伊藤朱里さん『稽古とプラリネ』

第104回
伊藤朱里
稽古とプラリネ
小説とはこうでないといけない、という、
媚びた態度で小説を書きたくはない。
今回振り切って書いてみてよかったです。
伊藤朱里さん『稽古とプラリネ』

 太宰治賞を受賞したデビュー作『名前も呼べない』(「変わらざる喜び」を改題)で注目された伊藤朱里さんが、待望の第2作を上梓。もうすぐ30歳になる駆け出しのライターが、体験記事を書くためにさまざまなお稽古事に挑戦。そのなかで思うこととは? 同世代の女性たちに向けて書き切った、長篇小説だ。

29歳ライターの仕事と友情とお稽古

 2015年に第31回太宰治賞を受賞した伊藤朱里さんが、待望の第2作を発表した。タイトルは『稽古とプラリネ』。主人公は3年間勤めた銀行を辞め、副業でやっていたライターに本腰を入れることにした南景以子。ファッション誌でお稽古事の体験記事を書くことになった彼女は、季節ごとにさまざまな習い事に挑戦していく。その一方で、学生時代に同じサークルだった友人、愛莉との友情の変化も描かれていく。

「きっかけはいくつかあるんです。いちばん大きかったのは、去年私の親友が結婚した時に、私のデビュー作の単行本を引き出物にしようかなと言われたことですね」

 ちなみにその『名前も呼べない』の表題作であり太宰治賞の受賞作(「変わらざる喜び」から改題)は、幼い頃父親に虐待されて以降、接触恐怖症になった女性が、元不倫相手に子どもができたと聞いて動揺して……という内容。

「さすがに内容的に引き出物には相応しくないから絶対駄目だよ、と言いました(笑)。その時はそれで終わりでしたが、じゃあ人の不幸を突き詰めたようなデビュー作とは逆からのアプローチができないかなと思ったんです。私は今年31歳になりますが、同世代には会社勤めに疲れて嫌だな、行きたくないな、という人が多い。そういう人たちが通勤電車や休み時間に読んで楽しめるものを書いてみたくなりました」

 その時に頭に浮かんだのが、数人の編集者からの「エッセイが面白い」「ああいう小説は書かないのですか」という言葉。

「エッセイは誤解されたり馬鹿と思われたりするのは自分だけなので、軽いノリで書けるんです。小説は登場人物に対して責任があるので、同じノリでは書けないですと言っていたんですが、"書いてみてください"と言ってくださる方がいるんだから、書いちゃいけないわけじゃないんだなと思って。デビュー作はいろんな人に誤解されないように気を使って書きましたが、自分はデビューしたばかりだし守るものがあるわけじゃないし、実績のないうちに思い切ったことをやるのは今後にプラスになる気もして。それで、多くの人に受け入れてもらおうというよりも、特に同世代の女性に刺さるように書いてみることにしました」

 前作とは逆方向へ振り切ることにした本作。その試みのひとつが、固有名詞や俗語の多さだ。流行りの言葉や商品名、アニメソングや漫画や映画のタイトル……。それが、南の生きる世界の現実だということがよく分かる。

「前作では時代を特定するものを出すのが嫌だったんですが、今回はあえてバンバン出して、どこまで通用するかやってみようと思いました。長嶋有さんも小説の中に商品名などをすごく出されますよね。自分にはまだまだ無理ですが、ああいう感じにしてみたかったんです」

大人になってからの習い事

 駆け出しのフリーライターが習い事を体験する、という設定に関しては、

「このくらいの年齢になると、多くの人がお稽古事をいくつか経験していますよね。ふと思うのが、将来役に立つわけでもないし職業にするわけでもないし、しかも教室で面倒くさい人間関係があったりするのに、何のためにやっているのか、自分でも分からないということ。それと同時に、家族でも会社の同僚でもない、利害関係ではない人たちとの関わりって、今回考えてみたかった"友達ってなんだろう"というテーマにも通じるところがある気がしたんです。最初はお稽古事マニアの女の子の話にするつもりでしたが、それよりも、一歩引いた、ビジネスライクなスタンスのほうがいい気がしました。それに自分も女性誌を読むのがすごく好きだったのですが、“~系女子”とレッテルを張られることで息苦しくなることもあれば、生きやすくなる人もいるんだろうなと感じていたんです。そういう言葉を発信する側のジレンマにも興味がありました」

 1日や半日だけ体験取材してもいい記事が書けないため、予習として別の教室で体験レッスンを受けることにしている南。「秋 製菓とシネマ」「冬 茶道とスカート」……などと、その季節に体験する稽古事を冠したタイトルで物語は進む。お稽古事を始める主人公の名前が景以子というのも可笑しみがあるが、

「ライトな名前にしようと思いました。ただ、三人称の文章の中に何度も景以子という名前が出てくるのはどうかと思い、名前ともとれる苗字を使うようにしました。周りの人が彼女を"南"と呼ぶことで彼女が人間関係を構築するのが上手ではない人であることや、昔の友達にだけ"景以子"と呼ばれるという、へんな感じを出してみたかった」

 南は29歳。フリーランスで安定しないうえ、恋人とも別れたばかりだ。

「自分に近い年齢から考えた時、29歳がベストだなと思いました。30歳や31歳になるとそれほど人生に迷わなくなるし、開き直る人もいる。いちばん迷うのは30代になる一歩手前、29歳の時だなと思ったんです。以前友達が"30歳になったらラクになった。もう31歳以降は薄めの感慨で歳をとっていくんだなと思った"と言っていて。私は今30歳ですが、29歳の時に年齢を聞かれると"もうすぐ30です"と答えていたんですが、それは友達が言っていたことと通じるなと思って。このテーマで書くなら29歳がベストだなと思いました」

 登場するお稽古事は実際経験したものも多く、

「私は南のように嫌な思いはしていません(笑)。でも友人はヨガ教室で常連さんの場所を取ってしまった時、ヨガマットで背中を叩かれたそうです。お稽古事でなんでそこまでするんだろうと思うと同時に、そこまで入れ込めるのは幸せだなとも思いました。みんないろんなところで自分の居場所を見つけようとしているんですよね。それにある程度の年齢になると、新しいことを始めるのが珍しくなる。その点お稽古事というのは知らないことに出合える場所でもありますよね」

 稽古を通してのさまざまな出会いも印象に残る。時には読んでいるだけでムカつく相手もいるが、製菓教室の若い講師、まりちーなどは、未熟そうでいて実はとても好感の持てる相手だ。

「私もまりちーは一番好きです。頭のよさって勉強ができることとは違うんですよね。どういう時にどう行動すればいいのか、身体で憶えているような人。ちょうどこれを書いている頃、"本ばかり読んで物事を知っていれば偉いってもんじゃない"という怒りに駆られていたんです(笑)。それで、自ら発信するタイプではないけれど尊敬できる、まりちーみたいな人のことは書いておきたくなりました。愛莉もそうですが、問題を抱えていても何も言わずに頑張っている人に寄り添いたかった」

 その一方で、先輩からマウンティングされる経験も待っている。

「私がもし会社勤めを続けていたら、お局様になっていたと思う。1年目の新人を見て、"自分が1年目だった時はこうしていたのに"と思っている気がするんです。だからお局様って嫌だねと言っているだけではなく、10年後20年後に自分がそうなっているかもしれないという危機感を持っていたい。マウンティングしてくる先輩が登場する章のオチはよくよく考えました」

友情について考えたかった

 お稽古事と同時に描かれていくのが友人、愛莉との関係だ。時に衝突してもきちんと仲直りできる二人の姿が微笑ましい。また、それとは別に、少しずつ見えてくるのは南が小さい頃の友人に対して、何か後ろめたさを持っているらしい、ということだ。

「自分も疎遠になった女友達とは、みんなきれいに仲を清算できたわけではなくて、どこかしら後悔や誤解が残っています。恋人同士と違って、友人同士の関係は続けようと思えばいくらでも続くのに、それでもはっきり仲が壊れたとしたら、それはかなりやっかいなことがあったわけですよね。もしもそういう別れ方をした友達が今会いに来て"あの時なんでああだったの"と訊かれたとしたら、それは想像するだけで怖いです(笑)」

 書いているうちに内容は変化したが、最初に念頭にあったのは、傷ついた人間のほうが偉いとでもいうような風潮への反発。

「傷ついたことのある人こそ人の痛みを分かるという説がありますが、本当かなと思っていて。そのためか会話が不幸自慢合戦になりがちだったりしませんか。"こんな辛いことがあって"と話すと"いやいや、私なんてこんな目にあって"と言う人がいる。それは何の解決策にもなりませんよね。主人公の不幸をつきつめて書いた前作を"悲劇のヒロイン系の話"と括られてしまうことにも反発を感じました。今回は一人でも多くの人に届けるために、アプローチを変えないといけなくて、闘い方を変えてみようとすごく考えました」

 伊藤さんにとって、小説を書くことは闘い?

「ああ、南が人生つねに見えない敵と闘っているような人なので、これを書いている間は同じスタンスでいました(笑)」

 そんな南と親友の愛莉の関係については、

「『名前も呼べない』の時にも友情のことを書きましたが、その時に主人公の友人でトランスヴェスタイトのメリッサが好きと言ってくれる人が多くて。ただ、メリッサという存在が好きというよりトランスヴェスタイトという設定が気に入られたのかもしれないので、今回は通常の女性でも好きになってもらえるかを考えて、南や愛莉の造形が決まっていきました。彼女たちのことを書くことで、友達だからこうすべき、というものを全部壊していきたいとも思っていました。友達なら秘密も打ち明けるべきとか、困った時は助けてあげるべきとか、そういう考え方を裏切っていきたかったんです。ただ、友人が人から責められて"これは自分がいけないんじゃないか"と思っている時に自分なら相手のためにどう振る舞うだろうかと考えて、そのひとつの答えとして作中のような展開が必要じゃないかと思いました」

 終盤、愛莉の言葉が鋭くて痛快だ。友情というものを美化せず、それでも肯定している姿勢に気づかされることは多いはず。

「一度にたくさんの人を救うことはできない。大事な人を大事にするだけで精一杯ということを書きました。それに、相手がひどい態度をとるなら、無理に助けようとしなくてもいいんじゃないかなとも考えたんです」

登場人物を削ったら筆が進んだ

 本作の執筆中には、一度1か月ほど先が書けなくなった時期もあったという。

「第4章の『夏 声楽と再会』を書いている頃、1か月くらい書けなくなったんです。それで、小説を読むのが好きな知人に読んでもらったら、登場人物の名前を2、3人挙げて"この人たち要らない"と言われたんです。驚いたものの、その意見に乗っかってみようと思って人物を削ったら、そこから2週間ほどで100枚ほど書けたんです」

 削ったためか、たとえば声楽の講師の人生背景について、あえて説明がない箇所もあるが、

「全部知らないと関係性が築けない、ということが嫌だったので、読者にも全部は教えないでおくことにしました。そうしたらずっと書けなかったのに、話が進みだしたんですよね」

 そして書き切った本作。「うまく書けたのか不安で……」と言いつつも、

「『こうあるべき』という殻を少しは破れたかと思います。小説とはこうでないといけない、という、媚びた態度で小説を書きたくはない。今回振り切って書いてみてよかったです」

伊藤朱里(いとう・あかり)

1986年、静岡県生まれ。「変わらざる喜び」(「名前も呼べない」に改題)で、第31回太宰治賞を受賞。本作が2作目となる。

〈「きらら」2017年4月号掲載〉
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