お金に依存しない経済のあり方とは? 未来を拓くキーワードは「地方」と「子ども」 連載対談 中島京子の「扉をあけたら」 ゲスト:藻谷浩介(地域エコノミスト)

株価は上がっているというのに、景気は悪化。社会福祉は大切と言いながら、切り捨てる。これはマネー資本主義の終焉ではないのか。私たちが向かうべき未来はどこにあるのかお聞きしたくて、お金に依存しない経済のあり方をモデルとした里山資本主義を提唱し講演活動を続ける藻谷浩介さんをお迎えしました。

 


連載対談 中島京子の「扉をあけたら」
第三十七回

未来を(ひら)くキーワードは
「地方」と「子ども」

ゲスト  藻谷浩介
(地域エコノミスト)


Photograph:Hisaaki Mihara

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藻谷浩介(左)、中島京子(右)

現実に成長していない日本経済

中島 藻谷さんには多くの著作がおありですが、特に『里山資本主義』(角川oneテーマ21)には私も大きな影響を受けました。お金に頼らないシステムの構築、成長ではなく循環型の経済を目指すなど、この本には日本の明日の扉を開くヒントがたくさんありました。
藻谷 ありがとうごさいます。出版は二〇一三年でしたね。
中島 東日本大震災の後、すごく暗い気持ちになっていたときに、『里山資本主義』という魅力的なコンセプトが提示された。希望をもらった気がしたんです。
藻谷 それは過分なお言葉、ありがとうございます。そのように言ってくださる方も多くおられるのですが、でも一部の草の根に広まっただけで、世の中を変えたわけではありません。
中島 そうなんですか? いたるところの方々が影響を受けたと聞きますが。
藻谷 うーん。日本の政界、財界、官界、学界、マスコミ界、どこも『里山資本主義』を正規に取り上げたところはないのです。若い人や一部自治体からは多くの反応がありましたが、大手企業だとか全国放送のテレビ局だとかには全く無視された感じですね。
中島 マネー資本主義を信奉し、経済成長を旗印に掲げている人たちにとって、経済発展だけが唯一無二の未来のカタチではない、という主張はあまり都合のいいものではないのかもしれませんね。
藻谷 里山資本主義はマネー資本主義の欠陥を補うバックアップシステムで、別に経済発展を否定してはいないのですが、「里山」というだけで食わず嫌いされた面はありました。でもおかげで寿命は延びたかも。へたに政権のスローガンなどになったらすぐ使い捨てです。
中島 政治が地に足が着いていないというか、選挙のためかもしれないけれど、すぐに心地よさそうな目新しいフレーズに乗り換えちゃうからなんでしょうね。
藻谷 「地方創生」などは重要な政策だったのに、東京ではすっかり忘れられてしまった感じです。
中島 今回再読して、やはりこっちの方向に未来があるんだという予感を、六年前よりもっと強く感じました。
藻谷 ありがとうございます。確かに今読んでも(いろ)()せた感じはしません。問題意識も今でもそのまま通じますし、提言も外れていない。それに、読んで面白いルポルタージュの部分は、NHK広島取材班の二人の優秀なジャーナリストが書いたところなので、現場で感じた勢いがそのまま筆にのっていますね。
中島 確かに、広島県庄原市の和田さんが作るエコストーブや岡山県真庭市の中島さんの木質バイオマス発電など、冒頭からマッチョな経済に対するアンチテーゼが熱く語られています。
藻谷 それに対して私は中間総括と最終総括を書いたのですが、彼らの文章の熱量が高い分、特に中間総括はやや冷静なトーンで書いているのがお(わか)りでしょうか。
Img_37030中島 言われてみると、確かにそうですね。でもなぜ、そういう書き方をされたのですか?
藻谷 何か副作用が起きたら、メッセージの中核部分まで全否定されかねない。そのあたりを警戒したのです。日本人って、目的を見失ったまま手段に走るところがあるでしょう。たとえばこの本でバイオマス発電を知ったら、日本中の山の木をむやみに燃やしてしまいかねない。
中島 しかもそこにマネー資本主義が群がってくると、逆効果になってしまう可能性も出てきますものね。
藻谷 まったくその通りです。他方で最終総括には、かなり思い切った世相診断と未来予言を書いているのですが、すでに結構当たっていると思いますよ。
中島 最終総括、もう一度読み返してみます。藻谷さんは、成長ではなく持続と循環が大切だとおっしゃっていますよね。この六年の間に成長だと言われて見せられたものが、原発再稼働やオリンピック、万博、カジノ誘致ですから、なんだか夢が感じられない。やっぱりこっちは駄目なんだなって感じてしまう。
藻谷 中島さんは優しいから、「夢が感じられない」とおっしゃる。私は口が悪いから、はっきりと「センスが悪すぎる」と言いたい。まともな感性の女性は、「成長が命」のおっさんたちのバッドセンスに、「いい加減にしてくれ」と怒っているのではないでしょうか。
中島 よく言ってくださいました。本当にその通りです。
藻谷 そもそも日本経済は成長も衰退もせず、まったりと横ばいなのです。GDPはこの十年間、いろいろお化粧して底上げしたのに年率〇・三パーセント弱の微増です。
中島 確か当時、政府は年四パーセントの成長を目指すと言っていましたよね。
藻谷 微増でも減少よりはましですが、成長とはとてもいえない。ところが政権はこれを「成長だ」と、必死に印象操作しようとするわけです。そのために……。
中島 経済成長しているのに、給料は上がらない、生活はちっとも楽にならない。自分は落ちこぼれの負け組だと思っている人も多い。

 

東京から地方へ。現代の「応仁の乱」が起こる

藻谷 経済界は経済が成長していないことはわかっています。とはいえ縮小ではないし、世の浮かれた成長気分を無理に冷やすメリットもない。結果として最近は、誰も経済成長の実態について語らなくなってきました。二十年ぐらい前に、社会学者の宮台真司さんが提唱した「まったり革命」というのがあったでしょう。
中島 「終わりなき日常を生きろ」とかっていう。私はよくわかんなかったんだけど(笑)難しいことを考えないでまったりだらだら生きていこう、みたいな感じ?
藻谷 実際に日本は、宮台さんが言った通りになっていって、ほとんどの国民はなんとなくまったりしているわけです。経済が成長せずとも、ラインにインスタにと、仲間内の狭い世界で充足しています。
中島 そうですね。でも、いまはもっとぎすぎすしてきている気がします。
藻谷 目先の日々をまったり過ごす一方で、何となく真綿で首を締められている感じがあるのでしょうね。地震に豪雨に酷暑や暖冬が続き、日本では子どもがどんどん減って、世界にはトランプみたいな人が次から次に出てくる。年金受け取り額は減らされるし、親も自分もいつボケるかわからないし、二千万円貯金が必要だというし、老後の不安は増すばかりです。
中島 そうなると、もう未来には絶望しかない気がします。
Img_37069藻谷 『里山資本主義』に書いたように、過疎地の高齢者の方が、そういう無駄な恐怖感に囚われていない。未来への絶望は都会に行くほど強まっているのです。
中島 地方に移住する人が増えているのも、それらの要因が重なっているからかもしれませんね。
藻谷 地方に移住して、食料と水と燃料を一部でも自給する暮らしを始めれば、安心はぐっと高まりますから。それなのに逆に、そんな地方を捨てて東京に出てくる若者も、最近目に見えて増えているのです。
中島 増えているんですか。意外です。
藻谷 「地方消滅」という言葉を聞いて、「都会に出ないと未来がない」と勘違いした若者が増えたのでは。
中島 地方にいてはもう駄目だ、と思っちゃったんですね。
藻谷 東京都民の二・二%は生活保護を受けています。多くの地方の二倍以上も高い率です。田畑という自給手段のない東京では、生活苦に陥る高齢者が地方よりも多いのです。地方の方が失業率も低いし、家も広いし、通勤時間は短いし、病院も()いている。ところがこれまで日本の情報発信機能は東京に集中してきたので、そういう情報が世の中に流れない。とはいえインターネット時代、作家や漫画家、アーティストなど、地方にいながら情報発信する人も増えてきました。
中島 確かに、あえて住みづらい東京にいなくても、仕事ができますから。
藻谷 地方を選ぶ若い起業家も増えています。そんなこんなで、今の東京の置かれた状況は、「応仁の乱」が起こった頃の京都にどこか似ています。
中島 室町幕府が衰退し、戦国時代へ突入する端緒となった日本全国を巻き込んだ大乱で、京都は焼け野原になってしまった。スケールの大きな話になってきましたね。
藻谷 応仁の乱以前の日本では、貨幣経済は京都にしか存在しなかった。公家(くげ)も守護大名も高僧も、地方の領地をほったらかして京都で消費生活ざんまいです。ところが「応仁の乱」の後の京都は荒廃し、阿波出身の三好氏、次いで関ヶ原の彼方の尾張出身の信長や秀吉に支配されてしまう。そしてさらに遠い三河から出た家康が天下を取り、江戸を建設する。
中島 地方の反乱というと短絡的にすぎるのでしょうが、京都だけに文化があるわけじゃないと地方の人たちが知ってしまったんですね。
藻谷 わずか百年の間に、京都以外の地方で革命的に経済と文化が発展したことを、いまの日本人は忘れている。千利休も、大坂は(さかい)の出身です。当時の京都の感覚では、堺なんて異国相手の怪しい商売の集まる出先です。ところがそんな場所に住む商売人が、中国人や朝鮮人や西洋人と交易する中で、「茶の湯」を文化的に昇華させた。今では千家といえば京都の文化面での代表者ですが、それは江戸時代以降にそうなったのです。
中島 なるほど、歴史は繰り返すと言いますから。
藻谷 この当時に起きたのと同じような変化が、これから日本で起きますよ。地方の工場の生産にあぐらをかく東京本社のサラリーマンたち。選挙区だけ地方で、生まれたときから都民の世襲議員たち。現場を知らない官僚たち。彼らは東京の優位を疑わない。ですがもはや地方は世界と勝手につながり始めています。「東京が偉い」との先入観を持たない外国人は、地方の生活と自然の豊かさをありのままに評価しているのです。

 

働く女性が増えると、子どもが増える

中島 藻谷さんは、『デフレの正体―経済は「人口の波」で動く』(角川oneテーマ21)でも政治や経済界に波紋を投げかけました。そこでは、現役世代人口の減少が日本の問題だと看破されていますよね。十年後二十年後の現役世代となるのは、まさに今の子どもたちです。
藻谷 子どもが減っているのは、世界的な現象なのか。それとも日本の特有の現象なのか、国際連合作成の各国別人口推計・予測を見ると、どうも世界が日本を追っているようなのです。アフリカやアラブ諸国では、まだ少子化は始まっていません。ですが欧州、中国、韓国、シンガポール、タイなどははっきり曲がり角を曲がりました。トルコ、インド、東南アジアの多く、南米などでも、新生児の減少が始まっています。子どもが減り続けると、その先はどうなるのか。
Img_37012中島 どうなっちゃうんですか?
藻谷 国単位ではわからないことも、地域単位では見えてきます。世界に先駆けて子どもが減って高齢者が増えた日本。その日本の平均より数十年先に事態が進んでいる過疎地もあります。ある島では、「うちの人口は明治の頃からもう一世紀以上減り続けている」と聞きました。でもその島にもまだ人が住み、セブン−イレブンまである。そういう現実から何がわかるでしょう。
中島 日本全国の市町村をあまねく歩いてきた藻谷さんならではの仮説をお聞きしたいです。
藻谷 人口は一方向に動くのではなく循環している。高齢者まで減り始める段階になると、新生児が増え始める場合がある。島根県などには特に実例が多いです。
中島 島根県では、人口減少が一回底をついてしまったってことですか。
藻谷 県の中心部ではまだですが、多くの農山漁村集落ではそういうことなのです。でも、人口はなぜ循環するのでしょう? 人間が、ライオンなどと同じく天敵のいない、食物連鎖の頂点にある生物種だからなのです。そもそも人間は、増えすぎたらどうなるでしょうか?
中島 天敵がいないということは、捕食されない。増えに増えてしまうと、うーん、一つの個体に分配される食糧が少なくなる?
藻谷 そうです。その結果、飢え死にするしかなくなる。ウサギだと飢え死にする前に食物連鎖の上位にいる肉食動物に食べられてしまう。でもライオンしかり、人間しかりで、頂点にいるものは誰も食べてくれない。
中島 強いものほど、飢える。自然の摂理とはいえ非情ですね。
藻谷 しかも人間の場合、知恵が働き過ぎて大人しく飢え死にできず、戦争を起こして数を減らすということを繰り返してきました。ところが、過去の太陽エネルギーの濃縮物である化石燃料の利用技術が進み、前世紀の後半から日本でも、全員分のカロリーが確保できるようになったのです。ではその結果どうなったのでしょう。日本人は一方的に増え続けていますか? 
中島 増えていないですね。逆に減り始めています。
藻谷 そう、戦争もなく寿命も長いのに、新生児が減り始めたのです。同じ国土の上に際限なく人が増えればいつか限界が来ますが、子どもが減ったことで危機が回避された。そのように出生数の増減で人口を調整する仕組みが、人間のDNAのなかにあるのではないでしょうか。人口密度が高くなりすぎると、精子が減るなり流産が増えるなりして子どもが生まれにくくなる仕組みが。それが天敵がいるシカやイノシシとの違いです。
中島 なるほど。ところで、人間の適正な出生率って、どのくらいなんでしょう?
藻谷 人口が安定する二・〇あたりだろうというのが、私の仮説です。でも東京の出生率は一・二とかなり少ない。これは人が集中し過ぎて、いろいろ無理が出てきている結果でしょう。産みたくない人が増えた結果ではなく。
中島 子どもを育てる環境が整備されていないとか、金銭的に余裕がないから子どもは持たないとか、そういう理由が考えられますね。
藻谷 つまり社会の仕組みが良くないのです。それを若者がだらしないとか、結婚に興味を持たないとか、精神論で片付けようとするから、事態が改善しない。経済的な理由での中絶を減らすだけでも、状況は変わります。
中島 確かにそうだと思います。
藻谷 女の人が普通に働き、産みたければ普通に子どもを産んで、普通に育てられる。そういう環境なら、出生率は二・〇になるのです。
中島 それは、誰もが二人の子どもを持つという発想ではなく、誰もが自分の希望通りの生き方をして、それでも二・〇に達するのが自然だということですね。一方、とくに子どもを持とうとは思わないとか、身体的な理由で産めない方もいるけど。
Img_37042藻谷 結婚するしない、産む産まない、各人が自由に選んだ結果、平均が二人になるようにできているのです。鍵は、三人以上産む人と、他人の子育てを助ける人、産休の人の代わりにバリバリ働く人などの役割分担です。ちなみに出生率が二に近い島根県では、そういう役割分担が進んでいます。
中島 すごいですよね。島根県には、子育てしやすい環境があるんですね。その仕組みを日本全国に取り入れれば、日本の子どもの数は増えてくる。
藻谷 若い女性の就業率も、島根県の良さです。
中島 女性が仕事をしていないと、子どもの数が増える?
藻谷 いえ、逆なんですね。二十五歳から三十九歳の女性のパートアルバイトを含む就業率が八割を超えていて、日本で一番高いのが島根県です。逆に若い女性が働いていないのは、大阪や東京といった大都市圏なのです。島根県では昔から、子どもを保育園に預けるのは当たり前で、待機児童は一人もいません。逆に保育園の足りない東京では、一人目を預けられずに退職して、収入不足で二人目を持てなくなってしまう人も多いですね。
中島 日本国民全員に知ってほしい事実ですね。
藻谷 島根県の若い女性の方が、東京の若い女性よりも、仕事も子育ても両方できているというのは、東京信者には衝撃でしょう。田舎では都会と違って、近所の高齢者が子育て中の家庭を何かと助けるのも当たり前です。逆に言えば孫がいなくても子育てに関われます。
中島 働くお母さんのワンオペ(一人作業)のたいへんさは、よく話題になりますが、それでも女性に家事育児の負担を押しつける発想は、なかなかなくならないですからね。そうやってデータで、社会全体で子育てする環境があれば子どもは増えるってことを見せてもらえると、説得力が違いますね。
藻谷 子どもは社会全体の宝なのですから、子育ても社会全体で分担するのが当たり前。自分は未婚で子どももいないけれど、何百人もの子どもを保育してきた女性と、一人で四人も五人も子どもを産んだ女性。少子化担当大臣はどっちを表彰すべきなのでしょう。
中島 どちらも素晴らしいと、声援をおくりたくなりますが、日本の未来を考えると、国はもっともっと保育士さんを応援してほしいです。日本はシルバー民主主義と揶揄(やゆ)されますが、藻谷さんのお話を伺うと、子どもを大切にしない国に明日はないと自信を持って断言できます。
 

構成・片原泰志

プロフィール

中島京子(なかじま・きょうこ)

1964年東京都生まれ。1986年東京女子大学文理学部史学科卒業後、出版社勤務を経て独立。1996年にインターンシッププログラムで渡米、翌年帰国し、フリーライターに。2003年に『FUTON』でデビュー。2010年『小さいおうち』で直木賞受賞。2014年『妻が椎茸だったころ』で泉鏡花文学賞受賞。2015年『かたづの!』で河合隼雄物語賞、歴史時代作家クラブ作品賞、柴田錬三郎賞を受賞。『長いお別れ』で中央公論文芸賞、翌年、日本医療小説大賞を受賞。最新刊は『夢見る帝国図書館』。

藻谷浩介(もたに・こうすけ)

1964年山口県周南市出身。(株)日本総合研究所 主席研究員。平成大合併前にあった3,200市町村のすべて、海外109ヶ国を自費で訪問し、地域特性を多面的に把握。地域振興、人口成熟問題、観光振興などに関し、精力的に研究・著作・講演を行う。2012年より現職。著書に『デフレの正体』『里山資本主義』 (KADOKAWA)、『完本・しなやかな日本列島のつくりかた』『観光立国の正体』(新潮社)など。近著に『世界まちかど地政学 NEXT』(文藝春秋)。

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