【著者インタビュー】高野秀行『語学の天才まで1億光年』/語学に対しての並み外れた深い想い、想像を超える楽しさを綴ったエッセイ集
これまでに25以上の言語を学んできたノンフィクション作家が明かす〝連戦連敗”の体験的語学学習法とは──
【SEVEN’S LIBRARY SPECIAL】
「もはや記憶力はほとんどゼロ。それでも現地に行けば言葉が出てくる!」
『語学の天才まで1億光年』
集英社インターナショナル 1870円
≪私ほど語学において連戦連敗をくり返し、苦しんでいる人間はそうそういないはずだ。/でも、というか、だからこそ、私は語学に対して並み外れた深い想いを抱いている。言いたいことも山ほどある!!≫(「はじめに」より)。ノンフィクション作家として数々の辺境に飛び込み取材をしては作品に著してきた著者が、取材の前に必ず行ってきたのがその地域の言語を学ぶこと。悪戦苦闘ぶりと探究心、想像を超える楽しさを綴った「誰も書かなかった」エッセイ集。
高野秀行
(たかの・ひでゆき)1966年東京都生まれ。早稲田大学第一文学部仏文科卒業。早稲田大学探検部に所属し、在籍時に執筆した『幻獸ムベンベを追え』でデビュー。ポリシーは「誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをし、誰も書かない本を書く」。『ワセダ三畳青春記』で酒飲み書店員大賞を、『謎の独立国家ソマリランド』で講談社ノンフィクション賞を受賞。ほかに『幻のアフリカ納豆を追え!』『恋するソマリア』『またやぶけの夕焼け』『未来国家ブータン』『イスラム飲酒紀行』『メモリークエスト』など著書多数。共著に『世界の辺境とハードボイルド室町時代』などがある。
「ずっと先延ばし」にしていたのがコロナ禍で一変
英語、フランス語、リンガラ語、ボミタバ語他コンゴの民族語、タイ語、ビルマ語、中国語、ワ語‥‥。アジア、アフリカ、南米の辺境地帯を探検してきたノンフィクション作家の高野秀行さんが、これまでに学んだ外国語は、じつに25以上にも及ぶ。
言語を学んだ経験について書いてほしい、という依頼はずいぶん前からあったが、なかなか時間が取れなかったそうだ。
「書くなら、振り返る時間がいるなと思っていました。自分にとって言語は、すごく大事なものなんです。どこかへ行って、何かを知って、帰ってきてそのことについて書くというサイクルができていて、まとまった時間が取れず、ずっと先延ばしにしてきたんですけど、コロナ禍で、海外に行けなくなって。取材も中断してしまって、続きも書けない。することなくなっちゃったなあ、と思っていたときに、『前に言ってた語学の話を書きませんか』と言われたんですね」
海外取材で現地コーディネーターや通訳を頼む人も多いなかで、高野さんは、あらかじめ言葉を学習してから行くことにしている。ネイティブスピーカーについて学び、現地の言葉で取材するやり方をずっと続けてきた。
辞書も教科書もないときは、テキストを自作した。複数の言語を学ぶなかで、自分なりの分析や、他の言語との類似を発見することも多かった。語学は、「探検の道具」であると同時に、「探検の対象」にもなっていった。
「ぼくは言語おたく、はやりの言葉で言うと『言語推し』ですね。ほとんど誰とも気持ちを分かち合えない『推し』でして、いきなり比較言語学の話をされてもだいたいの人は困るじゃないですか。うっかり家で妻に話して、しーんとなって、『あ、しまった』と思うこともよくありますから。
今回も、こんな本を書いて読者に受け入れられるのかという不安が強くて(笑い)。担当編集者はもともと言語に興味のある人だったので、とくに興味のない宣伝担当者やそれ以外の部署の人にも原稿を読んでもらって、わかりにくいところを指摘してもらいました」
これまでの本は、執筆前に構成をきっちり考えてから書いていったが、今回はどう展開させるかわからないまま執筆を始め、結果として「青春記」の形になったそうだ。
「今まで習った言語をぜんぶ書いてみよう、と意気込んで書き始めたんですけど、途中で、これは到底、現在には行きつかないな、と気づきました。この言語も学びました、この言語も‥‥って羅列していくと、読者も飽きてしまいますよね。書けるのは『ワ州』ぐらいまでだな、とわかって、結果的にうまくまとまった気がします」
ワ州というのは、ミャンマーのシャン州にある地域で、アへンの原料となるケシの栽培が非合法で行われていた。高野さんは、この地域に入ることに成功、実際にケシ栽培に従事し、のちに『アヘン王国潜入記』を書くことになる、思い出深い土地だ。
笑いを入れると文章が回り出す
デビュー作の『幻獣ムベンベを追え』から現在にいたるまで、高野さんは「誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをし、誰も書かない本を書く」ことを目指してきた。
『語学の天才まで1億光年』では、自分のやりたいこと(探検=未知の探索)はわかっているのに、どうすれば形にできるのかがわからない、プロの書き手になる前の試行錯誤やもどかしさも描かれる。
「わからないものを知りたいというのは若いときから全然ブレてないんですけど、みごとに何のビジョンもなかったですね。まっすぐ進んで壁にぶつかったら方向変えて、ってお掃除ロボットみたいなことをずっとくり返していました。手探りしながらいろんな場所に行き、いろんな言語を学ぶことになったということなんですよね」
系統の違う言語を学ぶなかで獲得した外国語の学習法や、体験を通して獲得した比較言語学の知見なども記され、びっくりするぐらい本格的な内容の本だが、これまで同様、読んで面白いエンターテインメント性も確保されている。
「20代後半の迷走している時期には、本格ノンフィクションとか、スタイリッシュな書き方を目指したこともあるんです。だけど、煮詰まってうまく書けないんですよ。最初の『ムベンベ』を友だちに話すように書いたらうまく書けたので、結局いつもそれに戻ってきてしまいます。笑いが入ると文章が回り出す。どういう仕組みなのか、自分でもよくわからないんですけど」
本の中には、抜群の記憶力で、「語学の天才」と呼ばれる人が出てくる。自分はそうではないと高野さんはくり返すけど、25もの言語を学ぶことができたという時点で、一種の天才ではないかと思ってしまう。
いまも外国語学習は続けているそうだ。
「40歳以降は、何も習っていない時期はないですね。去年はビルマ語をもう一度、習いました。軍事クーデターが起きて、取材や反対派の支援活動をしていたんですけど、前に学んだことは全部忘れていたので、デモに行ってもシュプレヒコールで何を言ってるかわからなくて、落ち着かないんです。1年ぐらい先生について学んでいたら少し気持ちが安定しました」
そんな高野さんでも、年齢を重ねて、外国語学習に難しさを感じることはあるそうだ。
「だって記憶力とかほとんどゼロですよ。担当編集者の名前すら出てこないぐらいですから。昔は単語帳をつくって覚えたりしましたが、最近は、覚えられないものは無理して覚えません。
ネイティブスピーカーの発音の後に自分も発音してみる、リピート学習だけしっかりやっておくと、現地に行ったとき、不思議と言葉が出てきたりします」
SEVEN’S Question SP
Q1 最近読んで面白かった本は?
マリオ・バルガス=リョサの『ケルト人の夢』(野谷文昭訳)。ペルーのノーベル賞作家の分厚い本なんですけど、びっくりしたことに、今度のぼくの本にすごくシンクロしてるんです。実在の人物を主人公にしていて、彼が行くのがコンゴ、アマゾン川支流、それから祖国アイルランドの独立闘争に参加する。こんなことあるんだなって。
Q2 新刊が出たら必ず読む作家は?
中島京子さんの本を楽しみにしています。
Q3 座右の一冊といえる本はありますか?
高島俊男『座右の名文』。まさに「座右の書」で、自分の好きな10人の文章家について、どういう風に面白いのかが書かれていて、何度も読み返しています。
Q4 最近見て面白かったドラマや映画、映像作品は?
アフガニスタンで亡くなった中村哲先生の生き方をたどる映画『荒野に希望の灯をともす』。ポレポレ東中野(東京)はよくトークゲストに呼ばれるんですが、久しぶりに観客として見に行きました。
Q5 最近気になるニュースは?
円安。海外取材に影響するから。
Q6 最近ハマっていることは?
この本の出版を機に、選書してほしいという依頼があるので、言語学の本を読みふけっています。
Q7 何か運動をしていますか?
水泳。週に3回、2000mぐらい泳いでいます。
●取材・構成/佐久間文子
●撮影/三浦憲治
(女性セブン 2022年10.20号より)
初出:P+D MAGAZINE(2022/11/12)