こざわたまこ『教室のゴルディロックスゾーン』スピンオフ小説「犬」

教ゴルスピンオフバナー

***

「何やってんの」

 俺から話しかけられるとは思っていなかったらしく、健斗はちょっとびっくりしたような顔をして、でもそれを隠すように、るせー、って小さくつぶやいた。すねたような横顔が、昔サッカークラブの試合で負けた時によく見せていた、幼い頃の健斗の表情と重なる。そういうところは、昔から全然変わってないんだな。あのさ、と口を開きかけた直後、テントの向こうから、わーっと歓声が聞こえてきた。クラス対抗リレーの第二走者が、次の走者にたすきを渡したらしい。

「そんなとこいて、暑くないの」

「別に」

 別に、と健斗は言うけど、ひさしから大きく外れたここは、がんがん西日が照り付けている。暑くない、はずがない。その証拠に健斗の顔は赤く火照ほてって、頬骨のあたりがほんのり日焼けしていた。やせ我慢もいいところだ。

「応援席、戻んないのかよ」

「戻っても、意味ねーし」

「意味ないことはないでしょ」

「どうせ、もう勝てねーよ」

 体育祭も終盤に近づき、残すはクラス対抗リレーの結果を待つのみとなった。俺達のクラスがここから逆転するには、リレーで他の選手を全員ぶち抜いて、一位になるくらいの奇跡が起こらないと難しい。絶対優勝するぞ、なんて意気込んでいた健斗からすると、かなり不本意な結果に終わる可能性の方が高い。最後の頼みの綱であるはずのリレーだって、スタートからじりじり順位を落として、うちのクラスはほとんどビリになりつつある。

 この体育祭を通じて、健斗のクラスでの立ち位置は微妙なものになったと思う。健斗は練習に参加しなかった奴を一方的に叱りつけて、本人の聞こえるところで悪口を言ったりしていた。塾とか部活とか家の用事とか、人にはそれぞれ事情があるのに。そんなんじゃ、みんながついて来てくれるわけがない。

「……何、意地張ってんだよ。いいから戻ろうぜ」

 無理やり健斗の腕を取ろうとすると、ばしっ、と乱暴に払いけられた。おい、と抗議しようとした俺を遮り、

「誰かに言われて来たわけ」

 健斗が俺を睨みつける。そんなんじゃねーし、と首を振って、その視線を真正面から受け止めた。しばらく睨み合っていると、健斗が急に、ふっと口元を緩めた。何笑ってんだよ、と唇を尖らすと、健斗はそれに答えるでもなく、お前はすげーな、とつぶやいた。

「そういうとこ、昔っから全然変わんねーのな」

 健斗が何を言っているのか、すぐにはわからなかった。しばらくして、あ、と思い至る。俺たちが仲良くなった、最初のきっかけ。五年生の運動会だ。あの時もこんな風に、健斗はクラスで孤立しかけてた。理由は大体、今と同じだ。無駄に敵を作ってはトラブルに首を突っ込み、なんでみんな俺について来ねーんだよ、とへそを曲げている健斗が見てられなくなり、俺が間に入って他の奴らとの関係を取り持ってやったのだ。俺は、健斗のいいところもちゃんと知っていたから。それをクラスのみんなが知らないのはもったいない。健斗がちょっとでも、みんなと上手くやってくれればいいと思った。あの時はただ、それだけの理由だったはずだ。

「モトは、俺みたいな奴のことがほっとけねーんだろ」

「別に、そういうわけじゃねーよ」

 健斗は俺を買いかぶりすぎている。本当に、そういうわけじゃない。そういうわけじゃないのだ。だって俺はあの時、健斗をかばいもしなかった。



【好評発売中!】

 

『教室のゴルディロックスゾーン』
こざわたまこ


こざわたまこ
1986年福島県生まれ。専修大学文学部卒。2012年「僕の災い」で「女による女のためのR-18文学賞」読者賞を受賞。同作を収録した『負け逃げ』でデビュー。その他の著書に『仕事は2番』『君には、言えない』(文庫化にあたり『君に言えなかったこと』から改題)がある。

週末は書店へ行こう! 目利き書店員のブックガイド vol.103 未来屋書店石巻店 恵比志奈緒さん
連載第1回 「映像と小説のあいだ」 春日太一