椹野道流の英国つれづれ 第24回
「……ん?」
目を覚ましたとき、室内はすっかり暗くなっていました。
幸い、窓から街灯の光がささやかに入って来るおかげで、そうはいっても視覚が失われるほどではありません。
(もう、夜になっちゃった。よく寝たなあ)
そう思いながら、窓のほうへ腕時計を向けて盤面を見ると、「夜になった」どころか、もう午後11時半を過ぎていました。
よく寝たというより、爆睡していたというべきですね。
「疲れてたのかな」
小さく呟いてみても、相づちを打ってくれる人はこの家にはいません。
今夜は、近所のパブが閉店したあと、酔っ払って道で騒ぐ若者たちがいないらしく、辺りはしんと静まり返っています。
隣人たちも、もう寝てしまったのでしょうか。不思議なくらい音が聞こえなくて、私は、いささか居心地悪く感じました。
何しろ電気が来ていないので、こういうとき、ちょっと賑やかしにテレビをつけようか、音楽を流そうか……という当たり前のことが、この家では一切できないのです。
静かな夜は、その静けさをありのまま受け止め、味わうしかない。
でも。
(そろそろかな)
私が思ったそのとき。
ガチャガチャッ。
音がしました。
小さな、少しだけ遠い音です。
何の音か、私は知っています。
通りに面した水色の扉を解錠する音。
次に聞こえるのは、扉を開けるときの、蝶番の軋む音。
バタン、と扉を閉める乾いた音。
それから……。
一段、一段、踏みしめるように、階段を上がってくる重い足音。
ソファーに横たわったままの私は、ゴクリと唾を呑み込みました。
私ひとりだけが住むこの家に。
私と大家さんしか持っていないはずの鍵を使って、誰かが入ってきたのです。
とすん、とすん、とすん……。
足音が、徐々に大きくなってきます。
私は、息を呑みました。
そう。
この家には、もうひとつだけ、秘密があるのです。
ジーンとジャックにも話さなかった、いいえ、打ち明ける勇気がなかった、もうひとつのとんでもない秘密が。
兵庫県出身。1996年「人買奇談」で講談社の第3回ホワイトハート大賞エンタテインメント小説部門の佳作を受賞。1997年に発売された同作に始まる「奇談」シリーズ(講談社X文庫ホワイトハート)が人気となりロングシリーズに。一方で、法医学教室の監察医としての経験も生かし、「鬼籍通覧」シリーズ(講談社文庫)など監察医もののミステリも発表。ほかに「最後の晩ごはん」「ローウェル骨董店の事件簿」(角川文庫)、「時をかける眼鏡」(集英社オレンジ文庫)各シリーズなど著作多数。