山口敬之著『総理』著者インタビュー

綿密な取材で再現される、政治家それぞれの決断。迫真のリアリティで政権中枢の人間ドラマを描く、話題のノンフィクションの執筆の背景を、著者にインタビューします。

【ポスト・ブック・レビュー 著者に訊け!】

政権中枢の人間ドラマを迫真のリアリティで描く話題のノンフィクション

『総理』

総理_書影

幻冬舎 1600円+税

装丁/幻冬舎デザイン室

山口敬之

著者_山口敬之

●やまぐち・のりゆき 1966年東京生まれ。慶應義塾大学経済学部卒。90年TBS入社。報道局カメラマン、ロンドン特派員、社会部を経て、2000年政治部へ。13~15年ワシントン支局長。昨春、ベトナム戦争時の韓国軍慰安所を巡る記事を「週刊文春」に寄稿。その手続きを巡って営業部に異動となり、今年5月退社。現在はフリージャーナリスト兼アメリカ系シンクタンクの客員研究員として政治外交分野で活動。176㌢、73㌔、O型。

憲法改正等の課題と総理の言動が不可分な
うちに国民に伝えることが自分の仕事です

取材対象、中でも特定の政治家と親し過ぎる記者は、山口敬之氏の古巣・TBSでは、暗に疎まれたという

「たぶん現政権にそこまで食い込んだ前例がないから、嫌われたというより、扱いに困ったんだと思います。僕が外務省担当やワシントンに異動になったのも安倍首相就任と再任のタイミングでした。他社が官邸になるべく近い記者を集めるのと比べると、相当独特です」

 しかしどんなスクープも対象に肉薄しなければ取れるはずはない。企業ジャーナリスト特有のジレンマに苦しんできた氏が退社後、改めて世に問うのが、安倍晋三首相及び内閣の実像に迫る初著書『総理』である。

 安倍の体調不良を理由に突然幕を閉じた第1次政権(06年9月~07年9月)と、第2次政権(12年12月~)の〈本気度〉の違いには、戸惑う有権者も少なくない。では何が彼を変えたのか、本書は官邸中枢と近いからこそ知り得た「ファクトだけ」を綴り、早くも話題を集めている。国民にとって真の判断材料は、政権の「真の姿」にあると信じて。

「予め言っておきたいのは、僕は本の内容は出版されるまで誰にも伝えていないし、ゲラを見せてもいない。たぶん本が出て一番驚いたのは安倍さんたちで、現に『そこまで書くか!』って、今や軽い緊張感すら生まれている。それで壊れる関係なら諦めるしかないし、今後も書くべきはとことん書く所存です」

元TBSの山口氏といえば、ワシントン支局時代にベトナム戦争当時の韓国軍慰安所に関する米公文書の存在を発掘し、某誌でスクープした、あの山口氏だ。この一件を報じないとした局側の方針に反し、他媒体への寄稿を選んだ氏は支局長を解任されるが、それも「取材事実は全て公表するべき」という信念ゆえか。

「その通りです。今回も番組の尺の中では報じきれなかった事実を、現場を干されたから書けて、むしろ肩の荷が下りた感じもある。

安倍首相や麻生副総理や菅官房長官がどんな人間性を持ち、どんな議論を経てその決定が下されたか、僕は彼らと近しいだけに肯定的表現には慎重にならざるをえなかった。まして安倍政権の場合は、〈アベ政治を許さない〉と言う人に限ってアベもアベ政治もよく知らない一方、好きな人は無批判に好きで、要はどちらも根拠や足場を持たないヘイトスピーチに近い。

僕は仮にもジャーナリストを名乗る人間が好き嫌いを言い過ぎるのはどうかと思うし、人格批判やイデオロギーの入り込まない事実だけを、僕自身の論評さえ挟まずに書くことを心がけました」

本書は07年9月、TBSが安倍辞任の第一報を抜いた際の再現劇から始まり、5年後の再出馬の動機ともなった盟友・中川昭一氏の死や震災。同じく大宰相を祖父に持つ麻生の義理堅さや戦後最高の官房長官とも称される菅の仕事の質まで、自身が見聞きした事実を元に構成される。

例えば第一次内閣解散の際は、元々〈電話嫌い〉な氏が安倍の体調を気遣い、自分の電話には必ず出るよう促すと、安倍は〈コールバックがなかったら、異変があったってことだね〉と言い、それがスクープ速報を生む符牒となった。またこの時麻生からは内閣改造に向けた〈直筆の人事案〉を安倍に渡すよう託され、近年では消費税引き上げを巡る解散を賭けた駆け引きなど、内政・外交面の重要案件に関わる〈伝令役〉としても機能した。

「僕も当初は、政治記者=政治家におもねる不潔な印象があったんですが、やってみると永田町では誰もがプレイヤーで、誰ひとり超然とはしていられないことがわかった。例えば僕が誰かを取材した事実が次なる事態を誘発する以上、『記者だからメッセンジャーはやりません』というのは陳腐だと思うんです。ただしやるからにはいずれ全てを国民に報告するべきで、それが僕らの免罪符でもある。

一方政治家も単に味方が欲しい人や一国民としての意見を聞きたがる人など、求める記者像は人それぞれ。その点、安倍さんは厳しい意見も聞く耳は持っていますし、対等な関係を求める僕と馬の合う人がたまたま現政権には多いだけです」

大衆迎合や対米追従と違う論理

政治学にポリティカル・アセット、つまり〈総理の貯金〉とでも訳すべき概念があるという。特に第二次政権以降、支持率やアベノミクス効果といった貯金を背景にあえて不人気法案や〈狭き道〉に挑む安倍と、かつて長期政権を実現した中曽根・小泉両首相の〈広き道〉を比べて氏はこう書く。〈二度の政権交代を経て、「広き道」を選ぶ政治家に対する有権者の不信感が、日本の政治の風景を変えつつあるのではないか〉〈貯金の使い方には人生観が映される。宰相も同じである〉

「北岡伸一・東大名誉教授もまた、安倍さんが祖父岸信介以来途絶えた〈『媚びない政治』を再興しようとしているのではないか〉、〈『媚びる政治家』への国民の本質的な嫌悪〉が追い風になっていると言っている。

僕が本人から聞いたのは、総理であり続けることより、〈何をなすかが重要〉という言葉だけなので、そこに祖父の存在がどう絡むかは知りません。ただ、安泰が目的なら安保法案も原発再稼働もやらなきゃいいし、彼がシリア空爆支持に関してオバマに意地を張ったことも、本書に書くまで誰も知らなかったはず。そこには大衆迎合や対米追従と違う論理があるんだろうし、国を二分する課題に一内閣でこれほど取り組む政権は、歴史的にも稀です」

その情熱や変質の理由を、氏は遅くとも安倍の在任中には質し、公表すると誓う。

「実際、情報処理の精度も危機管理も『一次の時とは別人だ』と麻生さんは言いますが、あえて本には書かなかった。その質問はいずれ本人にぶつけた上で事実として書くべきだし、退任後に訊くのは学者の仕事で、記者の仕事ではない。その変化が何によるものなのか、彼の言動が憲法改正等の課題と不可分なうちに国民に伝えるのが、僕は彼らとたまたま近い立場にいる、自分の仕事だと思うので」

好き嫌いや論評ではなく、何を見たかに厳密な本書は、表向きは中立を謳うジャーナリズムへの批判としても読める。現に対象との圧倒的近さが右は右、左は左の論理に縛られた情報の隙間を埋め、政治という化け物じみた運動の意外な細やかさや人間味を伝えて余りある。まさに格好の材料だ。□□

●構成/橋本紀子

●撮影/三島正

(週刊ポスト2016年8.5号より)

 

初出:P+D MAGAZINE(2016/08/09)

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