連載対談 中島京子の「扉をあけたら」 ゲスト:内藤正典(現代イスラム研究者)

イスラム過激派によるテロの恐怖に怯える一方で、世界の四人に一人がイスラム教徒といわれる現在。できることならイスラムとなかよくつきあっていきたい。そのためには、どうすればいいのか。イスラム研究の第一人者・内藤正典先生に疑問をぶつけてみました。

 


第八回
世界はイスラムを誤解している
ゲスト  内藤正典
(現代イスラム研究者)


Photograph:Hisaaki Mihara

連載対談 中島京子の「扉をあけたら」第8回メイン

内藤正典(左)、中島京子(右)

ハラール認証ビジネスに騙されてはいけない

中島 内藤先生がお書きになった『となりのイスラム』(ミシマ社)を読んで、目から鱗が落ちたというか、イスラム教徒に対する見方がガラリと変わりました。変わるというより、はっきり言って、ほとんど何も知らなかったんです。ところが先生は、ごく日常的な視点からイスラムを解き明かしてくださいました。しかも、私たちにも理解できるような平易な文章で、圧倒的に読みやすい。先生は、なぜこの本を書こうと思われたのですか?
内藤 イスラムは、怖い。イスラムは、偏屈だ。イスラムは、理解しがたい。本当にそうでしょうか? イスラム教徒だって、私たちと同じ普通の人間です。お互いに理解し合えれば、なかよくできるはずなんです。この本に書いてあることは、私が住んでいるトルコで経験したことや、モスクで実際に聞き取り調査したことがベースになっています。私個人の視点なので、いい加減といえば、いい加減なのですが(笑)。
中島 イスラム教徒の生活に入り込んで、在野の民俗学者のような手法でお書きになっていますね。
内藤 社会学者や政治学者が、イスラム移民とテロの問題を語っているでしょう。「ではあなたは、普通に生活しているイスラムの人たちを見たことがあるのか?」と問うと、じつは誰も見ていない。ヨーロッパの国々で移民街の中に入って話をしたことがあるかと聞いても、NOです。大学の中だけで研究していても、現実のイスラムは見えてきません。
中島 たしかにそうですね。
内藤 一九九六年に出版した『アッラーのヨーロッパ』(東京大学出版会)も、ヨーロッパ各国へ渡ったイスラム教徒を鏡にして、ヨーロッパ各国を比較するというコンセプトで書きました。
中島 その本も面白そう。読んでみます。
内藤 ありがとうございます。でも、まったく売れなかった(笑)。じつは、イスラムという他者の視点から書かれたヨーロッパの本はほとんどないんです。それに、ヨーロッパ研究者は隣の国のことを知らない。フランス人の学者は、絶対にドイツの研究なんてしませんから。そうしているうちに、二〇〇一年に9・11が起きてしまう。にわかに、欧米対イスラムの構図が語られはじめたでしょう。でも違うなと思った。人の顔を見ていないんです。イスラム過激派の系統図のようなものを描いて説明したつもりになっている。
中島 ああいう教科書的な説明をされても、私たち素人にはまったくピンときませんでした。
内藤 しかし日本だってこの世界の中の一員として、イスラム教の人たちともいろんな形でつきあわざるを得ないでしょう。だから、これ以上血を流す方向に向かってはいけない。そういう信念を持ちつつ行ってきた節操のない研究の成果が『となりのイスラム』です。
連載対談 中島京子の「扉をあけたら」第8回文中画像1中島 最近よく耳にするようになった話題として「ハラール」認証がありますよね。内藤先生は「ハラール」認証ビジネスに対して批判的ですね。「ハラール」認証は、飲食店が提供する食事などが、イスラム教の戒律にのっとって作られていますよというお墨付きのようなものでしょう? 健康志向の日本人にも人気ですよね。それがなぜ悪いことなんですか?
内藤 たしかにイスラム圏から来日した観光客の人の中には、認証マークが付いているお店だったら安心する人もいるでしょうね。イスラム教徒の中には、「あれ(ハラール認証)は詐欺だからやめてほしい」と言う人たちもいます。
中島 えっ、詐欺なんですか。
内藤 「ハラール」は本来、「神(アッラー)に許されている」という意味。反対語の「神に禁じられた」は「ハラーム」。余談ですが、それが訛ると「ハーレム(男子禁制のスルタンの後宮)」になります。つまり「ハラール」かどうかは、神さまにしか決められない。
中島 本来は、ハラールの認証団体が、神の代わりに認証を行うなんてあり得ないと。
内藤 だから真面目なイスラム教徒ほど「あれは詐欺だ」と怒りを露わにするのです。じつは、いま日本でハラール認証を行っているのは、東南アジアのある国の団体です。一体なんの権限があって神に成り代わってハラール認証を行えるのか。
中島 イスラムのことを知らない日本人の弱みに付け込んだ、利権ビジネス的なところがあるのかなあ。
内藤 イスラム教徒から見ると、ハラール認証ビジネスは日本人を騙しているようにしか見えないんです。あるイスラム教徒が言っていましたが、神の定めをイスラムを知らない日本人に売りつけるのは罪だそうです。
中島 なるほど。彼らは、ハラール認証を取得する日本のお店に対して怒っているんじゃなくて、ハラール認証をビジネスにしている人たちに対して怒っているんですね。
内藤 まったくそのとおりです。いまは、東南アジアのある国の組織が幅を利かせています。そこに利権とお金が集まるようになると、次はどうなるか。我こそが本家だというハラール認証団体が、中東の国からも出てきます。その次には、うちこそは正真正銘のイスラム教の国家だというところが出てくるかもしれません。
中島 あらま。ややこしい話になりますね。
内藤 ややこしいでしょ(笑)。Aという国で認証とって安心していたら、今度はB国の認証をとらなきゃいけない。そうこうしているうちに、また別の国がうちこそ本家本元なんて言い出したら収拾がつきません。
中島 いくつも認証をとらないといけなくなると、費用もかかります。うどん屋さんなど小さなお店は、困りますね。
内藤 ハラール認証なんて無理してとる必要はないんです。どんな材料を使って、どんな調理法で作ったか、一度、英語で丁寧に説明書きをつくれば、イスラムの人々はハラールかどうか自分で判断してくれる。それを怒るイスラム教徒はいません。むしろ、このお店はすごく正直にやってくれているとよろこぶはずです。
中島 すべてのお店がそういう表記をしてくれたら、イスラムの方だけじゃなく私たちにとっても安心安全だから大歓迎ですね。

イスラム教は、女性に対して 差別的な宗教なのか?

内藤 アメリカの大統領選挙でトランプの女性に対する侮辱的な発言が問題になりましたよね。ところが、イスラム教徒の教え子たちに、その件について意見を求めても何も反応しないんです。
中島 なぜでしょう?
内藤 学生たちに聞くと「そんなことアメリカでもカナダでも、欧米諸国では男たちが普通に言っていることじゃないか」。もちろんトランプは問題の多い人物だとは思うけれど、それに対して「ニューヨーク・タイムズ」や「ワシントン・ポスト」が自分のことを棚にあげて偉そうに非難するのは、欺瞞だと。
中島 うう、若干、極論のような気もしますが。
内藤 イスラム教徒も、いわゆる下ネタを絶対に話さないというわけではないんです。預言者ムハンマドの言行録『ハディース』には、女性が性的な快楽を得ることを「はしたない」と考える妻を、ムハンマドがたしなめる話が出てきます。
中島 えっ、本当ですか?
内藤 イスラムは女性を大切にしますし、性的な快楽に関しても最初から男女平等なんです。
中島 でも、イスラム教は一夫多妻制を認めているなど、不公平な感じがします。
内藤 イスラム教が女性に対して差別的というのは、まったくの誤解で、欧米のキリスト教社会が植え付けた悪意あるイメージなんです。たとえばイスラム教が女性の社会進出を阻んでいるかというと、女性首相はイスラム圏のほうが多い。
中島 そういえばトルコやバングラデシュ、パキスタンにも女性首相がいましたね。
連載対談 中島京子の「扉をあけたら」第8回文中画像2内藤 一夫多妻制、いわゆる重婚についても、ほとんどの人は誤解しています。詳しくは本を読んでいただきたいのですが、たとえば最初の奥さんが齢をとったから若い女性を二人目の妻にしたいという個人的欲望による重婚が許されているわけではありません。『コーラン』には「四人まで結婚してもいい」と書いてありますが、その前段には「ただし孤児たちのことを案ずるならば」という条件がついているんです。
中島 へぇ。それは、初めて聞きました。
内藤 イスラム教が誕生したころは、宣教のための戦いで夫がなくなる場合も多かった。そんなときには、子どもたちを路頭に迷わせないよう、その母親と重婚してもいいという意味だったのです。さらに「全員を平等に扱えないのならやめておけ」とも書かれています。ベッドに行くのも全員平等にしなければならない。そうしないと最後にアッラーの罰が下ります。だから「できるものならやってごらん」ということです(笑)。
中島 男がしたい放題という、私たちの持っている一夫多妻のイメージとは、ずいぶん違うのですね。

神(アッラー)のもとではすべてが平等

内藤 テロの問題に関して言えば、中東各地を戦争の状態からいったん引き離さないことには、解決の糸口すらつかめない。しかしシリアのように内戦が常態化してしまうとそれも難しい。以前、タリバンを同志社大学へ呼んだときにも……。
中島 いま、さらっとおっしゃいましたけれど、タリバンって、アフガニスタンのイスラム過激派組織のことですか?
内藤 はい。物騒な話ですけれど(笑)。二〇一二年に同志社で「アフガニスタンにおける和解と平和構築」という国際会議を開催したんです。タリバンの中でテロリスト指定されていない人でしたので、外務省もビザを発給しました。タリバン側はハッサン中田先生(イスラム法学者の中田考氏)が橋渡しをしてくれました。タリバンが初めて外国に公式の代表を送ったのが同志社大学なんです。
中島 その会議にはアフガニスタン政権サイドも参加したのですか。
内藤 はい。政権からはカルザイ大統領の顧問大臣が来ました。互いに敵対するカルザイ政権とタリバンが、初めて国際会議で同じ席についたということで世界からも注目されました。直接の交渉は行いませんでしたが、そのときに一点だけ合意したんです。それが、「外国軍が撤退しない限り和平はない」ということ。カルザイ政権は汚職まみれでひどいものでしたが、この約束だけは任期の最後まで守り、米軍の駐留に反対し続けました。ところがガニ新大統領が就任したとたん、米軍の駐留を認めた。アメリカ政府は「タリバンの暴力に対抗するためにアメリカ軍が必要だ」と言います。でも嘘ですから。米軍がいるから、タリバンは和平交渉に乗らないんです。約束を破るというのは、イスラム的にもすごく悪いことです。
連載対談 中島京子の「扉をあけたら」第8回文中画像3中島 すごい話だなあ。同志社での合意を、ぜひ和平に生かしてほしいです。イスラム教徒のタリバンを迎えるにあたって、特別な準備はされたのですか?
内藤 イスラムにとって一日五回のサラート(礼拝)は重要な行いです。同志社はキリスト教主義の大学で、会議の場所はチャペルだったのですが、タリバン側は同じ一神教ですから構わないと。あの、これも誤解されていますが、イスラム教からみるとキリスト教は先輩の一神教ですから、別に憎んでなんかいません。
中島 なんかイメージと違う。もっと戒律にがんじがらめで、融通が利かないのかと思っていました。
内藤 そうでしょう。先入観は怖いですよね。ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も信じている神さまは同じ。しかしユダヤ教やキリスト教は、後から出てきたイスラムの神さまが自分たちの神さまと同じだとは認めない。一方イスラム教は、『コーラン』だけじゃなく、ユダヤ教の『旧約聖書』もキリスト教の『新約聖書』も認めています。イスラム教徒には、イーサー(イエス)やマリアム(マリア)、それにスレイマン(ソロモン)なんていう名前の人がいくらでもいます。先代のトルコの首相の名は、ダウトオウル。オウルは息子という意味。ダウトはダビデ。つまりダビデの息子です。後から出てきたイスラム教は、キリスト教を嫌ってもいないし敵視してもいない。ひたすら憎んでいるのは、先にできたキリスト教のほうなんですね。
中島 でも同じイスラム教徒どうしでは、対立しているわけですから……。
内藤 たしかにそうですね。でも礼拝の時間になると、政権側とタリバンは同じ場所で一緒にお祈りしているんですよ。私も、じつは、ちょっと驚きました。神の前では敵も味方もありません。まず知るべきなのは、そういうことなんです。政治的に色分けして、不倶戴天の敵のように決めつけたら、そこから先には進まない。どちらかをつぶさない限り駄目なんだ、という発想になりかねません。イスラム教の基本は、すべては聖典『コーラン』に従う。『コーラン』は預言者ムハンマドがアッラーから授かった言葉です。その中には、いろんな行為について「絶対しろ」「したほうがいい」「してもしなくてもいい」「しないほうがいい」「絶対するな」の五段階評価がされています。しかし生活していれば『コーラン』に書かれていないことも、たくさん出てきますよね。どうしたのか。じつは、ムハンマドが生きている間は、ムハンマドが答えていました。それをまとめたものが『ハディース』です。
中島 ムハンマドの死後は、どうしたのでしょう。神の判断、なんてほかの誰にもできませんよね。
連載対談 中島京子の「扉をあけたら」第8回文中画像4内藤 イスラム教の中の学識のある先生たちが集まって、『コーラン』や『ハディース』からどうやって答えを導き出せるかを議論して決めるんです。結局、すべてはアッラーに由来しちゃうんですね。だけど逆に言えば、イスラム教徒は自分で物事について悩む必要はないということでもあるんです。試験に受かるも落ちるも、神さま次第。事業がうまくいくかいかないかも神さま次第。病気になるかどうかも、神さま次第です。それが、イスラム教徒がよく使う「神が望むままに」という意味の「インシャアッラー」です。
中島 「自己責任」と言われたりしないだけでも、気分が楽になりますね。
内藤 キリスト教は悪いことが起きると、「神が私に与えた試練だ」と言う。一方、イスラム教徒は、そういう辛気臭いことは言わない。神は超越的絶対者なので、誰かを狙い撃ちして悪いことを起こすことなんてありません。幸不幸はアットランダムに起きるんだと。いま、自分に悪いことが起きたら、周りの人は親切にしてくれるし、きっとまたいいこともあると考えるのです。
中島 「自分に悪いことが起きたら、周りの人は親切にしてくれる」って、それ、ほんとなんだろうか(笑)。
内藤 イスラム教の場合はほんと。困っている人を助けたり、病気の人を看病したりして徳を積むと、天国に行けると考える人たちだから。不幸な人がいれば助けるし、自分が不幸になれば助けてもらえると、自然に考えるんですよ。
中島 では、高齢者や身体障がい者がお荷物のように言われたりすることなどは……。
内藤 ない、ない。子どもや高齢者はほんとにだいじにされます。障がいを持つ人にもやさしい。イスラム圏には老人ホームが少ないんです。介護が必要になったら、家族だけでなく周りの人がその人を助けるから。弱者を助けることで、自分が来世で楽園(天国)に近づくのですから。
中島 それなら逆に、親切にしてもらって負い目に感じることなども、ない?
内藤 むしろ、「徳を積ませてやっている」くらいの気持ちでしょう(笑)。
中島 そのイスラムの発想は、うらやましいなあ。
内藤 だから、いまだに信者が増えるんですよ。あるとき、イスラム教徒に「あなたたち、ものごとを神さまに丸投げしているでしょう」と聞いてみたんです。怒るかと思ったら、しばらく考えて「いや、そのとおりだ」(笑)。もちろん、努力しないという意味ではなくて、神に喜んでもらうために努力はします。ですから、成功しても自分の才能のせいだと自惚れないし、失敗しても自分を責めない。
中島 精神的に追い詰められて過労死する日本のようなストレスフルな社会とは対極にある感じですね。
内藤 たしかにそうですね。日本人にも、イスラムの知恵に学ぶところがいくらでもありますね。

構成・片原泰志

プロフィール

中島京子(なかじま・きょうこ)

1964年東京都生まれ。1986年東京女子大学文理学部史学科卒業後、出版社勤務を経て独立、1996年にインターシッププログラムで渡米、翌年帰国し、フリーライターに。2003年に『FUTON』でデビュー。2010年『小さいおうち』で第143回直木賞受賞。2014年『妻が椎茸だったころ』で第42回泉鏡花文学賞受賞。2015年『かたづの!』で第3回河合隼雄物語賞、第4回歴史時代作家クラブ作品賞、第28回柴田錬三郎賞を受賞。『長いお別れ』で第10回中央公論文芸賞を受賞。

内藤正典(ないとう・まさのり)

1956年東京都生まれ。東京大学教養学部教養学科科学史・科学哲学分科卒業。博士(社会学)。専門は多文化共生論、現代イスラム地域研究。一橋大学教授を経て、現在、同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科教授。著書に、今回の対談で紹介している『となりのイスラム 世界の3人に1人がイスラム教徒になる時代』のほか、『イスラームから世界を見る』『イスラム─癒しの知恵』『イスラム戦争 中東崩壊と欧米の敗北』『トルコ 中東情勢のカギをにぎる国』『欧州・トルコ思索紀行』など多数。

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