ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第19回
原稿の〆切は守るのだが、
1回の催促ぐらいでは
返信しないものが一つだけある。
1回の催促ぐらいでは
返信しないものが一つだけある。
もしくは質問を毎回「お勧めの映画は」に統一してほしい。
これなら「八甲田山」「デビルマン」「ディープブルー」のローテーションで乗り切れる。
私にとって、作者コメントというのは、気軽に答えられるものではないのだ。毎回虚無から有を作り出す錬金術をしなければいけない。
つまり「鋼の錬金術師」で言えば、等価交換として、コメントを出すたびに己の体や賢者の石を失っているのである。
私にとって作者コメントはある意味、原稿を書くより消耗する行為なのだ。
どれだけ催促されても、今度は何を失うのか、と思ったらなかなか書けないのである。
だが、全ての雑誌が作者コメントを求めてくるというわけではない。
存在しないところや、作者が「そういうのはいい」と言えば、編集が3秒で考えた適当な煽りで柱を埋める場合も多い。
つまり作者コメントというのは、ないならないで全然平気なものなのだ。誰も由来を知らないが毎年やっている謎の風習に近い。
作者コメントには、かなまら祭と同じ歴史的背景があると言うなら喜んで答えるが、そんなことはないだろう。
確かに昔は、読者が作者のパーソナリティーを知る場と言ったら、そこしかなかったかもしれない。
だが、今はSNSで作者の近況や性癖が、知りたくないことまで秒単位で流れてくる世の中である。そろそろ役目を終えて良いのではないか。
ただ今回、作者コメントへの憎しみだけで、原稿を1本書くことができた。
初めて作者コメントが私に益をもたらした瞬間だが、ここに来るまで10年かかっている。
ここから先の10年で作者コメントが滅んでいることを切に願う。
(つづく)