人間の善なる面を見つめる 『小さいおうち』の著者 中島京子おすすめ5選

2010年、『小さいおうち』で第143回直木賞を受賞した中島京子。家族小説の名手で、2019年には小説『長いお別れ』が映画化されたことでも知られています。そんな著者のおすすめ小説5選を紹介します。

『キッドの運命』2度目の原発事故が起きた近未来の日本を描く、異色のSF


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 時は2040年代。2度目の原発事故が起こり、放射能に汚染された首都近郊から多くの人が移住した後の日本、という設定です。
 近未来においては、AIが人知を超え、病気の人は「AIドクター」を使うので、医師は仕事に困っています。そして、人間自らが作り出したAIロボット「キッド」の知能に脅威を感じた人間が、今度は「人工知能禁止条約」を考案するという倒錯した現象が起こっています。他にも、墓じまいの流れか、「鳥葬」を希望する高齢者が増えていたり、肉食や漁業が制限されて、昆虫から作られた疑似鮨を食べていたり、生殖のために性交する人が激減して、子どもが欲しい人は計画的に人工授精することが当たり前になっていたりする世界です。子どもはオンラインで学習するのが普通になり、「ひきこもり」がメジャーな生き方になっているという箇所は、本書が、新型コロナウイルス蔓延直前の2019年に刊行されたことを鑑みると、著者の慧眼と言えるでしょう。
 人間は百歳まで生きられるようになり、地球規模では人口が増えていますが、良いこととは限りません。

チョイスは中央が奨励する医薬部外品で、緩慢に、とくに痛みや不具合を感じることなく、少しずつていねいに、ゆっくりと健康を失っていくためのサプリメントだ。人類のヒストリーの中で、極端に高齢化が進んだ時代、何度か議論されたのが合法的な安楽死であった(中略)人口問題とエネルギーのこともある。人類が地球の存続にとって脅威であることは、もう世紀を越えて警鐘が鳴らされてきた。1日12時間制が導入されたのも、これ以上、人類の営みが地球を破壊することのないように、計画されたものであった。1日を12時間に限定し、その他の12時間は「絶対睡眠」をおこなう。その他の12時間は、人類のすべての活動がストップする。午後8時になると、催眠ガスが流れて自動的に誰でも眠ってしまうし、必要最小限のRPA(ロボットによるプロセス自動化)以外、すべての電力がカットされる。エネルギーの消費を大きく減らし、CO2の排出量も減らせるので、「地球の延命措置」とも言われた。

 未来に生きる人々は、どこか明るい諦念をもってこれらを受けているようです。著者は、これらを良いとも悪いとも断じず、ただ淡々とした筆致で綴っていきますが、本作が、ディストピア小説かユートピア小説かは、読者により様々でしょう。

『平成大家族』72歳・歯科医の龍太郎の悩みは、三十路の長男が長年引きこもっていることだった


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 都内に一軒家を持つ家は、72歳の歯科医・龍太郎、66歳の妻・春子、30歳の長男・克郎かつろう、92歳の春子の母・タケの4人家族。40歳の長女・逸子いつこと、35歳の次女・友恵は、すでに独立しており、逸子は、IT起業家の夫と有名私立中に通う息子と3人暮らし。記者の友恵は同業の夫と2人暮らし。龍太郎の目下の悩みは、克郎がネット株で小遣い稼ぎはしているものの引きこもりで、10年来口をきいたことがないことでした。そんな緋田家に、夫が事業に失敗して自己破産した長女一家と、夫とのすれ違い生活の末離婚した次女が、出戻ってきます。しかも次女は父親のはっきりしない子を妊娠中。龍太郎は、苦々しく思いつつも、友人の大学教授から、「窮鳥きゅうちょうふところれば猟師もこれを殺さずと言いますからね」と諭され、今どき珍しい大家族での暮らしを始めます。
 春子が、子育てに失敗したと、教授にこぼすと、こんな答えが。

「いつの世にも、その時代なりの困難がありますが、私たちはこれで、ずいぶん生き辛い時代を迎えているのです。戦後の日本人が敷設(ふせつ)してきたレールが、ここ10年ほどで一気にがたがたになってしまった。お子さんたちはみな、明日の定かではない日々を生きざるを得なくなりました。そのくせレールにしがみついた者が勝ちで、外れた者が負けだと、負けるのは負ける者の責任だと、身も蓋もない論理がまかり通る。理念なき資本主義を垂れ流すように推奨し、ケインズも知らない若造が国会議員だという。奥さんの悩みはひとりで抱え込むべきことではないのです。日本人すべてが分かち合うべき課題です」

 緋田家の問題は、現代の誰もが抱えうる事柄ですが、厄介なことも多い大家族の暮らしのなかで、互いが互いの緩衝材かんしょうざいになったり、思わぬ相乗効果を生んだりして、一家にはほのかな光が差してきます。その様子を、決して深刻にならず、コミカルに温かく描いた家族小説です。

『かたづの!』武家の娘ながら、「不戦」を貫こうとした八戸はちのへ氏女亭主の一代記


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 時は江戸時代。城主である夫・直政と嫡男を突然亡くし、自らが直政の後を継いで八戸南部氏の第21代女当主となった祢々ねねと、彼女の傍らに仕えた一本角(かたづの)のかもしかとの歴史小説です。
 祢々と片角の出会いは、彼女が少女だったころ。片角を射ろうとした者を、「仏の化身かもしれない」と止め、邸に連れ帰って可愛がります。祢々は、片角相手に語らいます。

「戦でいちばんたいせつなことは、やらないこと。2番目に重要なのは、始めたらさっさと止めること。拙速せっそくなるを聞くもいまだこうひさしくなるをみざるなり。多少ぶざまでも早く切り上げたという話はあっても、だらだら長引かせて勝つなんてことはないそうだ」

 祢々は、戦や殺生を好みません。戦国時代の歴史などは、あれがこっちについた、これがこっちについた、と、そういうのが好きな人もいるかもしれないが、自分は、知恵を絞って戦わない方法で世の中を平定したいと考えています。そんな理想主義な面を持つ娘に、母・千代は、「あなたは甘い」と叱ります。ところが、祢々が29歳のとき、城主の夫と幼い嫡男が相次いで変死します。勘の鋭い彼女は、誰の仕業か見当がついていました。

「戦というのはね、一本角さん。人をだますことだそうよ。あざむいたものが勝ち。欺かれたものが負け。要するに、ずるしたほうが勝つということ。そして三戸さんのへ叔父御おじごときたら、あんまり若い時に戦いに出て武勲を積んだものだから、この、ずる、というのが骨身に沁みてわかっている。碁や将棋を愉しむように、叔父御は、ずるを愉しむことができる。それが智将の器の証拠だとはなから決め込んでいるふしがある」

 三戸と八戸は表向き同士でありながら、内実は、三戸が八戸に発言力を持っているという関係でした。「三戸の叔父御」こと、南部宗家のとしなおは、千代の弟であり、祢々の叔父ですが、自分の利益のためならば、血を分けた息子を殺めることも厭わない人物です。このままでは、八戸は三戸に併呑へいどんされるという危機的な状況でも、戦をして人命が失われることだけは避けたいという思いを曲げない祢々ねねがとった策と、腹心の友である片角が発揮した奇跡的なパワーとは……。
 文芸評論家の池上冬樹は、単行本の帯文に「現代を見すえた批評精神が生んだ、歴史ファンタジー」とのコメントを寄せていますが、本作に込められた強い反戦のメッセージは、
ウクライナ戦下の今こそ読まれるべきかもしれません。

『桐畑家の縁談』美人の姉より、地味な妹の方が先に結婚が決まって……。結婚をめぐる姉妹小説


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 桐畑露子つゆこは、27歳。ある日、奥手な妹・佳子よしこに「結婚することにした」と告げられます。

はっきり言って、妹が自分より先に結婚するとは思わなかった。だいいち、佳子が結婚するとも思わなかったくらいだ。想像できる限りの女の知り合いを思い浮かべてみて、もっとも結婚から遠いイメージなのが妹だった。とはいうものの、露子のほうは、誰よりも早く結婚すると思われているようなタイプだったはずだ。たぶん、そこがまずかったのよねぇ、と露子はいま自分を省みて思う。(中略)要するにあたしは中途半端に幸せに生きちゃった分、現実を獲得する能力みたいなもんが欠けてるってわけよ。

 露子は、自分がコンサバな美人で、そういうところが男性から好かれることを自覚しており、如才なく振る舞うことにも長けていたために、男性に不自由したことがありません。その分、「結婚できないかもしれない」という危機感は薄く、条件面だけなら申し分ない相手にプロポーズされてものらりくらりの対応です。一方の、佳子はというと……。

露子がときどき思い出す記憶の中の妹は、思春期の人が持つべきナルシシズムをあらかじめ欠いて成長してしまった、おどおどした変わり者の女の子なのだ。“人を普通、自分を変人”ととらえる佳子の自意識には、佳子を好きになる男の子などどうかしているとしか思えなかったらしい。徹底して女同士の競争から降りているキャラクターが好まれたのか、中学・高校時代の佳子はたいてい、男の子に人気のある女の子になつかれていた。

 自分がどういう人間か、早くから知り抜いていた佳子は、自分に似合いの相手もまたよく分かっており、そうした人と結婚するために地道に努力してきた様子。露子は、そんな佳子に触発されて婚活に本腰を入れようとするのですが、どうも気乗りしません。

「結婚してないと、いろいろ不便だし、人からとやかく言われる。だから『してさえいればいい』ものなわけよ。結婚さえして、はがきでも配っておけば、別居だろうが週末婚だろうが寝室が別だろうが誰も文句はつけない。結婚て、案外、便利なものだよ」

と友人に説得され、露子に心境の変化は訪れるのか――。現代女性の結婚観を伺い知れる1冊です。

『長いお別れ』認知症になった父。ゆっくりと遠ざかってゆく父を見送る家族の姿とは


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 ひがししょうへいは、元国語教師。娘たちは独立し、妻・曜子ようこと2人暮らしです。かくしゃくとしていた彼ですが、70歳を過ぎた頃、アルツハイマー型認知症と診断されます。曜子は、夫を家で看取りたいという願いを持っており、デイサービスや訪問介護を利用しながら、老老介護をしています。
 夏休み、仕事の都合でアメリカにいる長女一家が帰宅します。昇平の孫は、海外生活が長いため、漢字が苦手。一方、昇平は、人の名前や今日の出来事は忘れても、昔覚えた勉強は記憶に残っているようで、「蟋蟀こおろぎ」といった難読漢字を孫の前で書いてみせ、「おじいちゃん、天才だよ」と言われます。孫たちは、祖父に気を遣って褒めたのではなく、純粋に称賛の気持ちを示したのであり、曜子は、「高齢者と子どもは相性がよいものだ」との意を強くします。
 そんな折、東日本大震災が起こり、都下に住む老夫婦の生活にも変化をもたらします。放射能の雨が降るかもしれないから、昇平の通院を延期するよう娘に説得されたのを押し切って病院へ連れて行きたい曜子には、ある理由がありました。

 東曜子は半年間、夢にまで見続けた戦利品を手に入れた。アルツハイマー病の新薬、メマリーの処方箋である。3日後の発売日に、曜子は外出をしぶる夫をせかして駅前の調剤薬局へ出かけ、大事に折りたたんだ処方箋を広げた。
「残念ながら、メマリーはありません。発売されるはずだった薬の工場が福島の小名浜というところにあって、被災して、いまのところ復旧の目途が立っていないそうです」

 震災の影響がこんなところにまで及んでいたのかと気づかされると同時に、昇平が飲むことになったアリセプトやアドメンタといった薬が、どのような効果をもたらすかは、誰もが知りたいところです。また、震災後、「絆」という言葉が頻繁に使われたことについて、結婚に縁遠い末娘・が、「人とのつながりが大切らしいのに……」と昇平にこぼしたところ、「そうでもないだろ」と、とぼけたような返答があり、おそらく意味は通じていないものの、どこか気持ちが通じ合ったようで、芙美は肩の力が抜けたような気分になります。後に芙美は、曜子が網膜もうまく剥離はくりで入院し、「子どもを産んだことのない人に、男性の下の世話は無理」と母に言われた際、「それは偏見だ」と、父の介護に奮闘します。
 家族のことが徐々に認識できなくなってゆく父に、ゆっくりとさようならを唱える、優しさに満ちた介護小説です。

おわりに

 現代小説、SF、歴史ものなど、幅広いジャンルにおいて、端正でたしかな文章で、家族のかたちを問い続ける中島京子。その根底にあるのは、人間への優しいまなざしと信頼です。温かな読後感が得られる著者の小説を読んでみてはいかがでしょうか。

初出:P+D MAGAZINE(2022/05/23)

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