夢枕 獏『いつか出会った郷土の味』/本当にうまいものとの出会いを、作家がエロく痛快に書き下ろす!

ユーコン川のカヌー下りをして、狼の遠吠えを聴きながら焚火で焼いたサーモン。山小屋で働いていたころ、ざくりと切って焼いて食べたカラマツ林のキノコ、ジゴボウ……。夢枕獏氏がどんな“夢”を食べて作家になったのか、その秘密をときあかした痛快なエッセイ!

【ポスト・ブック・レビュー この人に訊け!】
嵐山光三郎【作家】

いつか出会った郷土の味

夢枕 獏 著
三栄 1760円
装丁/丸山雄一郎
(SPICE DESIGN)

うまいものはエロい! 思わず喉が鳴る痛快50食

 獏さんがいかなる夢を食べて作家になったのか。という秘密を解きあかす痛快な五十編。「うまいものはエロい」。アラスカで野田知佑ともすけ氏とユーコン川のカヌー下りをして、狼の遠吠えを聴きながら焚火で焼いたサーモン。
 山小屋で働いていたころ、カラマツ林のキノコ、ジゴボウを焼いて食べた。ざくりざくりと切って、豚肉はゴマ油で炒めて醤油をかけた。スーパーで売っているナメコの七倍はうまいという。
 話が具体的で、大崎吉之氏によるカラー・イラストがリアルに迫ってきます。兎の頭のかち割り味噌汁(ブキミ)にもそそられるが、小田原の老舗守谷もりやのあんぱんは獏少年が一日十円の小遣をためて月に一度貪り食った「思い出の味」。地元の柳川牛乳を飲みながら食べるのがこつ。イラストにも、一段と力が入っている。
 二十六章に「奄美大島 ミキを知ってるかね」とあるから、どれどれと読みすすみますと「まあ飲んでみてよ」ときた。でろんでろんの喉ごしで、その色、白。見ため牛乳。正体は発酵飲料で、神様に奉納するお神酒みきだ。家に帰ってから取りよせて、冷蔵庫で冷やして飲みほしたんだって。「ああ、たまらん」という味。
 トマトの漬け物が出てくる。ほとんど三口で食べてしまって「え、もうないの…。もっと食えるのに」。残った汁を全部飲んで溜息をつく。「ここまでもが、味のうちに入っているのである」と小田原の陰陽師はつぶやくのでした。
 獏さんは釣り師だから鮎やワカサギやカツオ料理を釣り仲間と食べるが、京和菓子「老松おいまつ」の夏柑糖なつかんとうなんてのも出てきて、これを食べたときは脳の海馬体が「うほーっ」と声をあげたという。この夏柑糖は、私も食べたことがある。「鮒ずし巡礼」「伊勢うどん」(あ、これも食べたことある)と読みながらぶつぶつ声を出す私も食い意地がはって困ったもんだ。
 登場する料理を供する五十店舗の住所と電話番号が掲載されているので、ガイド本としても役にたちます。

(週刊ポスト 2021年5.7/14号より)

初出:P+D MAGAZINE(2021/05/13)

◎編集者コラム◎ 『もう時効だから、すべて話そうか 重大事件ここだけの話』一橋文哉
著者の窓 第5回 ◈ 五十嵐 大 『ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと』