しても通らない。
3か月、半年、1年経過……。行く手に濃い霧がかかって先が見えない中、取材だけは続けていたある日。ふと気付いた。
「先生と生徒だけじゃなく、読手や対戦相手にもそれぞれのドラマがあるはず」
最初の提案から1年2か月、4人を並列主人公にした12稿目のプロットが通った。
霧は晴れ、道しるべが現れたのだ。
しかし、その先の道は急峻で、荒れていた。
今度は原稿が通らない。
担当さんに原稿を出すたびに、ダメ出しされて戻ってくる。
4稿目、5稿目、6稿目……。
道を啓開する自信も体力も失われていくのを感じた。
しかし、取材に協力してくださった方々を思い起こす。ここでリタイアしたら、みなさんに合わせる顔がない。
原稿と並行して、タイトルにも苦戦していた(仮題は「世界観を表せていないです」と早々にボツだった)。
悩みながら大会の写真を眺めていた時。会場に敷かれた800枚の畳が宇宙のように、たくさんの参加者たちや取り札が星のように見えてきた。
そして読手と手話通訳の先生、生徒と対戦相手の輝きが結ばれて……星座になった。
そうだ、オリオン座にしよう。有名な商店街「オリオン通り」がある宇都宮のメタファーにもなる。
タイトル案「オリオンは静かに詠う」は、すぐにOKが出た。
オリオン座をモチーフとしたことでサイドストーリーも次々に生まれ、道は大きく開けていった。
担当さんに「入稿します」と言われたのは9稿目。プロットが通ってから(またしても)1年2か月が過ぎていた。
そして、本書の発売日である2025年1月29日。
3年近い旅路の果てに私が目にしたのは、オリオン座が煌めく星空で札を取るヒロイン・咲季の姿だった。
迷える私の北極星となり導いてくださった担当さんに感謝しつつ、自分に問いかける。
書き終えた今、果たして成長できたのだろうか、と。
答えは「はい」だと信じ、私は新たな旅に出た。
村崎なぎこ(むらさき・なぎこ)
1971年栃木県生まれ、在住。食べ歩きブロガーのかたわら、夫のトマト農家を手伝う。2021年「百年厨房」で第3回「日本おいしい小説大賞」を受賞し作家デビュー。他の作品に『ナカスイ!海なし県の水産高校』などがある。
【好評発売中】
『オリオンは静かに詠う』
著/村崎なぎこ