【著者インタビュー】李琴峰『ポラリスが降り注ぐ夜』/新宿二丁目のレズビアンバーで7人の人生が交錯する
アジア最大級のゲイタウン・新宿二丁目のレズビアンバー「ポラリス」で交錯する、7人7様の人生の物語。15歳から日本語を学んだという台湾出身の著者は、「カミングアウトは必ずしも正義ではない」と語ります。
【ポスト・ブック・レビュー 著者に訊け!】
「LGBT」という言葉からはこぼれ落ちるアイデンティティを煌めくような言葉で描出した気鋭の台湾人作家による連作短編集
『ポラリスが降り注ぐ夜』
筑摩書房
1600円+税
装丁/川名 潤
李琴峰
●り・ことみ 1989年台湾生まれ。国立台湾大学卒業後、2013年に来日。早稲田大学大学院日本語教育研究科修士課程修了後、日本で就職し、17年、初の日本語小説「独舞」で第60回群像新人文学賞優秀作を受賞、翌年『独り舞』で単行本デビュー。同作はのちに自訳で台湾でも刊行。また昨年は「五つ数えれば三日月が」が芥川賞及び野間文芸新人賞候補となるなど、目下注目の新人。日中翻訳家としても活躍。163㌢、O型。
カミングアウトは必ずしも正義ではなく個々の事情や差異にこそ目を向けるべき
最愛の女性が男性と結婚してしまい、〈慰めてくれる人を募集します。割り切り希望〉と掲示板に書き込んだ、23歳の女性会社員、〈ゆー〉。そんな依存心の高い彼女に苛立ち、〈いい加減、自分が世界の中心じゃないって気付けば〉と怒る〈望月香凜〉や、台湾で学生が国会を占拠した「ひまわり学生運動」の渦中で忘れ得ない経験をした台湾人観光客〈
このアジア最大級のゲイタウンには、レズビアンバーが点在する〈Lの小道〉と呼ばれる一角もまたある。恋愛感情自体がない〈Aセクシュアル〉やLGBTという分類は、差別や偏見と人知れず闘ってきた先人の痛みの産物といえよう。だがそうした「名付け」がかえって人を傷つけ、孤独に追い込む場合もあると、台湾出身の日本語作家は言う。
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15歳から日本語を学び、来日後は日本で就職。その後、初めて日本語で書いた小説がデビュー作となった。
そして平成最後の師走、退社記念と称して2丁目に繰り出し、ポラリスで店主〈夏子さん〉と独立を祝った翌朝には構想を練り始めていたと、あとがきにある。
「あくまで私はこのあとがきも
冒頭の
「社会的弱者がこんなに努力して成功したとか、
女にも男にも性的興味がない〈
自分たち
歴史の文脈に身を置き考える
その恋人が線路に身を投げ、面白おかしく報じられた時、曉虹は留学先の日本にいた。そして自らも死を考えていたところを夏子に救われる。今では女性としての自信もつき、仕事も順調な彼女が、夏子との再会を躊躇う場面が切ない。〈生理が辛いよねと共感を求められた時に、嘘を吐く〉〈少女時代の思い出について語り合う時に、嘘を吐く〉〈昔はなりたい自分になるために、カミングアウトしていた。今はありたい自分でいるために、嘘を吐いている〉〈これが木の災いだ。生を終えるまでずっと続く、終身の刑〉
「最近はLGBTや各分類名を分かった風に使い、『カミングアウトしやすい社会にしよう』と無責任に言う人も多い。でもカミングアウトは必ずしも正義ではない、ということだけは書いておきたかった。本来はひとくくりにできない差異にこそ目を向けるべきなのに、分かりやすさを追い求めるあまり、個々の事情は無視されています。全てのカテゴリー化には暴力性が潜むという意識すらない。
もちろん当事者の中にも何らかの属性に分類されることで安心する人と、そうでない人がいて、言葉の持つそうした救済性と暴力性を認めつつ、人は人をそう簡単には理解できないということを、私たちは分からないといけない。性的マイノリティが社会的、法的に不利益を被っている現実がある以上、彼女たちの経験を無暗に普遍化して『みんな大変だよね』となるのは危険ですし、ひいては先人の努力や歴史を無視することにも繋がる。たとえ個人であっても歴史の文脈に身を置いて考えることは大事だと私は思うし、自分が本当に正しいことをしているか葛藤しながらも、前に進むしかないんです」
〈間違いかどうかを知っているのは二つの物事だけ〉〈歴史、そして自分の心よ〉という曉虹の台詞があるが、自分では変えられない性や不条理を前に、彼女たちがどうもがいたかが本書では歴史を成し、読む側もまた自分を問われる濃厚な読書をした。
●構成/橋本紀子
●撮影/黒石あみ
(週刊ポスト 2020年4.17号より)
初出:P+D MAGAZINE(2020/08/19)