辻堂ゆめ「辻堂ホームズ子育て事件簿」第20回「29歳母の試練」

辻堂ホームズ子育て事件簿
生後10ヶ月の息子が
ウイルス感染で入院!?
次々と思わぬ試練が。

 診断はRSウイルス感染による肺炎。入院時の状態からさらに重症化するリスクは低く、しばらく酸素投与を続けて数値が改善すれば1週間ほどで退院できる見込みとあらかじめ説明されていた。それなのに大げさかもしれないけれど、やっぱり息子と突然会えなくなると、親としてはいろいろ考えてしまう。後追いの時期で私が離れると泣いてしまうのに、娘のトイレトレーニングに一生懸命になるあまり、何度もリビングに置いていって泣かせてしまって悪かったなぁ、とか。このあいだ子どものいる友人同士で屋内キッズパークに遊びにいったとき、せっかく1歳半までの赤ちゃんが遊べる専用スペースがあったのに、わんぱくな2歳児たちに始終付き合わせてしまって、時間オーバーになり連れていってあげられなかったなぁ、とか。

 息子と引き離されて初めて、何でもない日常のありがたみが身に染みてくる。

 唯一救いだったのは、荷物を届ける際にスマートフォンを看護師さんに託すと、息子の写真を何枚か撮ってきてくれることだった。それだけを楽しみに、毎日小児科病棟の入り口に通った。酸素チューブをつけている姿は痛々しかったし、最初の数日は顔色も悪くて心配したけれど、だんだんと元気が戻っていく様子が分かった。コロナは憎いけれど、せめて今がIT機器の普及した令和の世でよかった、と胸を撫で下ろした。

 また幸いにして、我が家には元気120%の2歳児がいた。弟が突然家から消えたことをどう捉えているのか、最初の数日は「●●くん、ねんね」と言い、その後は「●●くん、いっちゃったー」と何度も呟いていた娘に、息子が退院するまでの間、これでもかと愛を注ぎまくった。母娘2人でわざわざファミレスで外食をしてみたり、平日に朝から車で大きな公園に連れていって、膝まで浸かれる遊び池やらアスレチックやら超ロングローラー滑り台やら巨大トランポリンやら、2時間以上も思い切り一緒に遊んでみたり──突然の〝いいママ〟出現である。普段私はインドア派なのだけれど、10月にもなって、肌が痛くなるほど日焼けした。娘はいたく喜んでいた。しかし自分の行動の原動力が息子に何もしてやれない罪悪感だと思うと、これでいいのだろうかと心中は複雑だった。

 そして入院8日目となった昨日、いよいよ担当医から退院の許可が出た。

 退院直前は不安になって、ネットで何度も検索した。『乳児』『親の顔』『記憶』『1週間』──さすがに大丈夫だろうとは思いつつも、忘れられていたらどうしようと怖かった。「記憶の保持期間は、生後3か月で1週間、生後4か月で2週間なんだって!」「なら大丈夫かな」などと自分たちの胸に言い聞かせながら、娘の手を引く夫とともに、1週間通い続けた小児科病棟の入り口へ向かった。

 ドキドキしながら待っていると、看護師さんに抱かれた息子が自動ドアの向こうから姿を現した。

 目が合った瞬間。

 私たちの緊張を撥ね退けるかのように、息子は口をぱっかーんと縦に開き、満面の笑みを浮かべて、喜びの奇声を上げながら、両足を上下にバタバタさせてくれた。

 娘も「●●くん! ●●くん!」とその場でぴょんぴょん跳びはねていた。帰宅する車の中ではチャイルドシートから手を伸ばして弟の手を握り、家ではぎゅっと抱きしめたり、隣に寄り添ったりと、2歳児ながらに姉らしく振る舞っていた。息子が入院している間、娘が夜寝る前に癇癪を起こして大泣きしてしまうことが多かったのだけれど、それも魔法のようにぴたりと収まった。弟と同じ時間に、同じ部屋で寝ることが、どうやら娘の精神安定剤になっていたらしい。2歳と0歳でも立派なきょうだいなんだなぁ、2人が支えあうことで親が楽をしていた部分もあったんだなぁと、妙に感心してしまった。

 病状が無事改善したから言えることなのだろうけれど、これは天から与えられた機会だったのかもしれない、と思う。子どもたちとの日々を見つめ直し、当たり前を当たり前と思わないようにするための、貴重な機会。

 この1週間の空白を取り戻すだけでなく、この1週間を乗り越えたことで、さらに密度の濃い日々を過ごしていきたいと、今は思っている。

(つづく)


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辻堂ゆめ(つじどう・ゆめ)

1992年神奈川県生まれ。東京大学卒。第13回「このミステリーがすごい!」大賞優秀賞を受賞し『いなくなった私へ』でデビュー。2021年『十の輪をくぐる』で第42回吉川英治文学新人賞候補、2022年『トリカゴ』で第24回大藪春彦賞を受賞した。他の著作に『コーイチは、高く飛んだ』『悪女の品格』『僕と彼女の左手』『卒業タイムリミット』『あの日の交換日記』など多数。最新刊は『二重らせんのスイッチ』。

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