【原作はジェーン・スー『生きるとか死ぬとか父親とか』ドラマ化】一筋縄ではいかない親子関係をテーマにしたエッセイ3選

奔放に生きる父親と家族との関係を描いたエッセイ、『生きるとか死ぬとか父親とか』(ジェーン・スー)がテレビドラマ化し、話題を集めています。今回は同作をはじめ、一筋縄ではいかない、複雑な親子関係にスポットをあてたエッセイの名作をご紹介します。

2021年4月9日からスタートの連続ドラマ、『生きるとか死ぬとか父親とか』。吉田羊と國村隼が実在の父娘を演じることで話題を集めています。

ドラマの原作は、文筆家のジェーン・スーが、奔放に生きる自らの父親との関係について綴った同名のエッセイ。父親への愛憎入り交じる思いや若くして亡くなった母親、親戚たちとの思い出などを通し、真摯かつ赤裸々に“家族”に向き合った同作は、ヒットを記録しています。

今回は『生きるとか死ぬとか父親とか』のほか、一筋縄ではいかない、複雑な親子関係や家族関係をテーマに綴られたエッセイのなかから、選りすぐりの3作品をご紹介します。

『生きるとか死ぬとか父親とか』


出典:https://www.amazon.co.jp/dp/B08WLQYML8/

『生きるとか死ぬとか父親とか』は、コラムニストのほか、音楽プロデューサーやラジオパーソナリティとしてもマルチに活躍するジェーン・スーによるエッセイ作品です。本作は文芸誌『波』に2016年から2017年にかけて連載され、2018年に単行本として刊行されました。

本作はそのタイトルどおり、父親と自分との関係を中心に、著者の家族や暮らしについて綴ったエッセイです。著者は20代で母親を亡くし、77歳(※執筆時)の父親とのふたり家族。父親は短気でやや偏屈ではあるものの、愛嬌があり、女性から愛される人物です。

私が子どものころ、父は煽ってきた車に窓を開けて大声を上げるような気性の持ち主だった。いまではずいぶん丸くなり、人の話を聞く素振りができる。(中略)
古希を超えたあたりで「老い」という大波が絶え間なく押し寄せるようになり、否応なく父の尖ったところを削り取っていった。それでも花崗岩が軽石になるわけではないので、当たりどころを間違えればこちらは大怪我をすることになる。

歳を重ねてすこし丸くなったとは言え、父親との同居は難しいと判断し、ふたりは別居しています。

あるとき、父親が引っ越しをすることになったものの、彼が勝手に決めてしまった部屋の家賃は、父親が毎月貰っている年金よりも高い金額でした。収入のない賃貸希望者は1年分の家賃を前納する必要があり、早めに入金しなければいけない──。そう父親に告げられた著者は、1年分の家賃を自分が払う代わりに、父親のことをエッセイに書いてもよいかと尋ねます。

金を出すと言われた手前、父も断れないはずだ。
「いいよ」
今度は父が気前よく言った。

その言葉どおり、著者は父親と過ごす時間や彼が語る昔話を通じ、家族の物語を書き記そうとしていきます。著者らしさが現れているのは、本作が“年を重ねて絆が深まった父娘が、亡くなった母を偲ぶ”というような美談に収束していかないところです。著者は、父親のことをよく知る親戚たちと言葉を交わしたことをきっかけに、父親をめぐるストーリーは決して耳心地のよい話ばかりではないということに気づきます。

数多の線で形作られた父という輪郭の、都合の良い線だけ抜き取ってうっとり指でなぞる。私は自らエディットした物語に酔っていた。
父のために父を美化したかったのではない。私自身が「父がどんなであろうと、すべてこれで良かった」と自らの人生を肯定したいからだ。この男にはひどく傷付けられたこともあったではないか。もう忘れたのか。(中略)
どんなに下衆な話でも、どんなにしょぼい話でも、笑い飛ばし、無様な不都合を愛憎でなぎ倒してこその現実ではないか。

“親子は愛と憎をあざなった縄のよう”という著者の言葉どおり、著者は父親のことを綴る際、ときに憎しみや相容れなさも滲ませます。家族というものの複雑さを嫌というほど実感した上で、それでも家族に向き合っていくのだという著者の覚悟が窺える名エッセイです。

『父の詫び状』


出典:https://www.amazon.co.jp/dp/B009DECSU4/

『父の詫び状』は、脚本家・小説家の向田邦子が1978年に発表した随筆集です。本書にはそのタイトルどおり、向田邦子自身の父親や家族について綴った24篇のエッセイが収録されています。

向田の父親は、大手生命保険会社に給仕として入り、熱心に働き詰めて幹部社員まで昇格した根っからの苦労人でした。そんな父親は、家族の前では常に威張り散らし家のことは一切しない、いわば“暴君”であったと向田は回想しています。

表題作の随筆『父の詫び状』のなかでは、父親が時折、家に大勢の酔客たちを連れてくることがあったというエピソードが綴られています。東京から仙台への父親の転勤に伴い、子どもたちも冬休みのあいだだけ一緒に仙台で暮らしていたときのこと。明け方の寒さで家族が目を覚ますと、酔って粗相をした客の吐瀉物が玄関の三和土で凍っていた──という事件がありました。母親が対処しようとするのを制し、向田が掃除をはじめたときも、父親はそのうしろに立って黙っているだけ。向田は内心、「すまない」のひと言くらいあってもおかしくないだろう、と怒りを覚えます。

しかし、冬休みが明けて向田が祖母と暮らす東京へ帰ってくると、つい昨日まで仙台で一緒にいたはずの父親から、こんな手紙が届いていました。

巻紙に筆で、いつもより改まった文面で、しっかり勉強するようにと書いてあった。終りの方にこれだけは今でも覚えているのだが、「此の度は格別の御働き」という一行があり、そこだけ朱筆で傍線が引かれてあった。
それが父の詫び状であった。

同作のほかにも、本書の収録作からは、不器用ながらも子どもたちのことを思っていたであろう父親の姿がありありと浮かび上がってきます。向田が綴る父親の様子はいまの時代に読むと眉をひそめたくなるほどの“暴君”ぶりではありますが、ときに腹も立てつつ、父親の頑固ぶりをどこか飄々と受け流して楽しんでいるような母親や子どもたちの姿からは、家族というものが持つ奇妙な連帯感が伝わってきます。

父親や家族にまつわる味わい深いエピソードはもちろん、向田の人間に対する洞察力と鮮やかな文章も堪能することができる、名随筆です。

『彗星の孤独』(寺尾紗穂)


出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4909048049/

『彗星の孤独』は、シンガーソングライター兼文筆家の寺尾紗穂が、家族や自身の暮らしについて綴ったエッセイを集めた1冊です。本書のなかには、元「シュガー・ベイブ」のベーシストとして名を馳せ、その後字幕翻訳家としても活躍した父親・寺尾次郎について書いた文章も収録されています。

『残照』と題したエッセイのなかでは、寺尾が子どものころ、別居していた父親に対して抱いていた複雑な感情が綴られています。寺尾は“二世アーティスト”という目で見られることもあるものの、実際には自分が生まれるより前に父親はベースを辞めてしまっていたため、音楽的な影響はほとんど受けなかった、と語ります。

翻訳の仕事を始めた父の仕事道具はタイプライターで、それをいじらせてもらっているのが、私の父に関する最初の記憶だ。3つ下の弟がまだ幼いうちに、父は家を出て仕事場を持ち、そこで暮らし始めた。父は私たちにとって、たまに来る人になり、やがて年に数回会う人、その後正月だけ会う人になった。

“正月だけ会う人”と父親のことを醒めた目で見ていた寺尾ですが、妹や弟が父親の不在を寂しがっている様子を見るのは辛かった、と言います。

ひと回り下の妹が幼いころ、父が仕事場に戻る時、泣いていやがっていたのを覚えている。その妹を見ているのが辛かった。どうしてこんなに小さな妹が悲しまなければならないんだろう。私自身はすでに父の不在に慣れきって、むしろ父に対しては父親業を放棄した人、と醒めた目で眺めていた。我が家は「フツー」の家庭ではなかったが、「フツー」でないこともさほど悪いものとも思わなかった。

父親のことは好きかと聞かれれば好きだけれど、複雑な感情も抱いている。ずっとそう考えていた寺尾でしたが、大人になってから母親に聞かされた言葉に、寺尾は大きな衝撃を受けます。

「パパが仕事場持ち始めたころ、K(弟)は小さくてよくわからないで、パパが帰る時もニコニコ手を振ってたけど、あんたはいつも目に涙をためてたんだよ」

じつは、寺尾も父親の不在が寂しくて仕方なく、辛い思いをしたくがない故に自分の気持ちに蓋をしていた──。そのことに気づいた寺尾は、こう綴ります。

長いこと抱いてきた父への無感情。しかし自分の心を遡れば、抑えがたいまっすぐで純粋な愛がかつて確かにあった。子が親を恋う。当たり前の、でも私にとっては奇跡みたいに思えるその事実が必要だったのだと思う。

父親との関係にまつわるエピソードは、本書の収録作のひとつの軸となっています。特に、父親が亡くなる直前、ようやく親密な時間を過ごすことができたというエッセイ『二つの彗星』は、父親に抱き続けていた複雑な感情に正面から向き合った感動作です。

いつまでも超えられない、はるか遠い存在のようでもありながら、やはりどこか自分と似ている部分や重なる部分もある……。ひと言では言い表せないそんな気持ちを親に対し抱いている方にはぜひ読んでいただきたい、真摯なエッセイ集です。

おわりに

今回ご紹介した3作品を比べるだけでも、偏屈な親の面倒臭さ、頑固で癇癪持ちの親に対しての怖さと怒り、家にいない親に対して抱いていた寂しさ──など、“複雑な親子関係”のひと言では片づけられないほど、子が親に抱く感情というものがさまざまであることが伝わってきます。

ジェーン・スーは、『生きるとか死ぬとか父親とか』のなかで、父親に関するエッセイを書こうと思った動機を、このように綴っています。

私は母の「母」以外の横顔を知らない。いまからではどうにもならない。私は母の口から、彼女の人生について聞けなかったことをとても悔やんでいる。父については、同じ思いをしたくない。

彼女が語るように、親の“親”以外の一面を実はよく知らない、という方は少なくないのではないでしょうか。今回ご紹介したエッセイはどれも、親と家族、自分自身をめぐる真摯な考察を通じ、“家族”や“親子”という垣根を超え、個人と個人の関係性をあらためて考え直すきっかけをくれるような作品です。親の前だとなかなか素直に自分の気持ちを伝えることができないという方は、今回の3作品から対話のヒントを得られるかもしれません。

初出:P+D MAGAZINE(2021/04/10)

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