【本屋大賞2021ノミネート】小説家・山本文緒のおすすめ作品

小説『自転しながら公転する』が2021年本屋大賞の候補作となり、注目を集めている小説家・山本文緒。デビューから34年を迎えるベテラン作家、山本文緒のおすすめ作品と読みどころをご紹介します。

介護・仕事・恋愛のあいだで板挟みになる30代女性の心境を描いた長編小説、『自転しながら公転する』が2021年本屋大賞の候補作となり、注目を集めている小説家・山本文緒。デビューから34年を迎えるベテラン作家ですが、恋愛のしがらみや生活をリアルに描く作風で、幅広い世代から支持を集め続けています。

今回はそんな山本文緒のおすすめ小説・エッセイ作品のあらすじと読みどころを、たっぷりご紹介します。

介護と仕事と恋愛、全部しなきゃいけないの? ──『自転しながら公転する』


出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4103080124/

『自転しながら公転する』は、2020年9月に刊行された、山本文緒の最新長編小説です。本作は2021年本屋大賞の候補作にもなっており、多くの人々の共感と支持を集めています。

本作の主人公は、32歳の都という女性。かつては東京でバリバリ働いていたものの、更年期障害で不安定になっている母親の介護のために茨城県牛久市の実家に戻り、現在は契約社員として、近所のアウトレットモールの中のアパレルブランドで勤務しています。同世代の女性が結婚や出産、あるいは管理職への出世とライフステージを着々と進めていくのを目にしながらも、都は介護と毎日の仕事に追われ、満足に自分の人生について考えることもできずにいます。

都の父親は、母親の容態が悪くなると、都がしっかりと看ていなかったからだと彼女を責めます。

「なあ、一緒にママの看病をしていくって約束したのは嘘か。ママ、ママって泣いてたのは一時の感情か。やっぱり面倒くさくなったか」
「パパ、違う」
「何のためにお前は会社を辞めたんだ。実家にただ同然で住んで、着飾って遊びまわるためか」

介護のため仕事のシフトを満足に増やすことができないことを都は歯がゆく思いますが、父親は「仕事なんて早く辞めて、稼いでいる男に養ってもらえばいい」と彼女の仕事を軽視しています。親、仕事、そして頼りがいのない恋人との関係に頭を悩ませる都の姿には、同世代の女性や介護の経験者であれば、涙が出るほど共感してしまうはず。日々忙しく、自分自身を見失いそうになっている人にこそ、“自転しながら公転する”かのように毎日をやりくりしながらも、その先に希望を見出そうとする都の生き様をぜひ見ていただきたいです。

何度でも恋愛の泥沼にはまってしまう女性の末路──『恋愛中毒』


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『恋愛中毒』は、山本文緒が1998年に発表した長編小説。第20回吉川英治文学新人賞を受賞した、彼女の代表作のひとつです。

本作の主人公は、水無月という大人の女性。真面目で冷静な水無月ですが、彼女にはたったひとつ、大きすぎる欠点がありました。それは、恋愛のことになると途端に自制心が効かなくなり、自ら泥沼にはまっていってしまう──というところ。離婚歴がある水無月は、「これからの人生、もう他人を愛しすぎない」と決め、恋に落ちないよう自らを縛っていました。

どうか、どうか、私。これから先の人生、他人を愛しすぎないように。愛しすぎて、相手も自分もがんじがらめにしないように。

私が私を裏切ることがないように。他人を愛するぐらいなら、自分自身を愛するように。

しかし、ひょんなことから人気小説家・創路功二郎と出会ってしまったことで、彼女は再び恋に落ちてしまいます。創路は既婚者でしたが、水無月を不倫に誘い、彼女はそれに応じます。

女癖の悪い創路に振り回されながらも、しだいに彼を縛るようになり、依存関係に陥っていく水無月。物語の終盤では、水無月の前夫との離婚理由が前夫の浮気相手への執拗なストーカー行為であったことも明かされ、ゾッとするような展開となっていきます。

水無月がしだいに自制心を失っていくさまは、恐ろしいほどにリアル。エンターテイメント小説として面白いのはもちろん、恋愛をすると心の制御が利かなくなってしまう方や、道ならぬ恋にはまってしまいがちという方には、ぜひ一度自戒のために読んでいただきたい1冊です。

「生きるのが面倒くさい、人間をやめてプラナリアになりたい」──『プラナリア』


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『プラナリア』は、“無職”の心模様をテーマとした短編小説集です。山本文緒は本作で、第124回直木賞を受賞しています。

表題作である『プラナリア』の主人公は、25歳の上原春香という女性。2年前に23歳の若さで乳がんを発症し、手術で右の胸を失って以来、あらゆることにやる気が出ず、社会復帰もできずにいます。春香の両親や恋人の豹介は彼女のことを尊重していますが、一方で、手術以来あらゆることに消極的になってしまった春香にどう接してよいものか、悩んでもいます。

春香は手術以来、常にうっすらと“生きるのが面倒くさい”という気持ちを抱えていますが、その裏には再発が怖い、死ぬのが怖いという矛盾した感情もあります。しかし、その葛藤を身近な人たちに明かすこともできず、自暴自棄になっていく一方でいました。

会社を辞めたのは、ただ単にやる気をなくしたからだ。なにもかもが面倒くさかった。生きていること自体が面倒くさかったが、自分で死ぬのも面倒くさかった。だったら、もう病院なんか行かずに、がん再発で死ねばいいんじゃないかなとも思うが、正直言ってそれが一番怖かった。

明日、月に一度の注射をされるとだるいどころか歩くのもやっとみたいなことになる。憂鬱だった。一人で深夜の国道を運転しながら「次に生まれてくる時はプラナリアにしてください」と、無駄と知りつつお星様に祈ってみたりした。

“次に生まれてくる時はプラナリアになりたい”。春香はそんな切実な願いをかつての入院仲間の永瀬にふとこぼしますが、正義感が強くしっかり者の永瀬は、そんな春香を励まそうと、プラナリアについての資料や乳がん患者の手記を春香の家宛てに送ってきます。その資料を読み、ショックを受けると同時に怒りを覚えた春香は、ようやく始めたばかりだったアルバイトを無断欠勤し、再び自分の殻にこもるようになってしまいます。

いつまでも前を向こうとせず、周囲への不満を自分の中だけで溜め込んでいく春香の姿には、もしかすると苛立つ読者もいるかもしれません。しかし、若くして健康な体を失い、同世代から遅れをとっているように感じてしまう春香の心境には、なんらかの大きな挫折を経験した人であれば共感できる部分も少なくないはずです。本作は「ニート」という言葉がまだ人口に膾炙していなかった2000年代の作品ですが、若くしてニートになってしまう人々の心境や社会的な背景を非常に巧みに描いている1冊です。

作家業の休養から復帰までを赤裸々に綴ったエッセイ、『再婚生活 私のうつ闘病日記』


出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4041970164/

作家として30年以上のキャリアを持つ山本文緒ですが、実は2003年からの6年間はうつ病を発症し、治療のために執筆活動を休止していました。その当時の心境や生活について赤裸々に描き、復帰作となったのが、エッセイ『再婚生活 私のうつ闘病日記』です。

本作に収録されているエッセイは雑誌『野生時代』に連載された日記形式の作品で、もともとは2003年、再婚直後だった山本が、「再婚とはどんな生活か」を書くために始めたものだったと言います。しかし、自分の身辺や気持ちについて素直に書いていくうちに、ほとんど全編が闘病日記になった──と彼女は綴っています。

うっすらと抑うつ状態が続いていた中、仕事上の大きなトラブルが起き、それが引き金のようになってうつを発症したと山本は言います。

自分のからだが自分でコントロールできない。これはきつかったです。意志の力ではもはや体を動かすことができず、そのとき連載していた女性誌の小説をなんとか二月に書き上げる分だけ書いてしまうと、平凡ではありますが「もうなんにもできない。死にたい。消えてしまいたい」と思い詰めてしまったように記憶しています。

エッセイの中では、うつにまつわる症状が非常に細部まで記録されているのはもちろん、激務が続く中でうつと診断され、「ようやく助かった」と感じたという素直な心境も綴られています。

「入院なんて大袈裟な」とまわりの誰かに思われたかもしれませんが、入院が決まっただけで、ほんと涙出ましたよ。これで助かる。今は迷惑かけても、休んで治して、仕事や生活がちゃんと自分でできるようになると思うと。あそこで思い切って入院していなかったら、まだこの原稿は書いていなかったでしょう。

入院という決断をできてよかったこと、退院したからといって高熱が引いていくときのように症状がスッとよくなるわけではないこと。そして、自分自身の中にもうつに対して偏見や間違った認識があったということを、彼女はどこまでも率直に、誠実に記しています。山本文緒の小説のファンはもちろん、家族や身近な人がうつになり、その心境や症状をすこしでも知るヒントにしたいという方には特におすすめしたい、読み応えのある1冊です。

おわりに

仕事と恋愛、家族とのあいだでがんじがらめになる非正規雇用の女性や、病気を経験し、生きることにやる気が見いだせない若者。山本文緒は常に、キャリアやプライドのある人物ではなく、社会的な弱者とみなされてしまう人々の姿を描く作家です。だからこそ、一度でも大きな挫折を経験したり、思うように自分の人生を進められていないと感じる人は、彼女の作品に登場する人物に対し、なんらかの思いを抱かずにはいられないはずです。

山本文緒の作品はどれも非常にリアルな心境を描いているために、読後感のよいものばかりではないかもしれません。しかし、勧善懲悪的なエンターテイメント小説やまっすぐな青春小説ではなく、ぐるぐると自問自答を繰り返す、複雑に曲がりくねった作品だからこその切実さや面白さが彼女の小説には詰まっています。最新作や代表作をきっかけに山本文緒作品が気になった方は、ぜひ他の作品にも手を伸ばしてみてください。

初出:P+D MAGAZINE(2021/03/31)

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