椹野道流の英国つれづれ 第34回
外国人ということで、パスポートナンバーを書く欄がありましたが、違うのはその程度だったように記憶しています。
すべてがスムーズに運び、あとは通帳とカードを待つばかり。
日本からの送金を受け取ることができれば、贅沢は望めなくても、路頭に迷うようなことにはならずに済むはずです。
「ありがとう! いつも助けてもらってばっかり」
私がお礼を言うと、アレックスはニッコリ笑って「どういたしまして」と言ってくれました。
〝My pleasure〟
私は、この言葉が大好きでした。
日本で検索すると、「フォーマルな言い回しである」と書いてあることが多いのですが、当時のイギリス人は、〝You’re welcome〟 よりも〝My pleasure〟 を使う人が多かった印象です。
「あなたを手伝うことができて嬉しい」という言葉は、たとえそれが形式的な言い回しでも、孤独な小娘には嬉しかったのです。
「通帳とキャッシュカードが届いたら、知らせてね。それを確認するまで、僕の仕事は終わらないから」
「わかった!」
頷きながら、私は自分の声が弾んでいるのに気づきました。
これでお金の心配をしなくて済む。それが、留学生にとってはどれほど嬉しいことだったか。
ところが、3日後の夕方。事態は急展開しました。
放課後、友達と学校の図書室にいた私のところに、困り顔のアレックスがやってきて、申し訳なさそうにこう言ったのです。
「ロイズ銀行から電話があって、君のために口座を開くことはできないそうなんだ」
「ええっ?」
まさに、寝耳に水。
ここから、銀行口座を開くための、私のけっこう長い戦いが始まることになるのです。
兵庫県出身。1996年「人買奇談」で講談社の第3回ホワイトハート大賞エンタテインメント小説部門の佳作を受賞。1997年に発売された同作に始まる「奇談」シリーズ(講談社X文庫ホワイトハート)が人気となりロングシリーズに。一方で、法医学教室の監察医としての経験も生かし、「鬼籍通覧」シリーズ(講談社文庫)など監察医もののミステリも発表。ほかに「最後の晩ごはん」「ローウェル骨董店の事件簿」(角川文庫)、「時をかける眼鏡」(集英社オレンジ文庫)各シリーズなど著作多数。