辻堂ゆめ「辻堂ホームズ子育て事件簿」第42回「第3子誕生」
はじめての無痛分娩を終え、
子どもたちに対面させると?
さらに分娩時間も、陣痛開始から5時間半のスピード出産だった前回よりさらに短縮され、4時間20分。促進剤や麻酔に対する感度もよかったらしい。第2子出産時のエッセイに、『初産が時速60kmの乗用車に撥ねられたくらいだとすれば、今回は時速30kmの原チャリくらい』と書いたけれど、だとしたら第3子は無灯火の自転車とぶつかった程度だろうか。それもクロスバイクとか電動アシスト自転車とかではなくて、せいぜいママチャリだ。まあ今回のダメージの少なさは無痛分娩によるところが大きいのだろうけれど、子どもを産むたびに出産が楽になるのは、過去に苦しい思いをした自分が報われたような気がして、なんだか嬉しい。
でもやっぱり、過去2回、自然分娩を経験したことに後悔はない。
助産師さんたち曰く、無痛分娩を選択するのは初産の方が多いらしい。だからだろうか、「どうして3人目で初めて無痛にしたんですか?」と入院中に幾度か質問された。「初産は怖いもの見たさで。前回は経産婦だと痛みが軽くなるんじゃないかと期待して。だけど全然そんなことはなかったので、今回は麻酔の力を借ります!」と毎度返答して笑いを取っていたのだけれど、本音を言うと、数百万年の人類の歴史の中で無数の母親が経験してきた出産の痛みというものを、私も味わっておきたかったのである。一人の女性として、というわけではなく、あくまで、小説の執筆を生業とする者として。
これで、晴れて(?)3つのパターンの出産を取材できた。初産婦の自然分娩、経産婦の自然分娩、無痛分娩。帝王切開は未経験だけれど、麻酔用のカテーテルを背中に挿入するため、今回は生まれて初めて手術室にも入ったし、その後ストレッチャーで運ばれたりもした。小説の舞台が過去であれ現代であれ、この先きっと、出産シーンの描写に困ることはない。──と、こんなことを書くと、子どもの誕生という記念すべき出来事を仕事に結びつけるなと怒られそうだけれど(誰に? 大きくなってこのエッセイを読んだ子どもたちに?)、小説家というのは自身の体験を切り売りする職業でもあるので、どうか勘弁してほしい。
産後から産前へと、少々話が遡る。
出産予定日が近づいてきた頃、「俺は男だからよく分からないんだけど、もうすぐお腹の中から赤ちゃんがいなくなっちゃうと思うと寂しくなったりするもの?」と夫が尋ねてきた。「いやぁ、胎動は可愛いけど、お腹が重くて日常の動作が大変すぎるし、早く赤ちゃんの顔も見たいから、さっさと産んでしまいたいなぁ」と、そのときは答えた。
今になって、同じ頃にした2歳息子との会話が思い出される。「●●くんもここに入ってたんだよ」と臨月のお腹を撫でながら教えてあげると、「おなか、はいりたい」と可愛くねだられた。「えっ、もう2歳だから無理だよ~」とこちらが思わず噴き出すと、「4さいになったら、はいれる?」と期待に満ちた目で見上げてくる。そんな、ハサミやマーカーを一人で使えるようになるとか、チャイルドシートがジュニアシートになるとか、お寿司を食べられるようになるとか、そういう話じゃないんだから……。
と、笑ってしまいつつ、もうこの子が私のお腹に戻ることはないんだなぁと、やや感傷的な気持ちになったのは事実である。それは先日生まれたばかりの次女も一緒だ。つい半月前までは当たり前のように受け入れていた胎動の感覚が、なぜだろう、もうおぼろげにしか思い出せない。
子育てに限らず、人は簡単に、過去の出来事を忘れていく。エピソードとしては覚えていても、感触や匂い、温度、痛み、音、大きさ、色──そうした感覚はいつの間にか失われ、記憶から抜け落ちている。旅行先の海辺で風に吹かれているとき。展望台から息を呑むような景色を眺めているとき。〝今しか感じられないもの〟を感じている瞬間というのは、とても贅沢だ。
そんな幸せを、産後間もない私は、新生児の柔らかい髪や、口元から漂うミルクの香りや、抱き上げたときの確かな重みや、小さな赤ちゃんを見守る4歳や2歳の照れたような笑顔に、日々見出し続けているのである。
(つづく)
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「辻堂ホームズ子育て事件簿」アーカイヴ
1992年神奈川県生まれ。東京大学卒。第13回「このミステリーがすごい!」大賞優秀賞を受賞し『いなくなった私へ』でデビュー。2021年『十の輪をくぐる』で第42回吉川英治文学新人賞候補、2022年『トリカゴ』で第24回大藪春彦賞を受賞した。他の著作に『コーイチは、高く飛んだ』『悪女の品格』『僕と彼女の左手』『卒業タイムリミット』『あの日の交換日記』『二重らせんのスイッチ』など多数。最新刊は『二人目の私が夜歩く』。