【2020年の潮流を予感させる本(9)】武田 薫『増補改訂 オリンピック全大会』/五輪の歴史に思いをはせる
新時代を捉える【2020年の潮流を予感させる本】、第9作目は、オリンピックにまつわる一冊。新型コロナウイルスの影響で東京五輪は延期が決定してしまいましたが、いま改めて、その歴史をじっくり振り返ってみてはいかがでしょうか。国際日本文化研究センター教授の井上章一が解説します。
【ポスト・ブック・レビュー この人に訊け!】
井上章一【国際日本文化研究センター教授】
増補改訂 オリンピック全大会
武田 薫 著
朝日選書
1800円+税
装丁/神田昇和
金銀銅の顕彰形式には味わい深い 歴史が
いよいよ、オリンピックの年となる。日本人は、どれだけメダルがとれるか。テレビをはじめとするメディアが、そう気をもむ度合いも、ますます高まろう。
金銀銅の賞牌で、参加者をたたえる。この顕彰形式は、一九世紀初頭にフランスの国内博覧会ではじまった(一八〇一年)。産業立国をめざしたナポレオン体制の産物である。当時の博覧会は、技術コンクールの場であった。ナポレオンは金銀銅の賞牌で、技術者の向上心をあおろうとしたのである。
二〇世紀前半までの万国博覧会までは、この仕組がたもたれた。ただ、時代が下るにつれて、万博は技術コンクールとしての性格をなくしだす。金銀銅の栄典もこの会場からはなくなった。
オリンピックがはじまったのは、一九世紀末である。はじめのうちは、それほどもりあがっていない。第二回や第三回のオリンピックは、万博の余興として開催されていた。そして、万博のそえものだったからこそ、金銀銅の褒章もオリンピックへ伝達されたのである。
万博があとですてたこの顕彰形式は、オリンピックのなかでふくらまされていく。一九三六年にひらかれたベルリンの大会では、授与式がページェント化された。ヒトラーがひきいたナチス体制下に、金銀銅のメダルは圧倒的な輝きをもちだしたのである。
ナポレオンの時代が生みだした。ヒトラーの体制が、大きく肥大化させている。そんな顕彰形式に、現代人は一喜一憂する。ボナパルティズムとナチズムの名残りに、われわれは生きている。私などは、なかなか味わい深い歴史だなと思うが、どうだろう。
べつに、オリンピックを否定したいわけではない。ただ、にがい歴史を知ることで、われわれの感性はみがかれる。メダルの数だけをとりざたする人びとより、物の見方はゆたかになると考える。
オリンピックをたのしむいっぽうで、その歴史にも想いをはせたいものである。
(週刊ポスト 2020年1.3/10号より)
初出:P+D MAGAZINE(2020/06/06)