池波正太郎生誕100周年記念 村上春樹『1Q84』の殺し屋・青豆の生まれるまで

池波正太郎生誕100周年にあたる今年。それを記念した展示が日比谷図書文化館で開かれています。この記事の筆者による、池波正太郎作品と、村上春樹の『1Q84』に登場する殺し屋・青豆がリンクするという「殺し屋の変貌妄想」とは……?

「殺し屋」はこうして変貌を遂げていったのではないか?

今年は、池波正太郎さんの生誕100周年にあたる。それを記念して、生誕100年展が、今年1月4日から2月19日まで、日比谷公園の中の日比谷図書文化館で開かれている。
 なにより嬉しいのは、新作の映画「仕掛け人・藤枝梅安1」が2月3日に、「仕掛け人・藤枝梅安2」が4月7日に公開されることだ。豊川悦司が、静かさの中に凄まじい殺気を感じさせる新しい梅安を演じているので、ぜひご覧になることをお勧めしたい。
 私は「藤枝梅安」を担当した時期があって、「鬼平」や「剣客」に比べ、梅安が書かれるのはそう多くはなかったのが不満だった。
「『梅安』をもっと書いてくださいよ」と哀願したことがある。
「君ね、金をもらって人を殺す話だ。そう簡単には書けないんだよ」
 絞り出すような池波さんの答えに、私はそれ以上何も言えなかった。

 金をもらって殺しを引き受けるのが藤枝梅安だが、村上春樹さんの『1Q84』に登場する青豆も同じ殺し屋なのである。

 で、殺し屋の話である。
 殺し屋と言えば、私が密かに「殺し屋の変貌妄想」と呼んでいる妄想がある。
 一九六五年十一月号の「オール讀物」に、藤原審爾さんが『前夜』という、殺し屋を材にとった短篇小説を発表したというのが、この妄想の始まりだ。
 藤原さんは、いくつもの大病を乗り越えながら、井伏鱒二さんに可愛がられ、『秋津温泉』などの代表作を持ち、純文学からサスペンス、ハードボイルド、恋愛もの、警察小説など幅広い小説を書いた作家である。「小説の神様」と呼ばれるほど、小説がとてもうまかった。
 小説『前夜』の主人公・塩沢は、今では、町のしがない電気屋のあるじに身をやつしてはいるが、裏にまわると、軍人上りの凄腕の殺し屋である。使う武器はハジキ(拳銃)だ。
 大金を積まれて、抗争するヤクザの組長を闇から闇に葬った塩沢の腕に惚れた若いヤクザの前田が弟子入りを志願するほど鮮やかな手口だったようだ。弟子入りを断られた前田は、今度は組長を殺されてガタが来ている組が手掛けるヤクをそっくりいただこうという話を持ちかけ、塩沢はその話にノルことにする。
 前田は塩沢の若い女房の圭子と関係を結び、ヤクを手に入れたら、塩沢を殺して、全てを自分たちのものにしようと持ちかける。圭子も若い前田の行動力に惹かれはじめていた。
 塩沢は、隠れ家選びからはじめ、プロらしい緻密な作戦を巡らせて、この計画を成功させる。手に入れた大量のヤクを間に、前田が向けるハジキの前で、浩然と構える塩沢は、この稼業をやっているうちに、前田のそんな魂胆を山ほど見てきていて、すでにハジキから弾を抜いていたのだ。それとも知らず空砲を撃ちながら、腰を抜かす前田に塩沢は分前をきちんと渡してやる。それを見ていた圭子は、塩沢を見直して、彼について行こうとする。
 藤原さんは、「映画に愛された作家」という異名も取るくらい、その作品が映画化された作家でもあるが、この『前夜』という作品も、二年後の、一九六七年に映画化されている。
 短篇小説『前夜』は、映画化に当たって、「ある殺し屋」という題に変えられた。監督は森一生、市川雷蔵が主演し、増村保造と石松愛弘が脚本を書いている。
 市川雷蔵が扮する殺し屋は、原作とは違って、小料理屋の板前となっていて、単なる軍人上りではなく、生き残った特攻崩れと変わり、命を散らした同期への負い目を心に抱いている。
 脚本の手柄と言えるのは、この殺し屋が板前になっていることで、店が終わったあと、料理に使う包丁を研ぐかたわら、殺しに使う畳針を研ぐのである。深夜の、誰もいない部屋で針を静かに研ぐ音だけが響くシーンは、観る者の背筋を寒くするほどだ。
 映画「ある殺し屋」では、市川雷蔵扮する殺し屋が、混雑するパーティ会場に紛れ込み、研ぎ澄まされた畳針で、標的である代議士の妾の帯を切り裂き、その騒ぎに乗じて標的に背後から忍び寄り、盆の窪に針を打ち込む。標的は一瞬のうちに絶命し、殺し屋も素早く姿をくらましている。
 これが第一の「殺し屋の変貌」である。
 そうして、この市川雷蔵扮する殺し屋像は、池波正太郎さんが「仕掛け人・藤枝梅安」を創り出すときにインスピレーションを与えたというのが、第二の私の妄想である。
 池波さんは大の映画ファンだった。あの忙しい時期に、試写会にはびっくりするくらい数多く足を運んでいた。映画好きで有名な池波さんは、オシャレな着こなしをフランス映画から学んでいたし、「鬼平」を書くときは、ゲーリー・クーパーの顔写真を傍らに置いていたくらいだ。
 当然、「ある殺し屋」は観ているはずだ。
 池波さんが創作した殺し屋、藤枝梅安は、板前ではなく鍼医師である。治療では鍼を使って人を助けながら、裏にまわると、針を使って、金で請け負った殺しをするのである。
「人間は、よいことをしながら悪いことをし、悪いことをしながらよいことをしている」  
 と梅安は呟く。
 藤枝梅安がシリーズの主人公として登場するのが、一九七二年三月号の「小説現代」に掲載された『おんなごろし』からである。藤枝梅安の殺し屋としての殺しは、こう書かれている。

深川八幡の境内で、すれちがいざま、万七の先妻・おしずの盆の窪(くびのうしろの窪んだ箇所)へ、治療につかう鍼よりも少し太めの針を打ちこんだのは、ほかならぬ藤枝梅安なのである。
 その手ぎわは、絶妙であった。
 長さ三寸余の針の根元まで、ゆいあげた女の髪の髱の下から打ちこんだのだ。ほとんど血も出なかったろう。
 深ぶかと突き通った針は、おしずの延髄に達した。延髄は中枢神経の一部で脳髄の下端にあり、脊髄につづいている急所中の急所である。
『あ……』
 低く声を発し、ふらふらと歩いて、おしずがくずれるように人ごみの中へ倒れ、つきそっていた小女が叫んだときには、早くも梅安は人ごみにまぎれて姿を消してしまっていた。

 そして、藤枝梅安が殺し用の針を研ぐ様子はこう書かれている。

この夜。
 梅安は、治療用の鍼の手入れをした。
 鍼を入れる鍼管を掃除したり、何十本もの金属管の細い細い鍼を焼酎で消毒したり、三稜針とよばれる血や膿をとる太い針を研いだりしたのち、長さ三寸余の、これは殺しに使う別の針を三本ほど、小さな砥石で丁寧に研ぎあげた。

 池波さんが、治療のためには鍼、殺しのためには針と使い分けている気の配りようには恐れ入るしかない。
 これが第二の「殺し屋変貌」である。
 余談になるが、『おんなごろし』を書いたとき、池波さんはシリーズにするかどうか決めていなかったようである。3月号の目次を見ると、「仕掛人・梅安登場!」と書かれてあって、いかにもシリーズの第1回目という感じになっていた。
「大村君にこう書かれちゃ、シリーズにするしかないなあ」
 と、池波さんはため息を吐きながらも、嬉しそうな表情を浮かべて言ったものである。
 巧みに、梅安をシリーズ化にもっていった大村彦次郎さんは、当時、小説現代の編集長で、その後、文芸評論家として名をなした人である。ちなみに梅安の仕掛けの盟友である彦次郎は、大村さんの名前から来ている。 
 そして、二〇〇九年に村上春樹さんが発表した『1Q84』に書かれた女性の殺し屋、青豆は、藤枝梅安からインスピレーションを受けたと妄想が広がるのである。
 村上春樹さんは、小説を書くときはとても周到な準備をする。
 たとえば、二〇〇四年に発表された長篇小説『アフター・ダーク』は、新宿という限られた街を主人公が走り回り、小説の最後に、眠っている姉のベッドに潜り込むところで終わっているが、それは、ジェイムス・ジョイスの『ユリシーズ』で、主人公がダブリンの街を動き回り、最後に主人公が妻の眠るベッドに潜り込むところで終わるのを思い起こさせる。
 村上春樹さんの、『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』は、『サントリークウォータリー』一九九七年の九月号と十二月号に掲載された紀行文であるが、その紀行はダブリンが舞台のひとつとなっている。ダブリンを舞台にした『ユリシーズ』にインスパイアされた小説『アフター・ダーク』を書くための用意はすでに済ませてあるのだ。
『アフター・ダーク』が出版された直後、私はその思いつきを村上さんにレポートとして提出したことがある。村上さんから具体的な返事はなかったが、よくぞ見抜いたと村上さんが思われたと信じている。
 梅安は針医師だから、身体の急所を熟知し、殺しの武器には、研ぎ澄ました針を使って、標的の盆の窪や心の臓を狙う。
『1Q84』の殺し屋である青豆はジムのインストラクターで、マーシャル・アーツの指導者だ。人間の筋肉のことや急所のことについて熟知している。そして、殺しの武器には、「全長十センチほど、柄の部分は小さく引き締まった木製になっている」アイスピックではないが、青豆自身が作ったアイスピックに似たような針を使う。
 藤枝梅安が「この世の中にいてはならないやつを殺す」ように依頼を受けるように、青豆はドメスティック・ヴァイオレンスに苦しむ妻たちを夫から救うために殺しを引き受ける。法律では裁くことのできない暴力的な夫を標的にするのだ。
 その最初の殺しの場面は、『1Q84』のBook1に、数ページにわたって、次のように詳しく書かれている。

 いったん位置を定め、心を決めると、彼女は右手のたなごころを空中に浮かべ、息を止め、わずかに間を置いてから、それをすとんと下に落とした。木製の柄の部分に向けて、それほど強くではない。力を入れすぎると針が皮膚の下で折れてしまう。針先をあとに残していくわけにはいかない。軽く、慈しむように、適正な角度で、適正な強さで、たなごころを下に落とす。重力に逆らわずに、すとんと。そして細い針の先がその部分に、あくまで自然に吸い込まれるようにする。(以下略)

 こうして、急所である盆の窪に針を刺された標的である深山という男は瞬時に死に至る。

いったんこわばった深山の身体から、時間をかけて徐々に力が抜けていった。バスケットボールから空気が抜けるときのように。彼女は男の首筋の一点を人さし指で押さえたまま、彼の身体を机にうつぶせにした。その顔は書類を枕にして、横向きの机に伏せられた。目は驚いたような表情を浮かべたまま開いている。(以下略)

 『1Q84』の殺し屋が、これまでの殺し屋にない特徴は、音楽である。殺しに向かうタクシーの中で、あまり一般的でないヤナーチェックという作曲家の『シンフォニエッタ』が流れていて、さらに、針を刺したあと、標的の傷口にガーゼをきっちり五分はあてていなくてはならないのだが、その永遠に続くように感じられる五分間に青豆の頭の中で鳴り響くのは、やはり、同じ『シンフォニエッタ』の冒頭のファンファーレなのである。
 これが第三の「殺し屋の変貌妄想」だ。
 一九六五年に、藤原審爾さんによって書かれた、裏の世界でハジキ(拳銃)を武器にする殺し屋が、次に板前で畳針を武器に、市川雷蔵が演じる殺し屋に変貌して、そして表では鍼医師、裏では針を使って請負いの殺し屋「藤枝梅安」に、さらに最後には、ジムのインストラクターでマーシャル・アーツの指導者が、自家製のアイスピックみたいな針で殺しを請け負うおんな殺し屋「青豆」にまで変貌していく。
 これは、ぼくの勝手な妄想である。ではあるが、本を読む読者にはそんな想像の勝手が許されているのが、読書の世界の奥深いところだと私は思っている。
 これも余談になるが、『1Q84』の青豆は、いまで言う「宗教二世」であり、小説は、カルトがもたらすおぞましい世界を描き、いまふたたび明らかにされつつあるカルトと政治との癒着の問題と完全にシンクロしている。村上春樹さんの小説は、いつも予言的なのであるが、それは藤原審爾や池波正太郎さんの小説にも言えることである。

【執筆者プロフィール】

宮田 昭宏
Akihiro Miyata

国際基督教大学卒業後、1968年、講談社入社。小説誌「小説現代」編集部に配属。池波正太郎、山口瞳、野坂昭如、長部日出雄、田中小実昌などを担当。1974年に純文学誌「群像」編集部に異動。林京子『ギアマン・ビードロ』、吉行淳之介『夕暮れまで』、開高健『黄昏の力』、三浦哲郎『おろおろ草子』などに関わる。1979年「群像」新人賞に応募した村上春樹に出会う。1983年、文庫PR誌「イン☆ポケット」を創刊。安部譲二の処女小説「塀の中のプレイボール」を掲載。1985年、編集長として「小説現代」に戻り、常盤新平『遠いアメリカ』、阿部牧郎『それぞれの終楽章』の直木賞受賞に関わる。2016年から配信開始した『山口瞳 電子全集』では監修者を務める。

初出:P+D MAGAZINE(2023/01/20)

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