【井伏鱒二、太宰治、小林多喜二…】東京、中央線沿線に住んだ作家たち。

(続き)
実際の区長選においては、外村繁、井伏鱒二、上林暁といった阿佐ヶ谷文士たちによる応援演説が行われ、当選した新居格。体調不良からその1年後に辞任していますが、遺稿となった著書『新居格杉並区長日記』には

天下国家をいうまえに、わたしはまずわたしの住む町を民主的で文化的な、楽しく住み心地のよい場所につくり上げたい。日本の民主化はまず小地域から、がわたしの平生からの主張なのである。美しくりっぱな言葉をならべて、いかに憲法だけは民主的に形作っても、日本人の一人一人の頭の中が、相変わらず空っぽであり、依存主義であり、封建的であるのでは、なんにもならない。わたしは、日本中のあちこちの村に大臣以上に立派な村長ができたり、代議士以上に信用のできる村会議員がぞくぞく出てくるようでなくては、本当の民主主義国家の姿ではない。と思っている。

『遺稿 新居格杉並区長日記』 17頁

杉並区を新しい文化地区にしたいこと、それがわたしの夢である。荻窪駅の北側にある大通り、あのあたりがわが杉並区のセンターともなろう。よき図書館、上品なダンス・ホール、高級な上演目録をもつ劇場、音楽堂、文化会館、画廊などがあってほしい。

『遺稿 新居格杉並区長日記』109〜110頁

とあり、とくにその文化政策において明確なビジョンを持って区長の仕事に取り組んでいたことが分かります。

高円寺恋愛白書

また、高円寺には詩人、中原中也も住んでいました。中也も阿佐ヶ谷会が集まる「ピノチオ」に通っており、代金をツケにしてソバを食べていたといわれています。大正14年、上京まもない中也は、馬橋に住んでいた小林秀雄との出会いをきっかけに高円寺へと引っ越しますが、中也の同棲相手だった長谷川泰子はのちに中也を捨て、小林秀雄の元に去ってしまいます。

他にも詩人・金子光晴が妻である森三千代と赤貧生活を送ったのも高円寺でした。しかし、恋多き女であった森三千代は、金子の不在中にアナーキストの青年と関係を持ち、この恋愛事件から逃れるように、金子は三千代を連れてアジア・ヨーロッパへと旅立ち、あてのない放浪生活を開始します。

文士たちの集まりの中にも、恋愛の絡んだトラブルが数多くあったのです。

 

太宰と中央線沿線

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中央線沿線に住んだ作家といえば、太宰治を忘れてはなりません。彼が「太宰治」のペンネームを使い始めたのも、中央線沿線に引っ越してからのこと。中央線沿線は、作家「太宰治」が誕生した地とも言えます。

太宰治は井伏鱒二が住んでいたことに影響され引っ越したこの場所で、様々な作家と知り合います。中原中也とは荻窪駅近くのおでん屋で取っ組み合いの喧嘩に発展し、当時芥川賞選考委員だった師匠・佐藤春夫には芥川賞の受賞を懇願する手紙を送っています。

佐藤春夫との間に生まれた確執にも触れている「東京八景」にはこうあります。

 

毎日、武蔵野の夕陽は、大きい。ぶるぶる煮えたぎって落ちている。私は、夕陽の見える三畳間にあぐらをかいて、侘しい食事をしながら妻に言った。「僕は、こんな男だから出世も出来ないし、お金持にもならない。けれども、この家一つは何とかして守って行くつもりだ」その時に、ふと東京八景を思いついたのである。過去が走馬燈のように胸の中で廻った。

ここは東京市外ではあるが、すぐ近くの井の頭公園も、東京名所の一つに数えられているのだから、此の武蔵野の夕陽を東京八景の中に加入させたって、差支え無い。

『太宰治全集』第4巻 94〜95頁

 

東京市外の風景を印象的に描いたこの場面で太宰は、東京の華やかな都市文化の周縁に位置する「武蔵野」という場所と自身を重ね合わせているようです。関東平野に落ちる夕陽は、作家としての栄光を追い求める太宰の理想と、彼が直面している小市民的な現実との軋轢が生む苦しみをやさしく慰撫し、彼の「胸の中のアルバム」の中から様々な光景を呼び起こします。その結果、「芸術は、私である」と結論する太宰の姿からは、中央線という東京を代表する路線沿いに広がる「日常の美」が感じられるのではないでしょうか。

 

中央線沿線に作家たちが惹かれる理由

200名をも超える作家、文学者が住んだとも言われるこの中央線沿線について、後に開設された杉並区立阿佐谷図書館は「阿佐ヶ谷文士村」と名付けました。何故こうも多くの作家や文学者はこの土地に住み、活動をしていたのでしょうか。それは、出版社のある都心にほど近く、近所に友人が多くいたことからお互いに訪問しやすく、安く気軽に住むことができる点が、当時の貧しい作家志望の青年たちには大きな魅力だったのでしょう。

井伏鱒二はこうも言っています。

 

関東大震災がきつかけで、東京も広くなつてゐると思ふやうになつた。ことに中央線は、高円寺、阿佐ヶ谷、西荻窪など、御大典記念として小刻みに駅が出来たので、市民の散らばつて行く速度が出た。

新開地での暮しは気楽なやうに思はれた。荻窪方面など昼間にドテラを着て歩いてゐても、近所の者が後指を差すやうなことはないと言ふ者がゐた。貧乏な文学青年を標榜する者には好都合のところである。

『井伏鱒二全集』 第27巻 9p

 

貧乏な文学青年がドテラを着て歩き、同じく貧乏な文学青年と交流を深めて創作のヒントを得て、有名作家に成長していく姿も多かったに違いありません。

現在も劇団員やお笑い芸人、バンドマンなど、様々なクリエイター志望の人が住むという中央線沿線。これからも“文化が生まれる街”として更に栄えていくことでしょう。

初出:P+D MAGAZINE(2016/03/04)

『おひとりさまの最期』
『死んでいない者』