ヤマ王とドヤ王 東京山谷をつくった男たち 第四回 「暴動の街」と呼ばれて

大阪のあいりん地区、横浜の寿町と並んで、東京三大ドヤ街と呼ばれる東京・山谷。戦後日本の高度経済成長を支えた労働者たちが住み着いていたかつての山谷には、「ヤマ王」と「ドヤ王」と呼ばれた伝説の男たちがいた。
昭和35年に発生した第一次騒動をきっかけに「暴動の街」と化してしまった山谷。当時マンモス交番に勤めていた警部補による日常生活の記録は、住民側とは異なる肯定的なものだった。

山谷の日常風景

 

 山谷の路上では昼夜問わず、おっちゃんを取り囲んであれこれと職務質問している警察官たちの姿をよく見掛ける。偶然かもしれないが、最近とみに、その頻度が高いような気がする。時にはおっちゃんがパトカーに連行されてしまった現場も目撃した。取り締まりを強化しているのだろうか。そんな山谷の日常風景について、私はツイッター(https://twitter.com/takehide1975)で、【山谷日記】と題して以下のように発信している。

<南千住駅に向かう途次、中年男性が警官3人に取り囲まれ、職質されていた。「打った痕あるな?」と警官に言われ、腕をまくり上げると、確かに小さな痕があった。間もなく、パトカーがもう1台到着した。薬中だろうか?>(2018年10月17日)

<今日も高齢男性1人が警官たちに取り囲まれ、職質されていた。側を通り過ぎると、アルコールの匂いが鼻を刺激した。男性は「俺をバカにしてんのか!」と抵抗したが、「してませんよ」と警官になだめられ、パトカーに乗せられた。間もなく赤色灯が点滅し、サイレンが山谷の街に鳴り響いた>(10月23日)

<カメラ片手に徘徊していると、おっちゃん同士の会話が耳に入ってきた。「競馬当たったんだって!すごいなあ」。今日の天皇賞で当たったとみられるおっちゃんは謙遜しながら、空き缶がたくさん詰まったゴミ袋を手に、自転車で走り去っていった。実に平和である>(10月28日)

 いずれも私が山谷の街を歩いている際に出くわした場面だ。常宿の「エコノミーホテルほていや」近くの路上はいつも、発泡酒やカップ酒を片手に酒盛りしているおっちゃんたちのたまり場になっている。朝起きて、その日に社会とつながる最初の1コマが、酔いつぶれてその辺に転がっているおっちゃんの姿だったりする時もある。
 ここに通いはじめて1年、暮らしはじめて3カ月。たばこの吸い殻が散らばり、カップ酒と立ち小便が染み込んだアスファルトを踏みしめる生活は、私にとってもはや日常化している。取材がない日は十中八九、「ほていや」のロビーでパソコンのキーを叩いているのだが、窓口が開く午後4時近くになると、チェックインする宿泊客から「予約した●●と申します」と声を掛けられ、スタッフの代わりに対応するのにも慣れた。
 私が寝泊まりしている部屋は3畳の洋室。シングルのパイプベッドに小型冷蔵庫、19インチのテレビ、エアコン、小さな机と椅子があるだけで、トイレとシャワーは共同である。隣の部屋との壁が薄いため、話し声はほとんど筒抜けだ。経営者の()(やま)哲男さん(67)は、いつも宿泊客に対して「部屋ではお静かにお願いします」と説明するが、それでも早朝から話し出す宿泊客はいて、私にはその声が目覚まし時計の代わりになる。

 

写真①寝泊まりしている洋室。長期滞在すると荷物が多くなるため、足の踏み場がなくなる
(撮影:水谷竹秀)

 

「ほていや」は5階建てで、3階までは若い女性や外国人を含む一般の観光客が多い。4階以上になると、長期滞在者を中心とするベテラン勢が占める。多くは日雇い労働者とみられるが、一部には素性が分かりにくい中高年男性も含まれている。生活保護受給者は1人だけいて、背が高くてひょろりとした中年のその彼は、夜中にジャージ姿で宿所内を徘徊していることが多く、私もトイレに行く際にばったり出会う。ぎょろりとした目に長髪の彼はいつも、洗面所で黙々と手を洗い続けている。潔癖症らしく、挨拶をしても返ってこない。ここにはもう、10年近く暮らしているという。
 9月半ばのことだったが、ロビーで原稿を書いていると、「宿泊客が体調を崩した」という連絡が受付に寄せられた。間もなくエレベーターで降りてきた男性は高齢で、右手に杖を持ち、顔色が悪く、衰弱している様子。車椅子に乗せられ、歩道に横付けされた救急車で搬送された。山谷の住民の高齢化率は高く、救急車が駆け付けるのは日常茶飯事だ。そのサイレン音が耳に入る度、私はこの街に住む高齢者が置かれた厳しい現実を想像していたのだが、長年、簡易宿所の現場を見てきた哲男さんの視点はまた異なる。

「噓をついている可能性もあるんですよ。病院に行けばただ飯を食べられるってことで仮病を使う宿泊客もいるんです」

 さすがは海千山千の哲男さんである。山谷に集まる高齢者たちはやはり、一筋縄ではいかなそうだ。
 たまに酔っ払いのおっちゃんによる怒鳴り声が聞こえ、千鳥足のおっちゃんがゴミ回収箱に突っ込んで転倒する姿などは見られるものの、この街にはいたって平穏な空気が流れている。血気盛んな昭和30年代の勢いは()(じん)も感じられない。治安を心配したこともなく、強盗や性的暴行などの犯罪発生も聞かない。だが、少し目を凝らして街を眺めると、その痕跡は今も尚、残っている。

 

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