椹野道流の英国つれづれ 第16回

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「では、何をご用意しましょうか。オレンジジュース? それとも紅茶を?」
パブって紅茶も飲めるんだ! 驚く私に、ジョージはさも当然といった様子で頷きます。

「うちは、飯も出しますからね。食後に紅茶をって人も多いですよ」

「あ、なるほど。でも……ダイエットコーク……いえ、アップルタイザーをください」

「おっ、いいですね」

ジョージは目を細め、ジャックも深く頷いてこう言いました。

「いいぞ、アップルタイズには栄養がある」

いや、それはどうかな~? 確かに、カロリーはのけぞるほどありますけれど。

今も販売されている(そして今はずいぶん仲間が増えた)アップルタイザー、要はりんご果汁入りの、とても美味しい炭酸飲料です。

やや小振りな緑色のボトルや、リンゴが描かれたラベルが、ちょっと大人びた感じでお洒落でした。

グラスに注ぐとスパークリングワインみたいに見えて、パブにいても浮かないように思えて安心だったのです。

当時は、何故か「アップルタイズ」と呼ぶ人が地元には多くて、何か理由があったのかどうか。ラベルには、確かに「アップルタイザー」と書かれていたのですが。

ジョージに訊いても「わかんないけど、俺は『アップルタイズ』って言いますねえ」と首を捻るばかりで、ついに帰国まで理由はわからずじまいでした。

とにかく、初めて「個人的に」やってきたパブで無事に注文を済ませ、さて、キャッシュオンデリバリーでしたよね、と財布を出そうとしたら、ジャックに視線で止められました。

「?」

「保護者と来たときは、奢らせるもんだ」

「……でも」

でも私は、ジャックのお家の子ではないから。

そう言おうとしたら、ジャックはごつい顔でニヤッと笑い、妙に気障なウインクをして、一言。

「ここに連れてきたかわいこちゃんは、全部俺の娘だ。なあ、ジョージ」

「そうですとも。ジャックには、世界じゅうに可愛い娘たちがいるんだから。可愛い息子たちも……」

「そこは特に可愛くねえガキどもだ」

訛りがきつくて少し聞き取りにくいはずの、でも何故か聞き取れてしまう、おっさんとおっさんらしい会話。

「息子たち」には悪いけど、ちょっとくすぐったくて嬉しい「俺の娘」という言葉。

特に、誰も頼れない外国で、そう言ってくれる人の存在が、どれほど心強く嬉しいことか。

リップサービスでも嬉しい、この上なくありがたい……と、そのときの私は思っていました。

それが「ガチ」であることを痛感する羽目になるのは、それから2時間後のことです。


「椹野道流の英国つれづれ」アーカイヴ

椹野道流(ふしの・みちる)

兵庫県出身。1996年「人買奇談」で講談社の第3回ホワイトハート大賞エンタテインメント小説部門の佳作を受賞。1997年に発売された同作に始まる「奇談」シリーズ(講談社X文庫ホワイトハート)が人気となりロングシリーズに。一方で、法医学教室の監察医としての経験も生かし、「鬼籍通覧」シリーズ(講談社文庫)など監察医もののミステリも発表。ほかに「最後の晩ごはん」「ローウェル骨董店の事件簿」(角川文庫)、「時をかける眼鏡」(集英社オレンジ文庫)各シリーズなど著作多数。

「推してけ! 推してけ!」第38回 ◆『前の家族』(青山七恵・著)
こざわたまこ『教室のゴルディロックスゾーン』スピンオフ小説「ささやかな祈り」