辻堂ゆめ「辻堂ホームズ子育て事件簿」第4回「早期教育の強迫観念」
前回の末尾にちらりと書いたけれど、しばしば不安になるのだ。これほど私を好いてくれる娘に対し、私は母親としての義務を余すことなく果たせているのだろうか、と。もちろん離乳食もミルクも十分にあげているし、おむつ交換だって寝かしつけだって怠ったことはないけれど、そういうことではなくて……。
私には、娘を教育しなきゃ、という強迫観念がある。
それはおそらく、自分の生い立ちからくるものだ。私の母は専業主婦で、とても教育熱心だった。私が生まれて1か月経った頃からあいうえお表や専用のカードを使ってひらがなを教え始め、図書館で家族全員分の名義を使って大量の絵本を借りてきては、浴びるように読み聞かせをしたのだという。その結果、私は生後11か月でひらがな46文字すべてを認識するようになり(まだ喋れもしないのに、親が「『あ』はどれ?」などと尋ねると、正しい文字を指差していたのだとか)、2歳で音読、4歳で黙読を始めた。「家事以外の時間は、全部あなたに捧げたのよ」と、母は当時を振り返って懐かしそうに言う。
そんな母から、娘が生まれた直後に、幼い頃の私が使っていたのと同じあいうえお表とひらがなカードをプレゼントされた。「よし使ってみよう、覚えさせるぞ!」と、私も最初は意気込んだ。でも、執筆の隙間を縫って娘と遊んだり、ちょっぴり読み聞かせをしたりするのが精一杯で、なかなかひらがなの特訓までやろうという気が起きない。前回書いたように、NHKのEテレに頼りまくる日も多い。その間に、娘はぐんぐん大きくなっていく。
えっ、どうしよう、全然時間が取れない。
やろうとは思ってるのに……。
もう1歳になったけど、あいうえおなんてまだ全然読めないよ。
自分がやってもらったことを娘にできないなんて、私ってダメな母親なのでは……?
──と、しばらくの間、もやもやとした罪悪感を引きずっていた。
そんなときに、夫がこんなことを言い出した。
「昔の主婦って、家事そのものが重労働だったと思うんだよね。煮炊きも風呂も、火を起こすところから始めなくちゃいけない。だから家事と最低限の育児をこなすだけでも手一杯で、専業主婦という形を取らざるをえなかった。その後、高度経済成長期の技術革新により家事の負担が減って、専業主婦の日常にある程度の余裕が生まれた。するとどうなるか。時間が空いたぶん、育児に手をかけられるようになる。その結果、『子育てや教育はここまでやるべき』というハードルが上がって、自分たちの世代はまさに、子どもの頃にその恩恵を受けて育ったんだと思う。それからまた時代は変わって、共働きが当たり前の時代が到来したよね。君は普段がっつり仕事をしているんだから、同じようにできるわけがないし、する必要もないよ」
この会話は、私が『十の輪をくぐる』という小説を書くにあたって、昭和30年代以前の主婦が担っていた家事について調べたところ、その重労働ぶりに驚いた──という感想を夫に話したことから、話が膨らんだものだ。
目から鱗だった。もしかしなくても、現代を生きる共働きのお母さんって、仕事と家事と最低限の育児をこなすだけで、わりと手一杯なのではないか!? この悩みって、何も私に限った話じゃなかったのではないか!?
もちろん世の中全体の傾向を今ここで断じることはできないし、私にそんな権利もないのだけれど、夫の斬新な(?)仮説を聞かされてからというもの、少し気が楽になった。
\第42回吉川英治文学新人賞ノミネート/
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「辻堂ホームズ子育て事件簿」アーカイヴ
1992年神奈川県生まれ。東京大学卒。第13回「このミステリーがすごい!」大賞優秀賞を受賞し『いなくなった私へ』でデビュー。2021年『十の輪をくぐる』が第42回吉川英治文学新人賞候補となる。他の著作に『コーイチは、高く飛んだ』『悪女の品格』『僕と彼女の左手』『卒業タイムリミット』『あの日の交換日記』など多数。