椹野道流の英国つれづれ 第28回
「この家にも、幽霊がいるの? どんな幽霊?」
ジーンは、興味なさそうに肩を竦めます。
「たまにふうっと、気配が掠めていく程度だから、知らないわ」
「知らないって……。やっぱり、見えないの? 何もしないの?」
「私には見えないし、何も悪さはしないわね。ジャック、あなたも同じ意見でしょ?」
ジャックは、ジーンがせっかくカリッとローストしてくれたジャガイモをフォークで潰しながら、やはり広い肩を揺すりました。
「俺も姿を見たことはないけどな。留学生の中には、爺さんを見たって子が何人かいたから、そうなんじゃねえかな。だいたい、暖炉の前の椅子に座ってたって話だ。ほら、お前さんがいつも座る椅子だよ」
ピャッ! と、変な声が出ました。
やめて、そういう話!
あからさまに怖がる私に、ジャックはわははと笑って、ペースト状にしたジャガイモにだばだばとグレイビーソースをかけながら話を続けました。
「別にいいだろ、客用の椅子を、幽霊爺さんが一緒に使ってたって」
「いい、けど。そのお爺さんって誰?」
「このコテージに、俺たちより前に住んでた誰かじゃねえかな。余程ここが気に入ってんだろう。気持ちはわかる」
「……うん、わかる」
私も、それには同意しました。小さくて、古くて、可愛くて、居心地の良いお家ですから。死んでからも離れがたい気持ちはわかります。
じゃあ、私の家にいる幽霊も、前の住人だった誰かってこと……?
その質問には、ジーンは曖昧に首を傾げました。
「どうかしら。うちの幽霊は、家の中か庭にいるようだけど、つまり住んでるみたいってことだけど、あなたのところのは違うみたいじゃない? 毎晩、来るのよね? そして、来るからには、帰るのかしら?」
その質問に、私はフォークに肉を刺したまま、首を傾げました。
「それは、わからない。そういえば、来るときには階段を上ってくる足音がするけど、下りていく足音を聞いたことはないの」
「まあ。毎晩、来るだけで帰らないなんて、いくら幽霊でも理屈に合わないわ。変ね。あと、部屋の中で何かするの、その幽霊? 姿は見えるの?」
ジーンに問われて、私はラムを頬張り、曖昧に首を振りました。
「姿は全然。気配も特に感じないかな。でも、たまに……」
「たまに?」
「暖炉の火を点けたまま、ソファーで居眠りしちゃったりすると、ステンレスのティーポットが床に落ちる音で目が覚めたりするの。そんなもの、勝手に落ちないよね」
「……落ちないでしょうね」
ジーンは同意し、ジャックは美味しそうにジャガイモを平らげながらまた笑いました。
「火の元注意、ベッドで寝ろ……ってか。ずいぶん親切な幽霊だな」
私は曖昧に頷きます。
「そうなんだよね。最初の頃は怖くてたまらなかったんだけど、不思議なくらい、慣れちゃって」
「だったら、気にせず一緒に暮らせばいい。とはいえ、もしそいつが男の幽霊だったら、ちーと俺が行って、節度ってもんを言い聞かせてやらにゃ心配だな」
「あら、戦時中はモテモテのパイロットさんだった人が、節度ですって?」
呆れ顔でジーンは混ぜっ返し、ジャックは、「今はお前一筋だからいいだろ」と真顔で言い返します。
なんだかその日は、予想外に楽しい方向で双方の家の幽霊話が弾んだのですが、やはり私の心の中には、大きな疑問が残りました。
確かに、幽霊が来る足音は毎晩聞いているのに、ただの一度も、帰る足音を聞いてはいない。
どうしてなんだろう……?
兵庫県出身。1996年「人買奇談」で講談社の第3回ホワイトハート大賞エンタテインメント小説部門の佳作を受賞。1997年に発売された同作に始まる「奇談」シリーズ(講談社X文庫ホワイトハート)が人気となりロングシリーズに。一方で、法医学教室の監察医としての経験も生かし、「鬼籍通覧」シリーズ(講談社文庫)など監察医もののミステリも発表。ほかに「最後の晩ごはん」「ローウェル骨董店の事件簿」(角川文庫)、「時をかける眼鏡」(集英社オレンジ文庫)各シリーズなど著作多数。