こざわたまこ『教室のゴルディロックスゾーン』スピンオフ小説「犬」

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『こんなことで放課後潰すくらいなら、塾の課題を一個でも多くやりたいよな』

 まだ、体育祭の準備が始まったばかりの頃のこと。看板がどうの、応援歌がどうのと張り切る健斗をよそに、クラスのあちこちにはすでに冷めた空気が漂っていた。俺のいるグループなんか、その筆頭だったと思う。

『あいつって、ちょっと子どもっぽくない? 同じ教室にいるの、結構きついんだけど』

 同じ塾に通っている友達がそんな風に健斗のことを評した時、俺はそれをとがめるどころか、わかるわかる、大沢ってそういうところあるよな、と前のめりで相槌あいづちを打った。りもせず、過去と同じ過ちを繰り返そうとしている健斗。クラスメイトが自分に協力的じゃない、という理由で癇癪かんしゃくを起こし、俺の友達から鼻白まれている健斗を見るのがつらかった。お前まだそんなことやってんのかよ、って。そう思ったら、一緒になって健斗を悪く言う以外、このやるせなさを解消するすべはないような気がした。

『小学生じゃないんだから、体育祭ごときに一生懸命になってられないよな』

 昔の俺なら、そんなこと言っただろうか? 変わった変わった、と俺は言うけど、本当に変わったのは健斗じゃなくて、俺の方だったのかもしれない。

 その時、思った。あ、これ、あの時と同じじゃん、って。俺はあいつにしたのと同じことを、健斗にしようとしている。

「……モト?」

 俺は健斗が思うほど、いい奴じゃない。そんなの、ずっと前からわかっていたことだ。俺が公園で犬に追い回されていたクラスメイトを――いや違う、友達だったはずのあいつを見捨てた時から、ずっと。こうして思い返してみると、あいつはちょっとだけ、健斗と似ているところがあった。口が悪くて皮肉屋で、本当はどこか繊細せんさいで。先生に変なあだ名を付けるセンスとか、ぼそっとした何気ない一言が秀逸で、自分の周りを、特に男子をきつけるのが上手い奴。

 言葉や態度がきついせいで、一部の女子からは嫌われてたけど、俺はあいつが好きだった。たしかに口は悪いし、悪ノリが過ぎるところもある。でも一緒にいるのは楽しいし、根はいい奴だって、そう信じていたから。だから、あいつが特定のクラスメイト(大抵は背が低かったり、太っていたり、極端に大人しかったりした)にいじりと称してひどい言葉を浴びせたり、相手の持ち物を隠したりしていた時も、積極的にそれを止めようとはしなかった。やめてよ、なんて言いながらもその相手は笑っていたし、あいつはあいつで周りを喜ばせようとしてやってるだけなんだから、って。

 ある日そいつから今日の放課後空いてるかって聞かれた時、俺はサッカークラブの奴らと約束があるからと言って、その誘いを断った。事件が起きたのは、それから数時間後。俺はあいつが犬に追いかけ回されるのを、たまたま通りかかった公園で、クラブの奴らと一緒になって見ていた。必死で犬から逃げようとするあいつに気がついた時、俺が最初に思ったことは、「助けなきゃ」とか「大人を呼ばなきゃ」とかじゃなかった。俺を見つけないでくれ、ということだった。頼むから俺を見つけて、助けを求めてきたりなんてしないでくれ。

 あとで知ったことだけど、そいつを追いかけ回していたのは、当時同じクラスだった女子が家で飼っていた犬らしい。その頃、そいつがクラスメイトの女子にちょっかいをかけていることは知っていた。その行動が日に日にエスカレートしていることも、グループの奴らが時々陰で、あいつの悪口を言っていることも。俺はやっぱりその時も、グループのみんながあれこれ言うのを黙って聞いているだけで、何もしようとはしなかった。

 途中までは、なんだなんだとふざけ半分で成り行きを見守っていたクラブの奴らも、そいつが恐怖のあまり公園の砂場でらしてしまってからは、さすがに笑わなくなった。というより、笑えなかったんだと思う。それくらい、ショッキングな場面だった。学校ではいつも偉そうで、冷めたような態度を崩さなかったあいつが、涙と鼻水で顔をべしょべしょにしてズボンをらしている。俺は今でも、あの日のあいつの顔を思い出すと、心臓が縮むような心地がして、なんだか息が苦しくなってくる。



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『教室のゴルディロックスゾーン』
こざわたまこ


こざわたまこ
1986年福島県生まれ。専修大学文学部卒。2012年「僕の災い」で「女による女のためのR-18文学賞」読者賞を受賞。同作を収録した『負け逃げ』でデビュー。その他の著書に『仕事は2番』『君には、言えない』(文庫化にあたり『君に言えなかったこと』から改題)がある。

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