窪美澄『夜に星を放つ』が受賞! 第167回直木賞受賞予想! 候補作を徹底解説・文芸評論家・末國善己の大予想を振り返り!
7月20日に発表された、167回直木賞。文芸評論家の末國善己氏が、候補作の読みどころを徹底解説し、受賞作を予想した記事を振り返ってみましょう…!
目次
3.呉勝浩『爆弾』
【まずは前回の答え合わせから!】
今回の直木賞予想も、前回の答え合わせから始めたい。
前回は、米澤穂信『黒牢城』を本命、今村翔吾『塞王の楯』を対抗、彩瀬まる『新しい星』を穴とした。結果は『黒牢城』と『塞王の楯』の同時受賞だったので、予想が当り、通算成績は5勝6敗となった。同時受賞もあると書きたかったが、前々回の第165回も佐藤究『テスカトリポカ』と澤田瞳子『星落ちて、なお』の同時受賞で、2回連続の可能性は低いと判断した。そのことは悔やまれる。
浅田次郎の選考経過によると、選考中から「同時受賞でいいのでは」という意見が出ていたという。意外だったのは、ノーマークだった逢坂冬馬『同志少女よ、敵を撃て』が次点と高く評価されたことだが、「独ソ戦を日本人が書く必然性があるのか」との意見があったのは直木賞らしいといえる。幻想性を排した彩瀬まる『新しい星』が「本来の幻想的な空気をまとう持ち味が出た作品が他にあるのでは」とされたのは皮肉な結果で、柚月裕子『ミカエルの鼓動』が「主人公の人格がやや不鮮明。熱血漢なのか冷たい人なのか」というのは予想の通りだったが、あまり否定された作品はなく「高水準の選考会」とまとめられていた(選考経過の引用は「東京新聞」夕刊、2022年1月26日)。
【第167回直木賞候補作、ココに注目!】
今回は、2015年に三浦綾子文学賞を受賞した『
残る窪美澄、呉勝浩、深緑野分は、共に3回目のノミネートである。窪の『トリニティ』は直木賞は逃したが第36回織田作之助賞を受賞、やはり直木賞受賞とはならなかった呉の『スワン』も第41回吉川英治文学新人賞と第73回日本推理作家協会賞の長編および連作短編部門を受賞、深緑の候補作『ベルリンは晴れているか』も第9回Twitter文学賞を受賞しており、リベンジが果たせるかも気になるところだ。
作家としてのキャリアには差はあるが、今回は直木賞の候補になった回数が少ない作家が並んだ。最近の直木賞は、第164回の西條奈加『心淋し川』と第165回の佐藤究『テスカトリポカ』が初ノミネートで、前回の米澤穂信『黒牢城』と今村翔吾『塞王の楯』が共に3回目と、候補作になった回数が少ない作家が受賞しており、今回もあまり功労賞的な要素がないフレッシュな戦いとなっている。
以下、候補作を順に紹介していきたい。
【候補作別・末國的見どころ解説!】
河崎秋子『絞め殺しの樹』 日本的なしがらみを活写した大河小説
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北海道で生まれた河崎秋子は、大学卒業後ニュージーランドで緬羊の飼育技術を学んで帰国し、長く羊飼いとの兼業作家だった。本書は、明治時代に屯田兵として北海道根室に入植した酪農一家の物語なので、河崎の経験が活かされた作品といえる。
根室で生まれたミサエは、出産直後に母が死に、父親が誰か知らずに育った。育ててくれた祖母も亡くしたミサエは、紆余曲折を経て、祖母が世話になった吉岡家に引き取られた。だが屯田兵として入植した士族であることを誇りにする吉岡家での生活は、朝から晩まで酷使される使用人同然だった。やがてミサエは、吉岡家を顧客にしていた薬屋の小山田の援助で札幌に移り、小山田の親戚筋の本間家が営む薬屋で働き始める。熱心に働き医療の勉強も欠かさないミサエは、本間夫婦の勧めで看護学校に入り資格を取る。太平洋戦争後、根室で農業を始めた小山田から保健婦の資格を取って帰ってきて欲しいと頼まれたミサエは、開拓保健婦として帰郷する。保健婦として働きながら、結婚し娘を生んだミサエだが、過去を忘れたかのように恩着せがましく接する吉岡一家や、小山田への恩義、義理の両親や地域住民にからみつかれ次々と不幸になっていく。1980年代以降を舞台にした第二部では、吉岡家の養子になった雄介を主人公に、家を継ぐ宿命と自由になりたい葛藤が描かれることになる。
タイトルにある「絞め殺しの樹」は、ほかの植物に巻き付いて成長し、時に覆いつくした元の木を枯らす
日本人は個の自立が不十分で自己主張をするより場の空気を読みがちとされるだけに、血縁、地縁、職場などのしがらみにがんじがらめにされるミサエや雄介に共感する読者も少なくないだろう。閉塞感に苦しむミサエや雄介の境遇がリアルだからこそ、ラストに置かれたささやかな救いに勇気と希望がもらえるのではないか。
窪美澄『夜に星を放つ』 何気ない日常が教える大切なこと
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物語に星や星座がからむ5作を収録した短編集で、日常の何気ない断面を切り取ることで、深い人間ドラマを作り上げている。
新型コロナの自粛期間を舞台にした『真夜中のアボカド』は、婚活アプリで知り合った真面目そうな男と交際しつつ、30歳を前に死んだ妹の彼氏と交流している女性を主人公にしている。高校1年で水泳部の真が、夏休みに海を満喫するため祖母の家に泊まりに行く『銀紙色のアンタレス』は、祖母の家で幼馴染みの少女と合流するが、離婚したらしい年上の女性が気になってしまう。死んだ母親の幽霊が見える女子中学生がいじめを受け保健室登校になってしまう「真珠星スピカ」は、ホラーテイストの逆転劇が痛快に思える。離婚した妻が娘を引き取りアリゾナで再婚し、オンラインでの娘との面会を楽しみにしている沢渡の隣にシングルマザーが引っ越してくる「湿りの海」は、恋愛小説になると思っていたらシングルマザーに児童虐待疑惑が浮上するなど最後まで先の展開が読めない。父の再婚相手を母と呼べない小学4年の男の子が、弟を生み育児疲れでマンションの鍵を掛けたまま昼寝するようになった義母に締め出される形になる「星の
本書の主人公たちは、大切な人を亡くすなど何らかの喪失感を抱えており、それを埋めるため、あるいは立ち直るために新たな人と交流を始めるが、それは必ずしも自分にプラスに働くとは限らない。こうしたもどかしさ、すれ違っても誰かを求めることは、現実の人間関係でも普通にあるので、不器用な主人公たちの心理がリアルに感じられるだろう。ハッピーエンドとはほど遠い結末もあるが、どの物語もラストに遠い星のようなささやかな光が描かれているので、心地よく読み終われるのも嬉しい。
呉勝浩『爆弾』 連続爆破事件が浮き彫りにする現代日本の闇
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連続爆破事件と聞けば派手なアクションを思い浮かべるかもしれないが、『爆弾』の主要な舞台は警察の取調べ室で、爆破を阻止しようとする地道な捜査が描かれる。
酔って酒屋の自動販売機を蹴り注意した店員を殴ったとして、男が野方署で事情聴取を受けた。スズキタゴサクと名乗る男は、取調べをしていた等々力に、自分は記憶喪失だが霊感があり、夜の10時に秋葉原で何かがあるという。その言葉通り、秋葉原の廃ビルで爆破事件が発生するも被害者は出なかった。その1時間後、またしてもスズキの予告通り東京ドーム近くで爆弾が爆発し、ジョギング中の夫婦が巻き込まれた。スズキは連続爆破事件の犯人なのか? 上層部は、スズキの取調べに本庁捜査一課特殊犯罪係の清宮と部下の類家を投入。質問をして心の形を当てるゲームをしようともちかけてきたスズキと対峙した清宮が、スズキの言葉から爆弾が隠された場所と爆発時間を推理する頭脳戦、心理戦には静かながら圧倒的なサスペンスがある。それだけでなく、防犯カメラの映像などからスズキの足取りを追ったり、スズキが恥ずかしい不祥事で野方署を辞めた警察官の名前を出したことから2人の関係を調べたり警察の捜査も描かれるので、群像劇的な広がりもある。
社会の底辺で生き風采があがらず愚鈍に見えるが、エリート警察官を翻弄し、その本性を徐々に発揮していくスズキは、サイコサスペンスに出てくる猟奇的な知能犯を彷彿させるが、カリスマ性よりも空虚さが目立つだけに不気味さも際立っている。
スズキは“あらゆる場所で命がランク付けされているのに、大企業の経営者や大物政治家、有名スポーツ選手と自分の命は同じ価値があるのか”と問う。清宮は、優劣なく生活が送れるよう法律やルールが作られたと返すが、常に社会から排除され何の援助も受けられなかったスズキは納得しない。スズキが語る敗者を排除する社会構造や、誰もが否応なく持ってしまう差別感情は、否定しなければならないと思いながらも、一面の正しさもあると考えている人もいる。爆弾事件を捜査する警察官がそれぞれに抱く正義感を丹念に描くことで、スズキ的な価値観を受け入れる者と、拒否する者の差はどこにあるかを問い掛けているだけに、本書を読むと、社会の分断が進むなかで自分はどちらを選ぶのかを考えることになる。
永井紗耶子『女人入眼』 鎌倉時代を女性の視点で読み替えた歴史小説
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三谷幸喜が脚本を手掛けるNHKの大河ドラマ『鎌倉殿の13人』が、話題を集めている。永井紗耶子が初めて鎌倉時代に挑んだ『女人入眼』は、『鎌倉殿の13人』でいえば第24話あたり、源頼朝の娘・大姫の入内が進められていた時代を今までにない視点で切り取っている。北条政子、大江広元らが重要な役割で登場しているので、『鎌倉殿の13人』が好きなら戸惑うことなく物語世界に入っていけるだろう。
大姫は木曽義仲の息子・義高と婚約していたが、頼朝と義仲が敵対したため義高が殺され、そのショックで心に傷を負い床に伏せるようになった。朝廷との結び付きを深めたい頼朝は、そんな大姫を後鳥羽帝に入内させようとしたとされる。ただ本書では、後鳥羽帝には女の子を生んだ関白・九条兼実の娘・
鎌倉で大姫と対面した周子は、繊細で宮中での生活には耐えられないと判断するが、母の政子は絶対に大姫入内の考えを曲げない。京の政治状況が刻一刻と変わるなか、周子は大姫と早く心を通わせる仲になり、教育係の職責を果たそうと奮闘する。
タイトルは、木像に眼が入らないと仏にならないように、男が戦いで彫った国に眼を入れ仕上げるのは女性という意味である。そのため、頼朝と嫡男・頼家の乳母を務めた比企家が権力を拡大するなど、当時の女性たちが果たした政治的な役割が活写されている。特に、感情の赴くままに生きているがなぜか判断を誤らず、大姫を巧みに支配する政子は凄まじく印象に残る。政子と大姫の関係を再検討することで、気鬱の原因が義高の死という通説に一石を投じているのも興味深かった。
人を碁石のように配置し情を排して政争を繰り広げる丹後局に仕える周子は、自分も勝ち続けねばならないと考え、キャリアアップのため鎌倉へ行く。だが大姫とその周囲にいる女性たちと接するうちに、勝ち負けよりも大切なものがあると気付く。
勝ちにこだわっていた周子の変化は、競争が激化し格差が広がる現代日本のあり方を問い直しているように思えてならない。特に嫌なことには立ち向かうだけではなく、逃げるという選択肢もあるというメッセージは真摯に受け止める必要がある。
深緑野分『スタッフロール』 映画史、特撮史が浮かび上がらせる働く意義
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『戦場のコックたち』『ベルリンは晴れているか』と、戦争を背景にしたミステリで154回と160回の直木賞候補になった深緑野分だが、『スタッフロール』は、第二次大戦後の映画界で視覚効果に携わった2人の女性が主人公。徹底した資料調査は前回、前々回の候補作を思わせ、ラストの伏線回収にはミステリ出身の作家らしさはあるが、男性社会の映画界で働く女性の葛藤、働く意味などが軸になっておりジャンルが異なっている。
1948年。アメリカの郊外住宅で両親と暮らすマチルダは、2歳の時に家の中で目にした影絵の怪物に囚われ、その犬に似た姿を再現したいと思うようになる。大学を中退したマチルダは、ニューヨークで特殊造形師のヴェンゴス老人の工房で働き始める。やがてベトナム戦争の取材で障害を負った合成背景画家のリーヴとハリウッドへ向かったマチルダは、特殊造形師として頭角を現すが、コンピューターグラフィックス(CG)をめぐってリーヴと決別してしまう。2017年。ロンドンの中堅スタジオでCGアニメーターをしているヴィヴは、マチルダを取り上げたドキュメンタリー番組で、マチルダがCGを嫌っていたと知る。折しも新鋭のアンヘル・ポサダ監督が、マチルダが創出した犬の怪物「X」が出てくる映画のリメイクを作ることになり、そのCGをヴィヴの会社が請負った。「X」の人気は今も高くCG化に反対するファンもいるなか、ヴィヴは「X」をCGで動かすよう命じられる。
社会派やコメディなどが主流で、特殊メイクや特殊造形の怪物や宇宙人が出てくるホラーやSFの地位が低かった時代から特殊造形の世界で働き、犬の怪物を作る最終的な目的もあるマチルダは、女性というだけで差別的な扱いを受けたり、ライバルの仕事に嫉妬したり、CGの発達を恐れ過剰に反発したりするが、ひたすら仕事に打ち込む純粋さがあった。それに対しヴィヴは、CGアニメーターより、無から有を作り出すモデラーの方が上ではないか、賞にノミネートされるも受賞を逃した自分には価値がないのでは、「X」をCG化するのが正しいのかなど悩みが尽きない。
映画の特殊効果の世界は馴染みがないと考えるかもしれないが、どのような仕事をしていても、マチルダとヴィヴが直面する問題とは無縁ではないはずなので、本書のテーマには普遍性がある。映画の最後に流れるスタッフロールは、その映画にかかわった証だが、かつては全スタッフが網羅されている訳ではなかった。そのスタッフロールを通して問い掛けられる働く意義は、心に重く響いてくる。
【いざ、受賞作品を予想!】
上記を踏まえ、第167回直木賞を予想したい。
最後まで、本命は『絞め殺しの樹』か『爆弾』で、穴は『夜に星を放つ』と『スタッフロール』で迷ったが、本命『絞め殺しの樹』、対抗『爆弾』、穴は『スタッフロール』とする。
今回は、『夜に星を放つ』を除くと、タイプは違うが、量的な意味でも、読んでいる間は閉塞感に襲われるような意味でも、テーマ的にも“重い”作品が並び、『絞め殺しの樹』の小山田俊之、『爆弾』のスズキタゴサク、『女人入眼』の北条政子など強烈なキャラクターも揃っている。そのため『夜に星を放つ』が、埋没するか、反対に際立つかの判断が難しかった。
『女人入眼』は、朝廷と幕府の違い、京と坂東の文化の違いなど戦国、江戸、幕末とは異なるルールで動いていた鎌倉時代だけに背景説明を丁寧にした結果、物語のドライブ感を削いでいたし、歴史観も永井路子の『炎環』『北条政子』などを読んでいるとそれほど目新しくはないので、可能性は低いと判断した。
『戦場のコックたち』の選評に林真理子が「どうしてアメリカ軍の兵士の物語を書かなければならないのか」「現代の日本人がいくら勉強してそれを書いたとしても、根底にあるものはやはり借りもの」(「オール讀物」2016年3月号)と書き、逢坂冬馬『同志少女よ、敵を撃て』も似た批判を受けているので、『スタッフロール』も、なぜ日本人がアメリカ映画の世界を書かなければならないのかと断じられる危険がある(『戦場のコックたち』の批判を踏まえた訳ではないのだろうが、なぜ日本が舞台にできなかったのかには一応の言及はある)。創作者の苦悩、賞レースで敗れた経験などは生々しく、深緑の体験が反映されているかもしれないが、クリエイターを主人公にした小説が直木賞の選考ではあまり評価されていないのも気になるところ。
最もエンターテインメント性が高いのは間違いなく『爆弾』で、取調べ場面での頭脳戦も、ラストの謎解きもクオリティが高いが、徹底した伏線回収にともなう人工性と、スズキの人物像の転換は吉とでるか、凶とでるか微妙だ。ショッピングモールでの銃乱射事件に巻き込まれ生き残った被害者が、会合を持って真相を推理する『スワン』は、角田光代が選評で会合の「必然性あるいは説得力が薄」い(「オール讀物」2020年3・4月合併号)としたが、『爆弾』の取調べは少なくとも必然性はある。また『おれたちの歌をうたえ』は、林真理子の選考経過によると「作者の年齢で、革命とか赤軍派ということが今ひとつ分かっていないのは残念」(「東京新聞」夕刊、2021年7月30日)とされたが、『爆弾』でスズキが投げ掛ける問題は、ネットを中心に取り上げられ広く浸透している呉たちの世代のものなので違和感はなく、弱点が克服されていたのは間違いない。
『絞め殺しの樹』は、台湾のある一家を軸に歴史を描いて第153回直木賞を受賞した東山彰良『
選考委員は前回と同じ浅田次郎、伊集院静、角田光代、北方謙三、桐野夏生、高村薫、林真理子、三浦しをん、宮部みゆきの9名、選考会は2022年7月20日に築地の料亭・新喜楽で開催される。
【筆者・末國善己 プロフィール】
●すえくによしみ・1968年広島県生まれ。歴史時代小説とミステリーを中心に活動している文芸評論家。著書に『時代小説で読む日本史』『夜の日本史』『時代小説マストリード100』、編著に『山本周五郎探偵小説全集』『岡本綺堂探偵小説全集』『龍馬の生きざま』『花嫁首 眠狂四郎ミステリ傑作選』『いのち』『商売繁盛』『菖蒲狂い 若さま侍捕物手帖ミステリ傑作選』などがある。
初出:P+D MAGAZINE(2022/07/15)