月刊 本の窓 スポーツエッセイ アスリートの新しいカタチ 第5回 崔領二
多くの団体が跋扈するプロレス界。その中で、既存の団体を飛び出して、新たなプロレス団体ランズエンドを立ち上げ、海外でも興行を行い、多くのファンの心を摑んでいる男がいる。「地の果て」を意味するランズエンドで、彼が目指しているものとは?
崔のもとに集まる個性豊かな若い選手たち。それぞれ技術を磨き、訪れた観客の誰もが楽しめるよう工夫を凝らす。「要はパッケージで2時間通して観戦して、“出し物”が面白いかどうか」と崔はこだわりを語った。
崔領二(37歳)
(プロレスラー ランズエンド代表)
Photograph:Yoshihiro Koike
赤のレスリングパンツで颯爽と登場した。正義の味方かスーパーマンのよう。スーパーマンは、普段は沍えない記者だが、崔領二はデキるビジネスマンといった雰囲気。見るからに頑強なプロレスラーは、よく通る重低音の利いた声で、「いやいやどうもどうも」と謙って挨拶をした。大阪ネイティブだった。
見た目とのギャップが著しい。仰け反りそうな衝撃を覚えつつ、にわかに親近感が湧いた。それに崔のブログは、タイトルが「おいしい紅茶の飲み方」……。ほんわかとした背景のテンプレートに、エネルギッシュな活動が日々綴られている。このインタビューのための撮影や段取りも、崔は遠征や試合の合間を縫って、鮮やかに主導しながら整えてくれた。
崔は二年前、プロレス団体「LAND’S END(ランズエンド)」を立ち上げた。「地の果て」を意味するランズエンドは、イギリスの西端部にある土地の名前で、崔が高校生の時に住んでいた所縁の地だ。名付けた意図を尋ねると、「地球って陸が三割、海が七割。圧倒的に知らないほうが多い。地の果てまで行ききったけど、それはあくまで陸の果て。僕も仲間も、色んな経験をして行ききったと思っても、全然終わりじゃない。ここがスタートっていう意味を込めたんです」と語った。
プロレスラーが独立して団体を立ち上げ、代表を務めることは力道山の時代からの“定石”。だが、熱心なファンをのぞけば、今や数多く乱立していてわかりにくい。力道山の時代とは異なり、マイナースポーツとなった近年のプロレス。決して追い風とは言い難いなか、崔は「地の果てからの航海」へこぎ出した。そんなランズエンドの試合を観戦した。
訪れた日の観客は男女比がほぼ半々といったところ。女性だけのグループも多くみられた。男くさいイメージの従来のプロレスとは異なり、誰がいきなり来ても楽しめる“新しい”イベントに仕上がっている。こぢんまりしていたが、華があってスカッとして大声で笑える面白さ。気がつくと、夢中になってはしゃいでいた。
迫力満点の打撃、投げ技、空中殺法が繰り広げられるだけでなく、スキをついては爪を立てて引っ掻き、次々とレスラーを悶えさせて場内を沸かせた崔。強烈な引っ掻き技をまんまと受けた選手たちのボディには、赤い縞模様ができていた。観客は爆笑。
映画の脚本家を目指しイギリスへ
二千万円かかるもオランダへ渡り……
名前からもわかるように、崔のルーツは韓国にある。祖父母が韓国人だったが、両親ともに日本で生まれ育った。崔も大阪で生まれ育った。兄・領(リングネームRYO)は、弟のプロレスデビュー後に格闘家に転身。総合格闘技DEEPのミドル級王者を経て、現在はランズエンドに所属、アジア最大手・格闘技プロモーション「ロードFC」に参戦している。
崔は、十五歳の時に単身イギリスに渡った。映画が好きで、脚本家になりたかったからだ。「聞こえはいいですけど、普通の高校でした。オプションで映画の専門講義を取ったんです。この講義だけで授業料は、週二回で月二十万円かかりました。クラスには、政治家の息子や貴族、有名俳優の息子に、ダイアナ妃の親類もいました」と崔。
裕福な家庭に育ったのかと思いきや、全否定。両親は小さな焼肉店を営んでいたという。奨学金制度を利用して、学費を工面した。卒業までにかかった費用はおよそ二千万円。ところが留学時代、人づてに聞いた噂に心がざわつく。海を隔てた隣国のオランダには世界最強軍団がいるというのだ。インターネットもなかった時代。崔は「どうしても強くなりたい」と、オランダで格闘家になることを決めた。
この決断を聞いて、両親は「三日間寝込んだ」そうだ。「まあ、笑ってましたけど。『もう好きにしたら』って言われました」。懐の大きな両親と家族との絆をうかがわせた。
幼い頃から身体が大きかったが、スポーツに真剣に取り組んだことはなかった。「剣道とバスケをちょっとやってたぐらいです」と崔。やるからには上を目指す。大抵のスポーツのトップ選手は、幼少から取り組んでいるが、プロレスなら追いつける。
崔は、イギリスの高校を卒業後、格闘王国オランダに渡った。日本でも活躍したジェラルド・ゴルドーの下で武者修行に励んでいると、二十一歳の時に故橋本真也氏を紹介される。ほどなく同氏の団体に入団。晴れてプロレスラーになると、みるみる成長を遂げ、ヘビー級王者に上り詰めた。
出る杭は打たれる世界
足を引っ張り合う“処世術”に嫌気
若手の旗頭にもなり、組織でも欠かせない逸材になった。その一方で、プロレス業界にはびこる旧態依然とした状況に不満を募らせていく。新しいことに挑戦することなく、ただ同じことの繰り返し。スポーツ界に必要な世代交代は行われず、ベテランが表舞台の中心に居続ける。悶々とした思いは、ある団体の試合に参加した時の“事件”をきっかけに「このままじゃダメだ」と崔を突き動かした。
ミニバンで移動していた時のこと。運転席のレフェリーがたばこを吸い出すと、同乗していた選手も次々とたばこを吸い出したのだ。あっという間に車内は真っ白に。車内唯一の非喫煙者で、アスリートの喫煙が許せない崔は憤激。「たばこ禁止」を提案するも一蹴された。そのうえ、「あいつはアスリート気取りだ」「勘違いしてる」「性格が悪い」とあら探しや人格攻撃をされるようになったという。
多数決で間違ったことがはびこる“処世術”にも嫌気が差していた。「どの団体とは言わないですが、どこにでも『自分、自分』という人がいて、必ず出世した選手の足を引っ張ろうとするんです。勝てないプロスポーツチームの悪習慣と同じなんです。間違った常識を持った人間が引退してコーチになり、そのまま天下りで監督になるという……」。崔は、いっそ組織ごと変えてしまいたいと独立を決めた。
「周りからは頑張ってるねと言われますけど、立ち上げた時はいっぱいいっぱい。三か月でお金を集めて、北海道にある収容人数二百人ほどの小さな会場で旗揚げしました」。現在の崔は、イベントの切り盛りも、すでに堂に入ったもので、見事なリーダーシップを発揮しているようだった。崔はかぶりを振って言う。「コンプレックスの塊と失敗の経験の多さから学んだんです。失敗の繰り返しですよ。恵まれた環境で仕事をしてきたわけじゃないので」と目尻に皺を作る。
着ぐるみキャラの左は、日本料理店とコラボして出来た「エビ天」。右は、崔が鴨川の親善大使になった折に誕生した「シャチコフ」で、ロシア出身コマンドサンボーの使い手。両キャラとも強い。時に「暑い!」と正体を明かす。
プロレス界を盛り上げるには、若い世代を育てることが不可欠。そう断言する崔の下には、古い体質が耐えられず一度はプロレスを諦めた者や、さまざまな事情を抱えた若者がやってくる。「何か辞めた人間とか、逃げ出した人間とか、人を裏切った人間にしても、二回までは許すことにしてます」
会社のお金を横領されたこともあった。それも許した。「人を見限るのは簡単なんですよ。でも自分の好みで、誰でも彼でも見限っていったら、人として大きくなれない。エグいことをするやつも取り込まないと。トイプードルも飼うけど、ピラニアも飼うみたいな」と絶妙な譬え話を差し込む。
甘いことは決して言わないが、慕ってきた若手への愛は深い。「ここをステップにしてくれたらいいんです。子どもが無償の愛を親から受け取って成長するように、下が入ってきたら育ててあげないと始まらないですから」
苦労は尽きないでしょうと水を向けるも、「扱うお金が増えてきたら、今後そういうことも増えるかもしれない。不義理なんで“グレーゾーン”ですが、最終的に正しい道に行ったら帳消しかなと」。松下幸之助や孫正義の話を例に挙げ、“大親分”になる日を思い描く。
あの番組にも「喝」!
トレーニング方法は人それぞれ
言いたいことは言う。おかしいことにはおかしいと声をあげる崔。観戦したイベントの最後、崔は会場のファンから大歓声を浴びると、リングでスピーチを行い、「世の中には間違った常識がたくさんあります。それをぶち壊すのが僕ら若い世代の義務だと思っています。これからも応援よろしくお願いします」と締めくくった。
そんな崔が大嫌いだという番組は、日曜朝のある情報番組。野球界のレジェンドが、さまざまなスポーツの話題に「喝」か「あっぱれ」の“判定”を下す、あの名物コーナーだ。長年の人気コンテンツを一刀両断して崔は言う。「すごい人こそ、知らない業界のことを上から目線で言うべきではない。あんなのをテレビで流してたら、変わるものも変わらない」と警鐘を鳴らす。
「メジャーで大記録を打ち立てた名選手だってそう。あれほど実績がある人だから、宗教の教祖みたいに絶対に正しいって信じる人がいる。なのにテレビで『ウェイトトレーニングなんてしちゃダメ』って言ったんです。そんなの彼には抜群にそのやり方が合ってただけで、他の選手に当てはまるとは限らないんです。危険ですよ」
プロレス界では、「スクワット千回、腕立て伏せ千回」といった地獄のメニューが当たり前のように行われている。崔は、自分も従って実践してきたからこそ異を唱える。「プロレスラーがトレーニングをするのは、最高のパフォーマンスをするため。スクワットを五千回できるやつが、当日試合をして面白いかって言ったら、何の関係性もない」
ただし、ラクにできることはないと言い切る。「ショートカットはすべきだし、スクワットを何千回もやる必要はない。でも、プロレスラーとして最高のパフォーマンスを見せるためには、日々勉強して鍛え上げるしかない。結局、そこまでに行く過程は、全然ショートカットではないんです」
あふれるアイデアと構想
夢は世界遺産プロレスシリーズ
「プロレスを観に来たいなと思う人が、いつの間にか集まったら、たぶん大きなものになってると思うんです」と崔。
スポーツを観戦するには、何かしらの“ハードル”がある。まずは、ルールに選手。最低限、知らないと行きにくい。だが、崔はそこから変えた。ランズエンドでは試合前、寸劇のようなルール説明が行われる。三カウント、ギブアップ、五秒だけ許される反則に、ブーイングの仕方を実演するのだ。演者の合図で観客も「Boooooooo!」と叫び、楽しく最低限の「ルール」と「盛り上がり方」を学ぶ。
崔は言う。「最終的に、僕は『条件』のつくものは優秀なものじゃないって結論に至ったんです」。これなら観に来た人がルールを知らなくとも、何の問題もない。できるだけシンプルに。見知らぬ人も楽しめるものこそ“優秀”。「ふらっと来て、楽しかったって言ってお客さんが帰ってくれたら一番なんです」
「真剣な試合も見せるけれど、メリハリも大事ですね」
華やかな衣装とパフォーマンスで会場を盛り上げる崔。主役として活躍するほか、経営者として不動産運営にも秀でる。「スタートラインに立つための、反骨精神みたいなもの」と秘訣を語った。
崔は、次々とアイデアを語る。
「プロレスで夢のある世界をどんどん見せたい。例えば、真っ暗にしてパッとロープを外した次の瞬間、リングにライトを当てて、バイオリニストの演奏が始まるとか、その後に二メートルの化け物みたいな選手が出てきて観客を驚かせるとか。楽しいエンターテインメントは作ろうと思えばいくらでも作れる」
海辺でプロレスを開催したこともある。場所は、房総半島にある千葉県鴨川市。きっかけは十五年前。呼吸器系疾患で二年ほど欠場していた時期に、村山由佳の恋愛小説「おいしいコーヒーのいれ方」を読んだこと(ブログのタイトルもここから着想を得た)。同作の舞台が鴨川だったのだ。
復帰した折にひとり旅をしたのだ。海の見える街。道を尋ね、街の人と雑談をした。たまたまた話した相手が鴨川市の職員だった。それならと市長にかけ合い、お祭りの時にプロレスを開催することを実現させたという。以来、年に一度は“巡礼”する場所だ。
「他の人ができないことをやらないと、自分なんて消えてしまうんです。プロレスラーとして代えが利く。自分にしかないことは何かって考えたら、『〇から一をクリエイトする能力』だって思ったんです。鴨川もそう」
世界に目を向ければ、チャンスはもっと広がる。二〇〇七年は世界遺産でもある那智の滝の前でプロレスを行った。ちなみに、崔の得意技も那智の滝(直下式ダイビング・フットスタンプ)。「世界遺産をバックにした、『世界遺産プロレス』というのを広めたい。例えば、ロンドンのビッグベンの前にリングがあったら、それは普段まず見られない『画』ですよね。アフリカの砂漠に行ってゾウの隣でプロレスするのもいい。そういうみんながやらなかったことをやりたい」
イギリスのランズエンドには、セント・マイケルズ・マウントという修道院がある。小さな島の上に建っていて、佇まいはフランスのモン・サン=ミッシェルとそっくり。どちらも大天使ミカエルを祭り、「聖ミカエルの山」を意味する。ただし、セント・マイケルズ・マウントは干潮時にしか島までは歩いて渡れないという。
セント・マイケルズ・マウントの写真を示して、崔は言う。「ここは潮が引いていくと向こうに渡れるんです。仕事も同じ。良いタイミングじゃないとうまくいかないんです。待って待つ。潮と同じように、必ず自分の時が来て、道は拓けるから。だから、その時が来るまでしっかり準備をしておくんです」
すでに日本で新しい試みを取り入れ、今も世界各地でプロレスを開催するランズエンド。「その時」はきっとそう遠くない。
プロフィール
崔領二
さい・りょうじ
プロレスラー。1980年生まれ。身長188cm、体重105kg。大阪府大阪市出身。15歳でイギリスのハイスクールに留学し、その後オランダに渡ってジェラルド・ゴルドーの下で格闘技を学ぶ。2年間の修行後、日本に帰国してプロレス団体に入門。2001年にデビューし、2009年は第10代世界ヘビー級王者にも輝く。2015年に独立しプロレスリング「LAND’S END(ランズエンド)」を設立。日本と海外の各地で興行を展開。リング外ではボランティア活動や子どもたちの支援活動なども行う。
松山ようこ/取材・文
まつやま・ようこ
1974年生まれ、兵庫県出身。翻訳者・ライター。スポーツやエンターテインメントの分野でWebコンテンツや字幕制作をはじめ、関連ニュース、書籍、企業資料などを翻訳。2012年からスポーツ専門局J SPORTSでライターとして活動。その他、MLB専門誌『Slugger』、KADOKAWAの本のニュースサイト『ダ・ヴィンチニュース』、フジテレビ運営オンデマンド『ホウドウキョク』などで企画・寄稿。
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初出:P+D MAGAZINE(2017/10/21)