話題沸騰、たちまち重版記念! 水村舟『県警の守護神 警務部監察課訟務係』ためし読み
勤務に就くと、朝から交通事故が重なったこともあり、忙しかった。
急きょペアを組まされた牧島巡査部長は、定年が近く、億劫がって何でも千隼に対応させようとする。息つく暇もなく体を動かしているうちに、日が暮れた。
夕食には、警察署近くの食堂からデリバリーを頼んだ。店主は、千隼に直接は言わないが、競輪好きで千隼のファンだったという。
「クリスマスイブに仕事かい。せめてチキンでも食べたら? チキン南蛮と鶏唐揚げがあるよ。大盛りサービスするよ」
電話越しにそう言われたので、千隼は、どちらもクリスマスらしくないと思いつつも「両方ください」と言った。
定食でオーダーしたので、ご飯とみそ汁も二つずつ届いた。千隼がデスクをいっぱいに使って二人分の定食を並べ、平然と食べ始めたのを見て、牧島は、呆れたように言った。
「そんなに食べて、これから何をするつもりなんだい」
「今夜は、バイクで暴走する少年たちが出てくるんですよね? 朝まで動きっぱなしかもしれないから、しっかり腹ごしらえを……」
「うちは行かないよ。暴走族の対応は、隣接交番の連中がやる。近隣の交番が空になるから、うちは、特別な通報事案がない限り、交番を離れるなと言われているんだ」
「本当ですか」
あなたが交番から出たくないだけじゃないでしょうね、と言いかけたのを呑み込んだ。
日付が変わる時刻が近づくと、遠くからバイクの爆音が聞こえてきた。警察署員が交わす無線が騒がしくなる。それでも本当に牧島は動こうとしなかった。
夜が更けていく。
せっかく非番を返上して勤務に就いたのに──と千隼は悔しくなってきた。何もせず、空しく夜が過ぎていくことに耐えられない。他の交番の人たちは、バイク数台で暴走行為を繰り返す不良を取り締まるため、寒空の下を駆けまわっているというのに。
「私ひとりでも行かせてください。何か仕事がしたいです」
「よほど体力が余っているんだね」
牧島は、持参してきた豆を使い、自分のためにコーヒーを淹れていた。
「それなら、パトカーを洗車してきてくれないか。先週、地域課長に、パトカーに汚れがあるって怒られちゃってね……頼むよ」
不承不承、千隼は交番の外に出た。
たまに車が通るが、交番の前でもスピードを落とさず、闇の中を疾走していく。
交番のパトカーは、トヨタ製一三〇〇CCのコンパクトカーだ。
「そんなに汚れていないし。洗うにしても、朝、当直明けの時間でやればいいのに」
制服の袖をまくり上げ、バケツに水を溜めて、冷水に浸したタオルを両手で絞る。指先が凍てつくようだ。千隼はパトカーにホースで水をかけ、優しくタオルで汚れを落としていった。
勤務中は常に無線機のイヤホンを装着している。流れてくる男たちの声は興奮気味だ。
──浜貫交番一号より。対象は第三中学校前を南方向へ進行中。あ、また信号無視しやがった。三回目です。
──こちら中央三号。南谷交差点で待ち伏せする。他に来てくれるPCいませんか?
──本署から各員へ。中央三号に集中運用せよ。待ち伏せで捕まえろ。絶対に逃がすんじゃねえぞ。
「私ら、応援行けるじゃん。あーあ、行きたいな。行きたかったな」
定食をひとつ余計に食べて蓄えたパワーが体内に余っている。スクワットの動作を交えながら、乾いたタオルで車体を拭き上げていった。
交番の中から電話の呼出し音が聞こえた。千隼はタオルを放って駆け出した。
ガラス戸を開けると、すでに牧島がデスク上の電話機で話をしていた。
「万波町の五二三番、ハイツナガオカ三階付近。女性の悲鳴が聞こえたとの通報があった……」
出動指令とわかった瞬間、気持ちが切り替わる。千隼はパトカーへと駆け戻り、運転席に滑りこみ、聞き取った住所をナビに入力した。現場までの距離表示は約四キロ。緊急走行で向かえば五分もかからないだろう。
牧島がガラス戸に鍵をかけ、太った腹を揺らしながらのっそりと歩いてくると、運転席のドアを開けた。
「どいて。俺が運転するから」
「大丈夫です。私もパトカーの運転資格あります」
「だめ、だめ。やる気のある若者の運転は怖くてね……知ってる? 警察官の殉職は、交通事故が一番多いんだよ」
牧島には何を言っても無駄のような気がして、千隼は運転席を譲った。助手席に移り、赤色灯とサイレンのスイッチに手を伸ばす。
「一一〇番通報じゃないから、緊急走行はいらないよ。今の電話は副署長からだ。警察署に匿名の電話があったから、様子を見てこいというだけ」
牧島がゆっくりアクセルを踏む。千隼は車が来ないのを確認して「右よし」と呼称したが、牧島は聞いていないようだった。
パトカーは制限速度ぴったりで走っていく。もどかしくてたまらず、千隼は、ナビの距離表示と腕時計の確認を繰り返した。
『県警の守護神 警務部監察課訟務係』
水村 舟
水村 舟(みずむら・しゅう)
旧警察小説大賞をきっかけに執筆を開始。第2回警察小説新人賞を受賞した今作『県警の守護神 警務部監察課訟務係』でデビュー。